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比企山歩人の山日記

山好きな野郎がカメラ片手に各地の山を訪ね歩いた足跡を日記に綴ります

冬の蔵王&樹氷

2015年02月27日 | 3 最新の山日記
2015年2月21日:アイスモンスターと呼称される蔵王の樹氷を楽しみに山形蔵王を訪れた。素晴らしい好天に恵まれ、蔵王温泉からロープウェイに乗って地蔵山(1736m)に登った。

ふもとから眺めた左に三宝荒神山(1703m)右に地蔵山(1736m)中央低くなったところがロープウェイ地蔵山頂駅

樹氷群に覆われた地蔵山山頂

地蔵山の象徴のお地蔵さんが山の安全を祈っていた。

地蔵山山腹の樹氷群

同じく地蔵山山腹の樹氷群

近くによると巨大なまさしくアイスモンスター

アオモリトドマツに着雪し成長した樹氷

遠くに朝日連峰を望む

さらに目を右に転ずると月山の秀麗な姿が望めた。

そのまた右遠くには鳥海山が見えていた。

東北の雄山、月山と鳥海山が樹氷の向こうに並ぶ。

左に目を転ずれば朝日連峰の雄、大朝日岳が堂々と聳えていた。

たおやかな女性的な月山。

ロープウェイ駅から正面に月山。
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2015年元旦の富士

2015年01月04日 | 3 最新の山日記
新年あけましておめでとうございます。
元旦は恒例の近くの公園で初日を拝し、その後富士山と筑波山が眺められる高台の公園に行って富士山と筑波山に向かって、新年の挨拶をしてきました。今年こそよい年でありますように…

今年は雲が低い位置にあったため、日の出が遅くなり7時20分頃になりました。

富士山には少し雲がかかっていました。富士山の右側の山は奥多摩の大岳山です。

筑波山はここから眺めると双耳峰が見事で秀麗な山容が素晴らしい。
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秋の横尾山登山

2014年09月25日 | 3 最新の山日記
2013年9月19日:山梨、長野の県境に位置する信州峠(山梨県北杜市から長野県川上村に通ずる標高1470mの峠)から県境尾根を伝って「横尾山1818m」に登ってみた。行く前にはチョット登って尾根の上に出ればルンルン気分の尾根歩きが楽しめて秋の花ヤナギラン、マツムシソウ等が咲き乱れているのではないかと期待を込めて登ったが残念ながらそういう事態にはならず残念ではあったがカヤトの原の尾根からの展望は素晴らしいものがあった。

中央高速須玉ICで降り県道601、610号線を信州峠に向かうと峠近くになり右前方に岩峰の「瑞牆山」がその雄姿をあらわしていた。

ここが信州峠で横尾山登山口(左の石段)となっている。車も道路わきに空き地あり数台駐車できる。峠の標高は1470mで山頂まではたったの350mの登りで楽ちんを予想したが・・・。

尾根に出るのは簡単と思いきや、なんと登り下りの繰り返しが続き、結構時間がかかる。それでも登山道の傍らには「トリカブト」があちこちに咲いており、目を楽しませてくれる。

1時間ほどでようやく見晴らしのきく地点まで登ってきた。写真では薄くて見づらいが左に富士山が見えている。右手手前の山は黒富士、曲岳か?

マツムシソウはほんの数株咲いているのみであった。

ヤマラッキョウもわずかに見られた。

ようやくカヤトの尾根に飛び出ることが出来た。素晴らしい展望だ!。写真は南アルプス連峰。

こちらは奥秩父の山々で金峯山(2599m)の五丈岩もはっきりと見える。その手前は瑞牆山(2230m)の岩峰だ。左には小川山(2418m)。

その金峯山と瑞牆山をクローズアップ。

先ほどよりもさらに高い位置から見た富士山。

左に男岳、その右に天狗岳、御陵山さらにその奥には御座山が見えている。

行く手前方には「八ヶ岳」がそびえる。

さらにカヤトの原を登る。振り返れば相変わらず、金峯山、瑞牆山、小川山が見送っている。

手前の山は「女山1724m」その奥に左から男山1851m、天狗岳1882m、御陵山1822m、さらに奥は御座山2112mだ。

南を見れば南アルプスの高峰群。

登山開始から2時間弱。いよいよ山頂だ。山頂から南アルプス。

横尾山山頂(1818m)は木立に囲まれているが南方に開ける。

木立の間から富士山を望む。

西方向には八ヶ岳を垣間見ることができる。
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宝永山登山

2014年01月13日 | 3 最新の山日記
2013年9月12日、富士山宝永火口の宝永山登山を行った。富士宮登山口は8月一杯までは車両規制が実施されており、五合目まで行くには水ヶ塚公園からシャトルバスに乗り換える必要があるため、9月に入って良い天気の日を選び登山を敢行した。宝永山は宝永4年(1707)に大噴火した時にできた富士山最大の側火山で第一から第三まで3つの火口の内の最大の宝永第一火口の南東壁の高まった所である。第一火口は飛びぬけて大きく、縦に1.5km、横に1kmもある。

