小原民子の作品ブログ

絵を描いているので,ときどき紹介したいとおもいます

ミドリ

2013-02-23 | 創作日記

2007.6.29

   

 

      「緑をたくさん出したいのだということを伝えたい」

     朝から叫んでいた。「緑!!  緑!!」上の線下の線横ちょっと右や左だけでこんなにも

     違う線なのだ。つまり、どういうことかって?

     1枚の葉っぱを見れば分かる 枝 と 葉  芯と広がり 流れているものが違う組織が

     ちょっとずれただけであんな違いが!!

     どうやら似たような緑ばかり集めてしまったようだ。いいや大事なミドリがネズミに

     取られてしまって出てこないということが重要!! なにも ないことと同じ。

     一向に引き立たない。ビリジャンとカドミウムグリーン。

     グリーングレーは これらがあってはじめて使える。グリーングレーの微妙なのが

     何種類もあったってだめ。無いと同じ。

 

      緑 緑と朝から叫んでいたのに一向に満足のいく緑が出てこない。

     緑を引き立たせる色。赤。突飛だ。  

     徐々に。ドクダミの葉っぱの上の葉と下の葉ほどの違いが出せるように引き立てる色は?

     ターコイズブルーは欠かせない。オーレオリンも。 問題は緑なのだ!!

     すっかり調子が狂ってしまった。ちょっと2カ月留守にしていただけでずいぶんと

     めちゃめちゃにされた。なぜフンが黄緑? 紫にもなっている?

     とてつもない尿の臭いとともに。何日落ち込んだと思ってる?あんな無惨な絵の具の姿、

     初めて見ました。

      2か月も留守にしていたのがいけないのじゃないかって?!なにも怠けていたわけでは

     ありません。ちゃんと習いごとをしておりました。「独り言」の。ヨーロッパ人のおじさまたちに

     であります。すっかりとおしゃべりができるようになった。口をまったく動かさずに。

     なんと楽になったことか。田んぼにはすずめだけではなくサギもいる。

     すずめは大勢で群れるがサギは単独行動だ。泳いで逃げるヘビを追いかけていた。

     1対1。エサの追い方がちがうだけ。足して2で割ったのが冬にだけあらわれる白鳥。

     WATARIDORI. 

      なにしろ油絵の具も マルクスもヨーロッパからなのだから。この人の作品なら私に

     ヨーロッパを教えてくれる、そう判断したら 即吸収。おかげで1カ月足らずで「独り言」を

     マスター。そんな間にもネズミは黄緑の絵の具をかじっていた・・・・・。

     いつの間にかできたねずみの巣に、冬眠から覚めておなかをすかせたヘビがやってくる

     というのは実に自然なこと。私の座るイスの1m先でなければ。ふすまにはねずみの

     食いちぎった穴が広がり、いつの間にかヘビ穴まで出来ていた。

     人間が来る→巣から遠ざかっていたネズミがまた巣に戻る→ネズミの巣に陣取っていた

     ヘビにとっては正に好都合です。まさか目の前でヘビの狩りを見物できるなんて・・・!

      

      血なまぐさいこと2~3日。消臭剤がずいぶん役に立った。

     血なまぐさいのは20世紀前半。後半は消臭剤。自然なこと。

     私は1920年代の作品を気に入ってるらしい。いいな、と思うと20年代だった。

     前田寛治なんかとくに!!あの家族の絵は一目見て忘れられない。

     そういえば私も家族をテーマにした下絵を描いている。100号に。今度着手するのは

     秋以降。具象っぽいから。具象はときに説教くさくてうんざりするから遠ざかりたくなる。

     線か面だけになる。やがて手のリズムの。しばらくすると今度は主張やストーリー性、

     流行を求めるようになる。

 

