私達はこの身体の五感で感じるため、どうしても外にばかり目が向いてしまいがちです。
景色や物を見ると、すぐ思考がおしゃべりを始め、価値判断を下します。あー!きれい・・汚い・・好き・・嫌い・・等々・・・ 今ここに居られないのです。
そんなふうに、わずかな過去の体験や記憶、教育された事を当てはめ判断しています。その為に、本当にものを見ることが出来ていません。
ましてや、目が見ているもの、耳が聞いているものも、ある周波数の一部だけをキャッチしているだけなので、あてになりません。この目に見えない領域、聞こえない領域も実際はあるのです。
この外に向いた、私と相手と言う、二元性の感覚だけで生きる、無意識の自我の生き方は辛いものがあります。
自分 対 相手・・・ いつも人と比べてうらやましがったり、卑下したり、戦ったり、防衛したり、虚勢を張ったり、探りを入れたり、恨んだり・・・とても平和では居られません。
では、どうすればいいのでしょうか? ここで提案です! 観る視点を変えてみませんか?
無意識で観てしまうと、わー!きれいー! とか、川の名前は?とか 冷たそうな水とか、すぐ思考が出て来てしまいます。
私達はいつもこうやって、目に見える対象物を観る見方をしています。すると、すぐ思考が働き自我に埋没してしまうのです。
その視点を変えてみるのです。その目に見える対象物を観るのではなく、この目を通して観ている存在の方に意識を向けるのです。
この肉体を通して、観ている、感じている、聞いている、経験をしている存在の方に意識を向けるのです。すると思考が働きません・・・ ただ感じているだけです。ただ聞いているだけです。今ここ居られるようになるのです。
いままでの習慣の真逆なので、最初は難しいかも知れませんが、慣れればいい習慣が付きます。
すると、今まで自我の渦の中に巻き込まれていたものが、自我との同一化から距離を置き、巻き込まれなくなります。 一度お試しあれ! 感じるものがあれば、習慣化して行きましょう!
景色や物を見ると、すぐ思考がおしゃべりを始め、価値判断を下します。あー!きれい・・汚い・・好き・・嫌い・・等々・・・ 今ここに居られないのです。
そんなふうに、わずかな過去の体験や記憶、教育された事を当てはめ判断しています。その為に、本当にものを見ることが出来ていません。
ましてや、目が見ているもの、耳が聞いているものも、ある周波数の一部だけをキャッチしているだけなので、あてになりません。この目に見えない領域、聞こえない領域も実際はあるのです。
この外に向いた、私と相手と言う、二元性の感覚だけで生きる、無意識の自我の生き方は辛いものがあります。
自分 対 相手・・・ いつも人と比べてうらやましがったり、卑下したり、戦ったり、防衛したり、虚勢を張ったり、探りを入れたり、恨んだり・・・とても平和では居られません。
では、どうすればいいのでしょうか? ここで提案です! 観る視点を変えてみませんか?
例えば、こんな景色があったとします。
無意識で観てしまうと、わー!きれいー! とか、川の名前は?とか 冷たそうな水とか、すぐ思考が出て来てしまいます。
私達はいつもこうやって、目に見える対象物を観る見方をしています。すると、すぐ思考が働き自我に埋没してしまうのです。
その視点を変えてみるのです。その目に見える対象物を観るのではなく、この目を通して観ている存在の方に意識を向けるのです。
この肉体を通して、観ている、感じている、聞いている、経験をしている存在の方に意識を向けるのです。すると思考が働きません・・・ ただ感じているだけです。ただ聞いているだけです。今ここ居られるようになるのです。
いままでの習慣の真逆なので、最初は難しいかも知れませんが、慣れればいい習慣が付きます。
すると、今まで自我の渦の中に巻き込まれていたものが、自我との同一化から距離を置き、巻き込まれなくなります。 一度お試しあれ! 感じるものがあれば、習慣化して行きましょう!
・・・ We Are The World ( マイケルジャクソン と 豪華な歌手達 )・・・
ー 下記に広告が出る場合は goo さんの広告で、当ブログには関係ございません ー