水ヶ塚公園からは正面に宝永火口を大きく見せる富士山が間近に見える。

右端の突起状に見えるのが宝永山頂。

富士宮登山口五合目の駐車場。

駐車場から宝永火口までは六合目経由と森林帯を抜けていく比較的平坦なルートがある。小生は六合目経由で登ったが、写真がその出発口。

地図の赤い線が今回の登山ルートで地図左下のところから出発して六合目の雲海荘と宝永山荘まで行き、そこで山頂コースと別れ第一火口壁へ向かい、第一火口に降り、そこから宝永山頂に至り、さらに第一火口壁に戻った後、第二火口壁まで行って、森林帯を抜けて駐車場に戻るコースをとった。

富士宮(表)登山口2400mが出発点。

ちょっと登った地点より眼下を見下ろす。

少し登るとあとはほぼ平坦な道を行くと雲海荘が見えてくる。

六合目雲海荘、隣り合ってもう一軒宝永山荘がある。

宝永山荘の脇で、山頂コースと別れる。前方に丸い山が見えているが宝永山だ。

まもなく第一火口壁に出る。富士山頂が間近に見える。

大きな第一火口の先に宝永山が待つ。

第一火口壁より富士山頂を望む。

第一火口の底へと下って行く。

下り立ったそこにはベンチが置かれている。標高は2420m。

ここから第一火口の上部を見上げる。火口壁が大迫力でせまってくる。

登山道脇には噴火で飛んできた溶岩が転がっている。

火口の底からいよいよ馬の背への登りとなるが、これが大変苦しい。2歩登っては1歩下がるという繰り返しの砂礫の道で、はかどらない苦行の連続だ。

やっとの思いで馬の背に出れば後は空中散歩気分で宝永山頂へ向かえる。山頂が見えている。

ついに2693mの山頂到達だ!

海側を見れば雲海の先に遠く駿河湾が見える。

山頂で大絶景を十分に満喫して、馬の背分岐に戻る。真っ直ぐ行くと御殿場口六合目に出るが、ここは左に下り元来た道を戻る。砂走り状態で一気に第一火口底へと下る。

登山道脇に見つけた溶岩流で焼けた木の岩。

何だろうか?これも変わった溶岩だ。

第一火口壁に戻った後、今度は第二火口壁に向かう。ここ第二火口淵は森林帯を抜けて富士宮五合目への分岐となっている。

さらに数分下った山体観測装置のある御殿庭上と御殿庭中へ下る分岐で大休止した。写真は御殿庭上方面に下って行く小学生の団体の一団。

そこから見る手前第二火口とその上に第一大火口と富士山頂。大分ガスが上がってきた。さあ帰ろうか。
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富士・宝永山を見る

2013年11月18日 | 3 最新の山日記
2013年9月12日:世界自然遺産に登録された富士山を撮影に出かけた。場所は宝永火口を正面にドーンと眺めることが出来る「水ヵ塚公園」である。この日、最高の天気に恵まれ宝永火口を正面に見る富士山を堪能できた。

水ヶ塚公園の大駐車場。ここは公園であるとともに、富士登山のシーズン中は車両乗り入れ規制で富士宮登山道の新五合目に行くにはここでバスに乗り換えて行く必要があり、そのための一般車の駐車場となる。

今日は9月であるため富士登山のための車両乗り入れ規制は行われておらず、広い駐車場は閑散としていた。

広い駐車場にはたったひとつだけお休み所を兼ねた売店があるのみ。

富士山のすそ野の右端には二ッ塚らしき小さいピークが見える。

富士正面には宝永火口が大きい口を開けている。右のピークが宝永山頂。

中央左手に見えるのが六合目の雲海荘と宝永山荘と思われる。

ここから見る宝永火口は富士の大きさと比較しても非常に大きい火口であることが分かる。

ズームアップ撮影してみると富士山山頂の左のピークに3776m最高峰の剣ヶ峰に建つ富士山測候所が見える。
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吉田口登山道を麓から五合目へ-6 中宮~五合目

