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光の世界へようこそ❣️

悪魔の統治してきた世界から真の自由解放へ歴史の狭間で
目覚めと霊性の向上、そして光の中へ

おばさん議員奮闘記 (23) 地方議会は不要、これからは住民総会型議会です。

2021-06-30 23:39:00 | おばさん議員奮闘記
既読の方も国政選挙の参考に、。

*******政経東北2010 4月、記事転載

二度目の村議選立候補は村長選挙から4年目を迎えていた。村長交代したのである意味期待を持って立候補した。
中立の立場を変えなかったが、前回に続いてBさんが、ぜひ応援したいと言ってきた。最初は断ったが、「今回は俺も同じ考えで、是非頑張ってほしいからと言う。
何よりも政策信条を理解してくれていると言うのでお願いすることにした。
しかし、だんだん疑問を感じてきた。思いもよらなかったことだが選挙違反者に囲まれることになった。ひょっとしたら私を落とそうとする罠かもしれない、と思った。
実際選挙違反の誤解を受けるようなこともあった。
(追記、当選が決まったとき、Bさんが派閥ボスのところに顔を出すように、という。そんな約束もしておらず、何故に?と、思ったが後の祭りだった。私は村長派であると、自他ともに認識を促しておくということなのだろう。そして、投票日、前夜ボスに家に電話を入れるように、とR氏に言われた事を思い出し、そのように組織が動いていた事を知った。
後になって思うのは当選はしたものの、それは私を取り込むために票が入ったからで本当に私の考えを理解して支持してくれた人は少なかったのかもしれない。信頼していた人でさえ村長が変わったとしても村は良くならない、無駄な努力はするな」といった。
私は派閥の拡大に利用されたことを確信した。
中立を保つのは難しい事を知ったが、政策信条を貫く事は別である。だがそれは通用しなかった。次第に、裏切り者的に受け取られていった。

選挙違反、採用工作、議会と行政の馴れ合い、政権派優遇、是正を主張する者への圧力をかけるイジメ議会、、、、教育重視政策を掲げる村の実態がこの有様である。
村長が変わっても何も変わらない。

派閥対立は利権争いの道具である。
いつの頃からか政権を取ったらその政権を応援していたものが優遇されるのは当然」とされてきた事でもわかる。本来それを是正するのが議会の役割だが、その機能を果たしていないばかりか、行政と馴れ合い、一緒になって利権政治を行なっている。
派閥対立はこれらをカモフラージュする為であり、あった方が都合が良いのである。ただこの実態を住民は知らない。それをいい事に、このような、村民の対立を煽り地域社会を悪化させる議会は不要と考える

12月議会ではその前の議会で予告されていた100条委員会の動きはなかった。一連のいじめはとりあえずなくなったわけだがそれは9月の騒動により、議会と役場に抗議文が寄せられたからであり、「政経東北」さんに記事が掲載されたからである。
これは少なくとも、議長、村長は川内村の議会は憲法、地方自治法遵守義務違反をしつつ、イジメ議会を続けてきたことを認識しているという事だ、にもかかわらずこの3月議会まで、何の訂正謝罪もなく問題に蓋をしたまま、ことを済まそうとした。

3月議会本会議議会で20年9月の一般質問の懲罰から、9月までの4度にわたる懲罰は、憲法地方自治法遵守義務違反によるもので無効です。このような議会は議会ではありません。審議はしますが表決は棄権しますと、発言した。

本来ならば、黙って議場を出れば良いのだが、執行部と議員に一連の懲罰は無効だと言うことを知らせたかった。また議会と馴れ合ってきた執行部側も、懲罰に加担した可能性があるから、イジメ議会であることを認識して欲しかったのである。
昨年10月、村長は自身のブログで実名入りで私を批判する内容の記事を書いている。と、言う事は懲罰が正当なものと認識していたことになる。あいにくその日は(表決棄権を宣言した日)緊急入院により村長は欠席だった(分が悪くなると入院雲隠れする国会議員がいるが、?)
議会終了後早速私は発言の真意を問われた。改めて議長に文書で提出するといったが例によって聞き入れられない。「表決棄権は議員職責の放棄で重大問題、懲罰動議と言う議員もいた。この期にに及んでまだ懲罰をかけたいらしい。

