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おそらく、日本でもっとも問題になっているのは、政府が発信する「水際対策」と感染者受け入れ体制である病院の対応ベッド数が限定されていることだというのは、素人でも感じてるいることだと思う。
マスク業界の宣伝塔と見間違うほど、頻繁にカラフルなマスク位で、TVにカバーマスクで露出するナンチャラ知事もいたりして、自粛、自粛を連発し、批判を交わすために、トロくてアホな政府を有効に活用しては、ケツを持たしている構図は、有権者は既に承知シてる認識だろうと想像可能だ。
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一年八ヶ月前、世界に誇る日本の医療体制で、中国武漢市の例で見られたような医療崩壊が起きると想像できた人は少なかったはずだと思う。
盲点は、人口比の医師の数やクリックを含む医院・開業医、病院の数が圧倒的に少ない現状にあったことは確かだ。
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それに加えて、政府の主導が一貫性が無いことも指摘できる。
中共武漢ウィルス対策で、国民向けにメッセージを発信するの船頭が多いのを見ても、そこに潜在するのは、鳩首会議の責任分散とその効果である責任回避が責任の希釈がミエミエだ。
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盲点のキーワードは、「医師会」だ。
医師会は、医師の組織ではなく、まるで、個人開業医と小規模医療施設に経営者団体だ。
我が身大事、コロナ患者の受診をするだけ、従来の通院患者の来院に影響が出来経営的な不利益を得るリスクが念頭にあることだ。
消防士が、火事の種類を選別し、警察が犯罪者の凶悪性ち攻撃性で取締や、捜査のさじ加減をし、もし自衛隊が、日本の安全を脅かす対象が、大国か小国か、あるいは戦力的勝ち目があるか薄いかで防衛攻撃をためらっていたらどうなるんだろう。
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政府の五月雨式、場当たり的規制の手法は、先に大戦時の大本営か軍令部の打ち出す作戦・戦術の隘路の再現を見されているようで、不愉快になる。
「水際対策」が「本土決戦」、飲食店への締付けは「欲しがりません、勝つまでは」、「贅沢は敵」そして締付け自体が「灯火管制」みたいに見えてくいる。
このパターンは、日本が、対コロナ戦で敗北する、「負けパターン」で今や完全に、負のスパイラルにハマっているようだ。
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何ら的確に判断、アドバイスができない専門家会議とか分科会などはメンバーの入れ替えをするべきだろう。 経営で言うなら、販売力に弱い部署を強化するとき、組織のトップと切込み隊長を変える人事を敢行し、兵站として、機動力のあるツールと援護射撃で広告宣伝、販促費用を加算するのは常識だ。
金と人材の手当が出来ないであれば、完全なロックダウンをし、日夜、毎日浅草寺、あるいは成田山で官邸の当番が護摩焚き詣でして、ウィルスに自然消滅を祈願するほうが、まだ理解を得れそうな気がする。
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そんな時に玉井医師が、きっと本欄に医学的見地と臨床経験から発信され情報であるだけに、読者、SNS空間での反応は、こうして実用的なアドバイスや情報を求めていた証拠だ。
テレビニュースの時間帯、冒頭に、「今日の陽性者数の発表を危機がそこまできている状況をドライブをかけて発信する」地上波には、無党派系で、テレビにさほど抵抗を感じていない40代50代のミドル世代でも、「嫌になる」と話していた。
きっとそうした認識を持っている方々には、とても歓迎される情報だろうと思う。
歓迎に裏には、医師会の怠慢があることを再度強調したい。