2013年09月23日 | 3 最新の山日記
いよいよ最終の五合目へと向かいます。4合五尺の御座石を過ぎて中宮跡に至ると江戸時代にはここから4軒の小屋(中宮役場)が続いていて、入山料を徴収していたという。古くはここから先の一帯は「中宮」「天地の境」と呼ばれた領域で木山と焼山の境であった。4軒の中宮役場の先には中宮社があって浅間・大日・稲荷が祀られていたという。この先登山道は小屋跡を見ながら30分ほどで現在の五合目佐藤小屋に到着する。登り約5時間、下り約2時間40分のピストン登山でした。



今回は4合五尺の上(かつては五合目とされた)中宮役場跡から現在の五合目佐藤小屋を目指す。
=行程=
中宮跡入口11時13分ー早川館跡11時15分ー不動小屋跡11時23分ー滝沢林道11時26分ー富士守稲荷11時30分ー佐藤小屋11時37分(11時41分発)ー星観荘11時44分
(下り)星観荘12時21分ー馬返13時37分(14時発)ー北口本宮富士浅間神社15時28分

江戸時代の中宮の絵。

石垣が組まれた小屋跡地。

中宮役場の一つの早川館跡。18世紀前半まではこの西側に18軒の山小屋があったが、4軒のみを残し五合目より上に移って行ったという。

早川館:大正末期~昭和初め頃

早川館にて休む親子の登山者。大正末期~昭和初め頃。

先に進むと右前方に小屋が見えてくる。

江戸期から続く中宮小屋の「たばこ屋」跡地に建つ「富士守稲荷」です。扁額には文久3年(1863)奉納とある。

昭和16年撮影の富士守稲荷前にての登山記念写真。

さらに登ると「不動小屋」跡に出る。ここも江戸期から続いた中宮小屋の一つで社には不動明王が祀られ小屋の名となったという。

今は「富士山雲切不動神社」が建っている。

その先で「滝沢林道」にぶつかる。

林道に出たら右にしばらく(3分ほど)舗装された道を左カーブしながら歩く。

右手、赤い鳥居の富士守神社のところを標識に従い入る。

ひと登りすると道路に出る。ここを横切ってわずかに登れば現在も営業する五合目「佐藤小屋」に出る。

ついに五合目佐藤小屋に到着。

佐藤小屋の先で登山道は二手に分かれる。まっすぐ進む道は「小御岳道」といい、江戸期の絵のようにここに一之鳥居があり信仰登山者は小御岳神社(スバルライン終点にある)にお参りしたという。

佐藤小屋の休み所が満員の時は、少し登った先の「里見平・星観荘」に行くとよい。

よく分からないのだが、五合目佐藤小屋のすぐ上にあるにも拘わらず、ここは六合目とうたっている。登山道は小屋の前を通り、六合目の富士山安全指導センターへと向かう。
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吉田口登山道を麓から五合目へ-5:三合目~中宮

2013年09月03日 | 3 最新の山日記
五合目への登山道は険しさを増し、三合目ー四合目ー四合五尺そして江戸時代は入山料徴収をしていた中宮役場に至る。今回はその間の状況を案内していきたい。



今回は三合目(1840m)を出て、四合目(2010m)、四合五尺目の御座石を経て五合目直下の中宮役場跡まで。
=行程=
三合目発10時13分ー四合目10時37分ー四合五尺(御座石浅間神社・井上小屋跡)10時51分(10時54分発)-中宮役場跡入口11時13分

三合目を出発してすぐに小さい沢を細尾野橋で渡る。

三合目から25分ほど登ると四合目の小屋跡に到着する。ここで標高2000mを越える。

四合目にはかつては1軒の茶屋(小屋)があった。この茶屋には屋内に大黒天像が祀られていたため大黒小屋と呼ばれていた由。この図は江戸時代の大黒小屋の様子を描いたもの。この大黒天像は寛政12年(1800)に江戸本郷の人が奉納したという。

こちらは昭和初期ごろの大黒小屋の様子。

四合目を出て15分ほど登ると前方に小屋が見えてくる。四合五尺に建つ「御座石浅間神社跡」と「井上小屋跡」である。


建物は比較的しっかりと残っている。

小屋の左手には「御座石(神の依り付く石)」と呼ばれる岩壁がある。

この江戸時代の図には鳥居が描かれている。

この岩壁には日本橋と刻まれている。かつてはこの岩の上には「浅間明神」と日本武尊の祠が祀られていたという。

四合五尺を過ぎると登山道に溶岩が露出した部分が現れてくる。

20分ほど登ると「五合目 中宮」という説明板が現れる。この先は中宮 天地の境といわれる領域で富士山を三区分する草山・木山・焼山のうち、木山と焼山の境界にあたるという。この先、連続して4軒あった山小屋は江戸時代には中宮役場と呼ばれ、登山者から入山料を徴収していた。