議長は一連の懲罰を認めてきた責任は重大であることを認識しているようだった。中通りのが元議員から抗議があったとされた時から私には腫れ物に触るような態度だったし、何とか事なきを得たいと言うのを強く感じた。

議員の要求を受け議題に帰ってきたものを読み上げた。全議員とも反論しなかったが、それについての議長の対処はなかった。ある議員が「それならば訴えればいいんだ」と言った。
それで終わりになった。

議会は不要
1、単なる形式的なものでしかない、多くの議案は賛成で通ってきた。一応の質疑はあるが、討論はほとんどなされておらず、反対なら反対と言うだけで良いとのことで、後はすべて異議なしで終わり。以前、委員会の報告議案に反対討論したら、報告議案に反対はできないと言われた。改めて地方自治法で確認したら反対できることがわかったし、4、5期の議員がそれを、
知らず反対できない、などと言うのだから問題だ。

2、個々の活動の主義主張の場となっていない。

3行政との馴れ合いが過ぎる。
会期中に村長室に出入りする議員が多く、議会と行政に一定のケジメがあることを知らない。会期中行政と接触し議案を有利にするための調整を行っている可能性あり。

4、行政と議会による村政の私物化が横行している。
指定管理者施設の責任者等は議員とその関係者等で秘められている。
 
5、特定支持者、特定支持団体の代表としての議員でしかない。
6、政治理念政策信条を発表していない、持っていないに等しい。
7、選挙違反を誘導、村民を違反者にする。
8、行政と公務員特権、既得権益を共有、監視の役目を放棄している。
9、行政議会とともに、憲法地方自治法を知らない。
これは致命的である。

このような議会は議会としての意味を持たない。
議員報酬は税金の無駄遣いである。
そこで私は住民総会型議会、を提案したい。


*******転載終了

地方分権と謳っておるとはいえ、地方自治体は、政府の影響を大きく受けている。一体と言っていいかもしれない。
例えば、自分の選挙区の国会議員とは切っても切れない縁がある。地方自治体は地元出身の国会議員に陳情する。それに応えて選挙区のために動く。その関係は次期の当選に繋ぐためでもある。

ある時、地元出身の国会議員を訪問する事になった。一通り挨拶をする。ある国会議員は農作物被害を減らすためイノシシ駆除に対し、一頭につき補助金を出すことを国会に取り付けたので大いに利用して欲しい、と言った。
補助金については以前に決まっていたが、自分が取り付けたその事を知らずにいた我が村の議員にとても残念そうだった。

この様子から、利権のしがらみは全国何処も切る事ができない、と感じ、国会議員が国全体を考えて国政を行なっているとは考えにくくなった。

今にして思えば、このようなことから国の弱体化を狙っていた組織の謀略のなかにあったのだとわかってきた。

利権、それは支配層の支配するための、大きな存在なのだ。
今、日本が彼の国の支配下に落ちて行く危機にある事を知る必要がある。


          2021   7/1



会津と長州藩 恩讐を超えて 福一原発事故も因縁の戦いか?

2021-06-29 22:59:00 | 恩讐を超えて
意外な話と思ったが、そうでもなさそう、、な。

福島、会津藩と山口、長州藩は明治維新最後の内戦戊辰戦争の戦い東軍と西軍の代表格、その因縁は今でも続いているのだろうか?

福島原発事故後、暫く経ってから、ネット上にその様な書き込みがあった。そんなことあるのだろうかと、思ったが、その内忘れてしまっていた。

山口県は「上関原発立てさせない」運動で311前、2月の寒い時期、海保とカヤック隊の熾烈な攻防がニュースになって印象に残っていた。
柳井市に住むカヤック隊の一人のH氏とネットで繋がって、H氏の企画していた菅元総理の講演会にお誘いを頂いた。そして
その後、「上関原発建てさせない」関係の方、祝島の方と繋がらせていただいた。25年の大集会にも呼んでいただくなど、私自身にも因縁の地となっていた。