      5歳と80歳の共存を日々目の当たりにしている。見事に調和しているものだ。

     障害者ということばは不要だ。絵なら絵だけでいい。独特な動きをするならそれだけでいい。

     書類処理の便宜上必要なだけだ。共通のものを探せばいいだけなのだ。道具を使おうと

     するか、大声を張り上げたいのか、体を動かしたいのか、何かを叩きたいのか、

     しゃべっていたいのか、見ていたいのか、聞いていたいのか、そして日に応じたメニューが

     あるだけ。この大枠は世界中どんな人類問わずだ。誰だってやっている。

     しゃべりたい人、演説を聞いてもらいたい人はその能力を発揮してそれぞれ競う。

     孤独な語りかけに終わらないか、誰も聞かない答弁を繰り返さなきゃならないか、

     そんなことで黙ってしまうタイプではないのだ。全エネルギーを費やして、

     声を出すのだ。歌ということでもある。

 

      80歳と5歳が同居している垂れ乳ばばあの聴衆は愛犬ポチと、私だけ。

     全エネルギーを投じて大声を出す。朝、生きるために。

    ただ ただ 生きるためだけに大声を張り上げる。もっと多くの人にも聴かせる機会が

    あればいいのだが・・・・・。

     


筆のリズム

2013-02-23 | 創作日記

2007.6.28

 

 

      問題はリズムです。線と面です。静物と動き(リズム)です。

     座っているか走っているかです。

     海なのか湖なのか? 水たまりなのか 川なのかです。蚊の曲線なのか 

     ツルの曲線なのかです。

      そして筆!!筆にどうしても左右されてしまうのです。いつもこの筆、という決まりごととは

     対極にあるようです。いろんな筆。いつもいつまでも末永く、いろんな色。

     カドミウムグリーンとビリジャンがネズミに持っていかれた時点で相当なダメージ。

     ビリジャンはマイメリのもあるでしょう?いいえ、くさかべギルドとは別モノです。

     カドミウムグリーンもあの色はあの色。そのうち忘れて黄色と何かを混ぜるでしょうって?

     結局アルテにホルベインビリジャンとカドミウムグリーンを買いに行くのです。

     昔からの安心感でもって。父がわざわざ花巻までお酒を買いに行くように!

 

 

      そうそう 問題は、筆! 手だってあるでしょう。ペンだって、木の棒だって。

     それ、稲の穂で描いた人だっていたはずですよ。 そのうちそのうち・・・。

     今は 豚くんや リスくんの毛をお借りするのです。君たちには何の恩返しもすることが

     できないようなのが残念だが・・・・。少しでも長く無駄のないように最後まで使うのが

     ベストと思い、今日もしっかり使ったのです。イライラとしながら・・・・・。

     毛先が短くなってくると、絵の具を保つ時間も短くなるし、細かいところに色を

     置きづらくなる。しかも滑らかさが奪われてガサガサとした質感になってくる。

     わざとガサガサした要素も入れたい場合だって出てくるだろう。しかし。

     こっちは1枚の絵の途中なのだ。筆を替えれば今使っている短い毛先の筆は

     ずっとこの中途半端な短さのまま残ってしまう。できれば今日中に使い切ってしまって、

     使用済み筆ボックスに入れたい。二本とも。がんばりましたよ、布を替えて。

     真っ白なのに下地代わりにガサガサだけでずっとガリガリと描くというよりは引っ掻く。

     何時間かしてやっと、毛先がより減って、2ミリ程度にならされる。ようやく!!

     でも 摩耗させるためだけに動かすというのも ただのストレス発散みたいでちょっといや。

     いや、怒りはありますとてつもなく。湧いてきます、怒りも悲しみも。そして楽しもうとするし、

     晴れてちょっと西から風が入ってくる日は喜んでいます。

     怒りを散らす? 筆を摩耗させることによって? ムリムリ。新たに色と構図で冷静にデスヨ。

 

     とにかく筆二本。どの辺でオダブツにするか? あれ? まだ絵の具をふくむぞ、

     相当固いのに・・・・・。でも時間デスそろそろ。19:00前には洗ってしまいたい。

     あとは ガサガサ質感を出したいときに活躍してくださいよ、ブタ毛くん。

     しばし さよなら。

 

 

     

    


無題

2013-02-23 | 創作日記

2007.6.27

 

 

