その後
兄は何度か入退院を繰り返し
治療と投薬の作用で
前の様な 凶暴さは消えました
私は長女を出産後
少しの間 実家に戻りました
当時 自宅療養中の兄は
「姪か、可愛いな」
長女を見て そう言いました
そう言ってくれて
私は少し嬉しくて ホッとしました
でも
次に言った兄の言葉に
私は ゾッとしてしまいました
「この子 貰っちゃおうかな」
本心なのか 冗談なのか
その時の私は恐怖でしかなかった
両親も
「あまり帰って来ない方がいい」
そう言われて
3日程で自宅に帰りました
その後は
病院にも定期的に通院し
担当医師の指示も守って
どうにか過ごしていました
相変わらず
父は兄の病気を認める事が出来ず
親子の確執はありました
お互いに あまり口を聞かず
あえて トラブルは避けていた様子
そんな状態で
10年程の月日が過ぎ去り
穏やかにとはいきませんでしたが
なんとか生活をしていました
鬱になってしまった事は
どうしようもない事実
兄も辛いだろうし
もちろん 両親も辛い思いもしてる
私も協力できる事はする
前向きにやるしかない
私達家族も 実家に近い場所に
引っ越しをしました
もしも 何かあれば
すぐに実家にも行けるし
両親を保護する事も考えて…
両親は ほぼ毎日
孫の顔を見て 一緒に遊んで
前よりも 笑顔が増えました
でも ある年の夏
父が突然 職場で倒れたと
連絡がありました
救急車で病院に運ばれて
駆けつけると 意識は戻っていて
「大丈夫 大丈夫」
そう言っていましたが
念のため 検査入院をする事に
頭の先から爪先まで
とことん検査をしました
結果
「肺腺がん ステージ4」
もう心臓近くにも癌が広がり
手術は不可能
つまり 末期癌でした
担当医師からは
「こうなるまでに かなり苦しかったはず」
そう言われました
今思うと
お酒の量が増えていったのは
苦痛を紛らわす為だったのかと…
担当医師は
「抗がん剤と投薬 どちらを希望しますか?」
父は「投薬」を選択しました
父を病室に送っていき
「トイレ行ってくるね」
そう嘘をついて
担当医師を追いかけていきました
「先生 父は後どのくらいで…」
すると担当医師は
「何もしなければ 1ヶ月です」
「投薬で多少は変わってきますが」
頭の中で整理がつきませんでした
余命は 父には言えませんでした
その後は
投薬治療の為 自宅で療養
私は出来るだけ
父の望みを聞いて実現させました
その度に父は喜んでくれた
時が経つにつれ
どんどん痩せていく父
記憶障害も出始めて
最後の頃には
自分の家も
私たちの事も
分からなくなっていました
余命宣告から4ヶ月後
12月の早朝に
父は力尽きました
ちゃんと親孝行出来なかったな
ごめんね
でも ありがとう
父の通夜の時
あんなに歪みあっていた兄が
声をあげて泣きました
どんな形でも
やっぱり親子なんだなと
その時思いました
でも
そんな事は 長くは続きませんでした