それから、時を経て、福島県大玉村でマチュピチュ関連のボランティア先が安達太良山の麓、戊辰戦争の戦場地であった。

果敢に戦った13、4歳の少年を含む二本松少年隊15名ほど戦死している。そして、その時の西軍長州藩の戦死者もいて、お寺にお墓がある言う。
敵の兵士を祀っている事に興味を惹かれ、その頃から、長州藩と会津の因縁関係を調べる事にした。
お互いに未だに、怨念が横たわって仲違い中である事を知った。以前に聞いた原発事故が長州藩との因縁の戦いが続いていると言う話と合致したようで俄然興味が湧いてきた。

昨年、ボランティア関係講演会が山口である事で、これはちょうど良い機会と、以前、ご縁を頂いていたS、H両氏の経営する山小屋に顔を出した。(さくら紀行の編集長)その目的は長州藩が明治維新時どのような役割を担っていたか、少し踏み込んで調べたいと思っていた。

そして萩に向かった。
この時はあまり時間がなかったので今年さらに向かう事に、
この時はSH氏にその目的を明確にして、話をした。

その後、この事に興味を示された、学者の方2名、さらにS氏は、白虎隊生き残り、飯沼氏の自叙伝をお持ちでそれが見つかったと言う。

何か、神の力が動いているのだろうか?
それとも両藩の御霊が何か求めているのだろうか?
御霊の安寧のためにも、和解を早く実現させたいという想いが湧いてくる。


*******


会津鶴ヶ城、会津市内にあります。
戊辰戦争前後の資料展示して有ります。
観光化しており、
大河ドラマ、八重のさくらでもお馴染みかと、、。




飯盛山、白虎隊19名の自刃地、
15、6歳の少年たちがどのような想いで散ったのだろうか、



白虎隊が見たと思う、お城の方角




勝てば官軍、、調べるうち、戊辰戦争、明治維新がかなり歪曲されて語られている。
ご存知の方も多いと思うが、、あまりよく知らない方のために、意外な話や埋もれた話など、綴って行きたいと思う。

尚、
恩讐を超えて和解を、、との話は以前からあり、一部の人たちの交流は、存在するようです。
ただやはり、会津の人たちには未だわだかまりを残している人も多く、スムーズにいっていないとか、、

福島会津藩の勢津子姫が秩父宮妃となっている事、歴代の総理大臣がほぼ長州藩、、と言うのも何かあるのだろうか?

歴史はさらに遡って行く予感がします。

       2021 6/29


311の教訓と未来への提言 (3) 再投稿です。ふるさとの歌が歌えるまで

2021-06-28 18:41:00 | 311の教訓と未来への提言
「ふるさと」の歌が歌えるまで、、、。
原発事故の避難生活では、
多くの方の支援がありました。
その事は、支援された方、支援していただいた方、
多くの方の人生に、忘れられない想い出
として刻み込まれるに違いありません。

みんなで集まった時「ふるさと」を歌う事がありました。
その寄り添う心が有り難く、そして辛く、
もの悲しいメロディ、ついに胸につまって歌えませんでした。その様な方は多かったと思います。

あれから10年、
それぞれのドラマを経て、
新たにこの時を出発点として歩み始めた方も多いと思います。私も避難か帰還か決めかねていましたが、
心機一転、まこと魂の復興と位置付け、
「ふるさと」が歌える迄、頑張ることにしました。

先ずは、双葉町にあります伝承館へ、、。

「東日本大震災、原発災害伝承館」
原発事故ではなく、
原発災害としたところにその意図を感じました。
県の施設という事でしたが、、、、入場料600円です。
当事者意識がないところが、腑に落ちませんが、、、。

周りは平地で工場らしき建物はありますが、
何故にまた沿岸部を選んだのでしょうか?
もう津波は来ないとでも、、??