江戸時代の中宮役場の図。中宮とはこの先に浅間・大日・稲荷を祀る中宮社があったことから中宮という。
次回は中宮役場跡を経て現在の五合目・佐藤小屋までをレポートする。
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吉田口登山道を麓から五合目へー4:一合目~三合目

2013年08月30日 | 3 最新の山日記
一合目まで登ってきた登山道を今回は二合目を経て三合目まで紹介する。各合目毎に神社・祠・小屋等があるので次々の目標が明確で登りやすい。



今回は一合目を出て二合目(1700m)の富士御室浅間神社、三合目(1840m)の三軒茶屋跡・三社宮まで。
=行程=
一合目9時10分ー一合五尺9時19分ー二合目9時38分(9時45分発)-三合目10時10分

登山道は所々に石畳が現れる。10分ほど登ると左手に大正15年頃開業した一合五尺にあったレッキス小屋跡がある。カルピスに似たレッキスという飲料水を販売していたことからこの名があったという。

二合目の手前に二合目の富士御室浅間神社の鳥居跡がある。写真のように丸い鳥居の礎石が道の両側に残っている。

鳥居が乗っていた礎石。

鳥居跡をすぎれば、そのすぐ先左手に壊れかかった社殿が現れる。二合目の富士御室浅間神社である。

当神社は富士山の神である浅間神社を祀っており、富士山中で一番最初に建設された神社で河口湖町勝山にある里宮御室浅間神社の山宮にあたる。

本殿は昭和47年に河口湖町勝山の里山に移築されており、今は拝殿が廃墟寸前の状態で残っている。本殿は慶長17年の建立で桃山時代の豪華な建築様式を呈しているよし。

昔はこの浅間神社を「上の浅間」といい、今回出発した麓の北口本宮富士浅間神社を「下の浅間」と読んでいたという。江戸時代まで、この先は女人禁制であった。

拝殿裏側の本殿跡には小さな祠が旧勝山村により建てられている。

二合目を出るとすぐに御室浅間橋で小さな沢を渡る。この橋の下には溶岩が流れた跡があり「御釜」と呼ばれる溶岩の穴が見られる。

溶岩の穴「お釜」

二合目を出て12分ほど登ると、前方に石段が現れる。細尾野林道である。

この林道はそのまま斜めに突っ切って柵の間を通過する。

林道から10分ほど登ると前方に建物を見る。三合目の三軒茶屋跡である。

江戸時代の絵には二軒の茶屋が並んでいるのが分かる(なぜ三軒茶屋?)。茶屋の間に社が見えるが「三社宮」である。今はそれほどの見晴はないが、かつては見晴らしがよく見晴茶屋とも呼ばれていたという。

小屋は壊れかかっており、数年後には無くなってしまうだろう。

「三社宮」跡で道了・秋葉・飯綱の三神を祀っており、富士講の人たちに信仰されていたという。
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吉田口登山道を麓から五合目へ-3:馬返~一合目

2013年08月22日 | 3 最新の山日記
吉田口登山道を麓の北口本宮富士浅間神社から長い舗装路を歩き、やっと馬返に到着。ここからいよいよ本格的な登山となる。たいていの人はここまで車で来てここで身支度後登山を開始する。今日も駐車場には20~30台ほどの車が駐車していた。昔、富士山は麓から草山・木山・焼山と分類されていてここ馬返は草山と木山の境とされ、ここから先は聖域とされていたとのこと。


今回は馬返から一合目までをレポートする。

馬返の標高は1450m:馬返駐車場発8時47分ー馬返接待所(大文字屋)8時48分(8時59分発)ー富士山禊所9時00分(9時3分発)-一合目9時10分

馬返に着いたら左にある柵の間を通り、先に進む。

右カーブして行くとすぐに右手に小屋を見る。両側に石燈籠があるが、昔はこの先両側に計4軒の山小屋があった。この小屋はそのうちの1軒で大文字屋という。

この江戸時代の絵にも石燈籠の先に4軒の小屋が見られる。

この大文字屋は今は営業しておらず、7月~8月までこの小屋を利用してボランティアの人が飴や飲み物の接待をしてくれる。

私もここでお茶話をしつつ一休みして出発。この周囲には富士講の人たちが立てた石碑が数多く見られる。

すぐ前方に鳥居が見えてくる。この鳥居も先の江戸時代の絵に描かれている。

鳥居の手前に狛犬ならぬ「両手を合わせ合掌する狛猿」が鎮座。猿は富士山の使いであるという伝説から?