      朝からならだいじょうぶ。目の前にぶつけるものがある。問題はセッティング。

     どれの隣になにを置くか。今日つかう筆はどれとどれか。

     今日は油絵の具はやめにして鉛筆とペンと水彩にしようか。

     最初に出す絵具はどれとどれか。一番最初に出すものが肝心だ。次を決定する。

     古いのを引っぱり出すか?いいや、溶き油だけであっさりと新しい布に・・・。

     いいや昔の描きかけにはっきりとした色合いの線と面をもったりと塗る・・・。おっと昨日の

     描きかけのほうが先だった。まだ少し半乾きなので筆がもたつくうえに余計な筆の跡が

     ついて色面の調和を乱す。それならばいっそ刷毛を使おう。別な乾いた絵に。

     朝から大忙しだ。なにしろ頭痛になられては困る。ため込んで内部で腐らせて悪い沈殿物に

     してしまう前に急いで吐き出さなくてはならない。

 

      朝思った。form factory。夜中の夢の中はカタチの制作工場だ。絶え間なく常に

     動き出す。目をつぶった途端。布団に横になった途端。睡眠の権利を奪う気だろうか?

     せっせせっせと勝手に動き続ける。目がいけないのだろうか?あんまり見過ぎるか?

     見たものが消化吸収され血となり肉となる。まったく胃袋や小腸とおんなじ働きをしてくれる。

     form factory あるいはform farm カタチ農場。植えた種がそれぞれに赤くとがって

     くねくねした「ピ」 や みどりにざざっと塗られたマルとなってどんどん大きくなっていく。

     このままだと頭痛でまた2~3日寝込まなきゃならなくなる。そのための朝だ。

     カタチ工場から採れたてのイメージを画面に起こす。それが私の仕事だ。

 

 

      確かにピカソは身近に・・・いや程遠い。あのヒトは別格だよ。と同時に家族より身近に

     いる。どうなってるんだあのおじいちゃんは?MorandiとKandinskyの間に挟まって

     アウフヘーベンしようとしていたのだ。岡本太郎の言う対極主義というのとも似ていると

     思うのだが。

     そうそう。MorandiとKandinskyを両極に置いてしばらく眺めて右に寄ったり左に寄ったり

     しているうちにピカソっぽいのが出てきたのだ。ちょうどおじいちゃん目の前で筆さばきを

     見せてくれていたしね。ジャストでしたよ見事に。ちょうど!!ぴったり。通過するところは

     通過するということです。

 

      そして問題はモノ。材料。資源。案の定、中国産の雑な作りの豚毛は扱いやすい。

     毛があんまり抜け過ぎて困ったり 可笑しがったりもしていたが、なんというか、雑な良さ。

     雑草の強さ。もちろんラファエル コリンスキーとセットでないとどちらも引き立ちません!!

     そしてすべて消費モノ。毛が減れば筆としての寿命はオワリ。ただ木の棒になります。

     絵具は? 塗られれば終わり。固まったらもう使えない。

     布は? ここまでというくらいに塗られればもう終わり。そこまでしていったい何を

     やってるの? と、そこからが試されどころ。

     つまりどれだけの味方が私についてるか?今までどんな作品に感動してきたかが

     表れないとだめ。描いてる意味ナシ! シンデ。孤独を友達にしてまで創作することの目的。

     

 

      ひたすらに「アリガトね」です。いいもの作ってくれて、それを私に見せてくれてありがとね。

     今、みんなにお礼するからね。お礼のカタチを見せるからね。待っててね。

     これから生まれてくる人たち。と いったものです。

      あと、聞かせてくれてありがとね、や、言ってくれてありがとね、や、書き残してくれて

     ありがとね、とかいうものです。

 

      ナニシロ オデコ ノアタリ ガ ヒカッタノデスカラ・・・

      タイヨウノ ヒカリノ メイアンヲ イシキスルマエニ・・・

      コレカラ ヒカリト カゲノ メイアンノ ヒョウゲンニ 入るノデス・・・

 

       ランボー と 宮沢賢治 と (セザンヌ)

                          ゴッホ