日曜、閉館間近だったこともあり、
他に家族連れ5組ほど、
モニタリングポストの線量は、0、06、
関東地域より低い様です。
以前は低く設定してあると問題になりましたが、、。
気になる方三割増に考えればいいかな、と思います。






中に入りますと、復興をアピールした写真展示、
原発事故の資料館とかけ離れた感じです。
促されて入った、ホールの大スクリーンで、
ザッと原子力発電所建設までの歴史をみる、5分ほど。
螺旋状になっている通路を上りながら
壁に展示してある写真を見ていく。
その当時の混乱ぶりが一応は伝わってくる。


3月11日、15:37 津波到達



浜通りのひとたちは、一晩かけて車で、西へ西へ、、
寒さと燃料の心配、渋滞、赤ちゃんのこと、お年寄り、、
それぞれの苦難の逃避行。
(右上、スクロールズームアップでご覧ください)
21:03 10キロ圏内に避難指示。


何箇所か壁に、防犯カメラと言うより監視カメラかも


3月12日15:36  水素爆発
川内村を猛スピードで西へ逃げた
防護マスク付けた人達乗せた、バン二台、
川内村は富岡町の避難場所になっていたのに
住民に知らせないまま逃げた、、。
枝野当時の官房長官はずっと
「直ちに健康に被害はない」と、言い続けていた。


15日夕方、避難場所決まらないまま、村民の半数は西へ、、。


福島民報・福島民友新聞

災害が起き、復興までの展示である。
原発の危険性、被曝、健康被害、環境汚染状況の展示は無い。

この伝承館が将来にかけ、
どの様な役割を担っていくのだろうか?
住民がふるさとで新たな人生、
歴史を作る事が可能なのだろうか?
「ふるさとの歌が歌える日はいつになるのだろう。
希望は灯火はそれぞれの胸に。
ろうそくの火が🕯1本が10本に、
10本が100本に、、、、増えます様に🙏🙏🙏🌸


2021 6/28









おばさん議員奮闘記、私は、なぜ、議員を目指したか??

2021-06-27 22:07:00 | おばさん議員奮闘記
西山村議が明かす村の実態

「普通のお母さんが良い」平成15年に初めて議会議員に立候補することを打ち明けたときの娘の言葉である。
無理もなかった父親が亡くなってまだ2ヶ月も経っておらず、
娘としては母親がさらに多忙になっていくことに不安があったのかもしれない。
しかし、子供の未来を真剣に考えれば考えるほど
この川内村を変えなくてはならないと言う思いが強くなっていった。
母親としては失格かもしれないが、子供たちを思えばこの立候補。
娘もいつかそんな私の気持ちが理解できる時が来ると信じて、
立候補することにした。

初挑戦は落選だったが、次は最下位ながら当選を果たした。
私がなぜそれまでそれほどにまで、議員になるなろうとしたのか?
それは平成6年に川内村にUターンした時まで話は遡る。

その頃、村はゴルフ場建設の話が持ち上がっていて、
環境保全推進の観点から、反対派の人たちを応援していた。
一方両親は、当時の村長の支持者で、建設賛成派だったが、
ゴルフ場建設の説明や、推進の話を何も考えなしに受け入れていたようだ。
ある日、両親と賛成派の仲間との会話の中に、
反対派を懲らしめる」との言葉を聞いた。
まさか聞き間違いだろうと思ったが、そうではなかった。
ゴルフ場建設反対派の人たちが、村八分にされていることがわかった。
(行政区を更に分けた、一忌組合で、反対派二、三軒残し、賛成派は脱会)
何でも役場職員OBが先導したとの話で、今時こんな事はあるとは…、
反対派の努力のおかげでゴルフ場建設には至らなかったが、
本当の中身は派閥対立による権力争いだったことがわかった。

派閥対立はそのまま住民の対立である。
同派閥以外はみんな敵と言う感じだ。
両親もそんな村社会にとっぷりと浸かってきたようで、
理解に苦しむ話が多かった。

行動は何でも親の許可を得てからにすること、
反対派閥の〇〇さんとは話をするな、
選挙では〇〇さんを応援する事、
ある時なぜ、そんなに現職村長を応援するのか」と質問。
「(私たちの)就職を世話してもらえるから、、」これには唖然。
では反対派の人たちはどうなるのか?との問いには答えなかった。