鳥居をくぐると右手に富士山禊所の石柱が立つ。登山道はここで90°左に曲がる。

禊所の建物の跡。明治期までは登山道は鳥居の先をまっすぐに登っていたが、大正期にお祓い所が設けられ、信仰登山者はここでお祓いを受け身を清めてから富士山の聖域に足を踏み入れて行った。そのため登山道は建物の左側へと付け替えられた。

禊所跡からは登山道はすぐに山道に入って行く。さあ!本格的登山の開始である。一合目までは10分強だ。

禊所を出て10分強で前方に建物を見る。

一合目(1520m)到着。時に9時10分。一合目には鈴原社が建つ。1840年代に建てられており、浅間大菩薩の本地仏だという大日如来を祀る。
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吉田口登山道を麓から五合目へ-2:バス停中ノ茶屋入口~馬返

2013年08月14日 | 3 最新の山日記
麓から五合目への第2回はバス停中ノ茶屋入口から中ノ茶屋、大石茶屋跡を経て馬返までをレポートする。この間も舗装路であるが、道は段々狭くなり、通過する自動車も馬返まで行く車のみとなり少なくなって比較的安心して歩ける。道は徐々に傾斜を増し、舗装路歩きの疲れもあいまって疲れてくるががんばろう。
=歩行程=
バス停中ノ茶屋入口7時34分ー中ノ茶屋7時46分(7時50分発)ー大石茶屋跡8時21分(8時26分発)-馬返バス停8時44分


全体の地図を見ると馬返まで行くと、ずいぶん距離を稼いだことになるが標高は600mしか登っていないことになる(北口本宮富士浅間神社の標高850m、馬返の標高1450m)

今回はバス停中ノ茶屋入口から中ノ茶屋、大石茶屋跡を経て馬返まで歩く。

スバルライン方面に行く道を右に分け、バス停中ノ茶屋入口を過ぎて真直ぐに進む。道は相変わらず舗装で道幅は狭くなってくる。歩くこと12分で前方にリニューアルオープンしたばかりの中ノ茶屋の建物が見えてくる。(標高1100m)

江戸時代の中ノ茶屋の絵だが、ここは宝暦4年(1754)の文書にも出てくるという古い歴史を持つ茶屋で現当主で15代目となるよし。丁度、馬返までの中間地点になることから中ノ茶屋の名がついたらしい。源頼朝が建久3年(1193)巻狩りに来た際、ここで休んだという伝承があるという。

茶屋の周囲には富士講の人たちが立てた登山記念碑が多く見られる。

昭和初期ごろの中ノ茶屋。今と違って木が少なく富士山頂がよく見えていたようだ。

富士講の人たちが立てた登山記念碑群。

今年4月にリニューアルオープンしたばかりの中ノ茶屋。登山道は茶屋の前を通って進む。

茶屋の板塀に掲げられた行程表。五合目まで8km、3時間40分とある。

茶屋の先に石燈籠があるが先の江戸時代の茶屋の絵を見ると茶屋の先に石燈籠と鳥居が見られる。写真の石燈籠のところに鳥居があったと思われる。

すぐに「ゆうきょうばし」を渡る。

橋を渡った右側にこれも富士講の人が祀ったものか馬頭観音が祀られている。

道は狭くなり、樹林の中をひたすら歩く。

中ノ茶屋を出て30分ほで「大石茶屋跡」標高1300mに着く。この右手に大石茶屋があった。壊れかかったバス停の看板が残る。左側、柵の中にはツツジ園跡がある。

大石茶屋の跡で礎石のみ残っている。

昭和初期の大石茶屋。

大石茶屋跡の真向かいには「レンゲツツジ群落のツツジ園」があった。随分荒れてしまったが地元の人により復元されている。

昭和初期頃のツツジ園を散策するネクタイ姿の紳士たち。

大石茶屋跡の脇には石碑が数基立つ。

この中に「源頼朝公巻狩陣所跡」の碑があり。頼朝公が富士で巻狩りをした時にここに陣所を構えたという伝承があるらしい。

登り坂がややきつくなる頃、大石茶屋から20分弱で標高1450m「馬返」のバス停、一般車の駐車場に到着する。
次回はいよいよ山道に入り、本格的な登山となる。
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