その言葉通り、夫の休職中、村長の親族のAさんが家に来て、
「役場が開く迄(欠員が出る迄)〇〇建設で働いてはどうか」と言う。

なぜこの人が役場の人事の事までわかるのか疑問だったが、
とりあえずと言うことで夫は現場見学に連れていかれた。
帰ってきた夫はなんとなく変だ、と、その話を断った。
一体何が変なのか、これは後々になってわかってきた。
その鉄塔工事にはかなり大勢の関係者が入りそれを取り仕切っていたのは、
当時の村長のブレーンであるAさんで、
村長サイドからの情報でこの事業に関わっていた。
そこで働く人は村長派で占められていた。
Aさんが夫の就職の世話をしようとしたのは、翌年に、
Aさんの夫が議員選挙を控えていたからで、
私たちの応援を得たいがためであったことがわかった。
夫が変だと言ったのはその裏の不透明さを敏感に感じていたからだ。

その後、広報でイワナの里の職員募集のお知らせがあり、
両親にどんなものかを聞いてみた。
すると母は、〇〇さんに聞いてみると言う。
帰ってきた母は決まっているようだが一応面接を受けてみてはと言われたという。
後でわかったが公募は形だけで裏では既に決まっているとのこと、
面接を受けた夫は格好のカモフラージュ役だったことになる。

村長選挙を3カ月後に控えた頃、
母が「あっち(反対派)からお金なんかもらうなよ」と言った。
「えっ川内でそんなことあるの」と言うと母はうろたえた。
それから2ヶ月ほどして、今まで家に来たことのない人が続けてやってきた。

そして勝手に上がって、茶封筒を置いていったのである。
その現実にお先真っ暗のどん底に突き落とされたような感覚がした。
封筒の中には50,000円が入っていた。
選挙買収は別の世界の出来事と思っていたし、
まして自分に起こるとは夢想だにできなかった。
この現実に様々な思いが交差した。

まず両親のことだ。
村長派として大きく関わってきただけに、買収のことを告発したら、
反逆と受け取られ敵視され、いじめに会うことになる。
家族として村八分にされることも覚悟しなければならない。
だが、最初から答えは決まっていた。
親が犯罪を認識しながらそれを犯す、と言う事は子供の尊厳を否定することであり、
子供に対しこれほどの裏切りはない、と、
私たち夫婦は両親の立場を守ることより、
子供に恥ずかしくない生き方をすると言う選択をした。

選挙買収をする方が、利権、既得権益の権力保持に躍起になっているが、
される方の身になれば、暗い闇のどん底に突き落とされるに等しい。
平気で犯罪に巻き込む、私はその対象にされたことが悔しく、
買収でなびくと思われていた事にプライドも誇りも傷つけられた。

夫は仕事の関係で2 、3日家を開けていたが帰ってきて、
すぐにお金を返しに行ってくれた。
間髪入れず村長と議員2名が自宅に来て、
〇〇議員が「俺のことを誰だか知ってか」と言った。
その時は何を言っているのか分からなかったが、
しばらくしてそれは脅しだとわかった。

買収金を返したことで、村長反対派からは画期的な事と、賞賛されたが、
村長派者には敵視された。
母は、村長派の中で婦人会副会長をしていたが、
それだけ風当たりも強かったようだ。
当時の課長に婦人会副会長を止めてもらう。と、
言われたりかなり辛そうではあったが、
私は自身が応援してきた村長派の実態をもっとよく知り、
目を覚ましてほしいと言う気持ちだった。

選挙買収は村の裏公認となっており、
普通の主婦も何のためらいもなく関わっていることがわかった。
この年の選挙では両派から10人近くが逮捕された。
その時の村長のコメントが全く無責任なものであったため、
買収の件を告発した。
無法許すわけにはいかない、と言う思いと、当事者は反省してもらいたい、
村民にはきちんとした善悪の判断を促したい
との思いで、捜査には積極的に協力した。

何回かの事情聴取の中で村のさらなる無法状態を知った。
買収に関わるある人物がどうしてもわからなかった。
ある日検察から買収に関わったのはこの人かと確認を求められたが、
その時に検察から示されたのは別人で替え玉であることが分かった。
国家機関を欺き平然とているわが村の執行機関のレベルの低さに
情けない思いがした。

しばらくして、Aさんが逮捕された。
しかし関係者は反省の色もなく、
逆にAさんは違反者全員の罪を被って臭い飯を食ってくれた。と、
むしろ英雄視されたと言う。(執行猶予付き)この間に1人の自殺者が出ている。
故郷のあまりの自堕落が信じられなかった。
この様な村で我が子に人生を送らせるわけにはいかない。

いつか普通のごく当たり前の社会を、と、この経験によって、
村の政治のあり方に向けるようになった、ということである。


おばさん議員奮闘記(22) 記者さんコメント素敵です。意味あり再投稿です。

2021-06-24 19:39:00 | おばさん議員奮闘記
発端は西山議員の思想改革

実はこの問題は村外にも波紋を広げている。
9月中旬、県中地区の男性からこんな投稿が寄せられた。
『双葉郡川内村議会で議員辞職勧告決議案が可決された。理由は議員個人が発行する機関紙を議会が発行前に審査する約束だったが、それを守らなかったため、と新聞報道にあった。しかし、議会が議員個人の機関紙を審査する事は、憲法第21条「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない」といった基本的人権の保障を逸脱する。憲法遵守義務をわきまえない議会の職権乱用の違法行為である。地方議員の体験のあった作家、杉浦民平さん(故人)は、日常生活では真面目で常識を持った人が大部分を占める地方議員が、役所、特に議長に入ると、一般住民と別の世界を形作ってしまう。そのくせ、ほとんど議員が日本国憲法も地方自治法も知らないし、財政に対する知識も意識もない。しかも住民の利益を考えることを忘れて、やたらと与党になりたがるし、権力の一端に参与したことを誇る、、、、」と書いている。
上記のように市民派と言われる新人議員と、女性議員を与党と言われる議員が集団で『いじめ』る、議会が市町村を問わず、全国的にかなりの数がある。
地方分権の受け皿である地方議会がこのようなレベルの低い議会であれば、
地方分権の推進がなかなか進まないのもある程度理解できるでしょう』こうして第三者の見解を聞いてみると、議会に非があると考えている人が多いことがわかる。
奇しくも他地域の議員県中地区在住の投稿者はともに『いじめ』と言う言葉を使っている。

西山議員は川内村出身、双葉高校を卒業後、東京に出て勤務し、その後は東京や岐阜などで生活していたと言う。夫の出身は県内ではないが、平成6年に西山議員の故郷である川内村にUターンしてきた。そして外の空気を吸ってきた西山議員にとって、
今の川内村にはとても現代の出来事と思えない、と言うようなことがままあるようだ。「過去には村長選に絡む買収騒動に巻き込まれたこともあるし、選挙の報復として建設会社の指名外しが行われ訴訟に発展、その時はオンブズマン訴訟の世話役を任されたなかで、身の回りで起きている不可解なこと、黒い噂などに触れてきたのです」そう語る西山議員が初めて村議選に出馬したのは平成15年4月、この時は最下位落選だった2度目の挑戦となった19年4月には定数12人に対し13名立候補119票で初当選を果たした西山議員が、信条としているのは議会改革と税金の無駄遣いをなくす、ことと言う。その一環としてくだんの機関紙では「議員報酬は、一律月50,000円、
期末手当なし、活動経費は領収書添付で支給、議員としての活動は報告制にする。
(その成果が村民に認められれば少々のボーナスを)と、提案している。同じく、機関紙では自身の議員報酬、期末手当の手取り総額を示し、どんな活動にどのくらい使ったかを明確にしている。さらに同議会では積み立てと称して、毎月議員報酬から20,000円が引かれており、西山議員によると、これは祝い事やイベント、葬儀等の際に議会として出す祝儀や香典等のための慶弔費としてして徴収されている、と言う。
ただ、「実態は視察研修旅行のための積み立てとなっており無駄だから本当に慶弔費として徴収するのなら月5000円程度で充分。と、改定を訴えたが、受け入れられなかった経緯がある。また視察そのものについても議員になって最初の年は参加したが単なる物見遊山だったとして、2年目からは参加していないと言う。
西山議員のこうした言動が同僚議員から煙たがられているのは間違いない。
今回の騒動はこれが根本にあるのだろう。
最も傍目にはそれが『いじめ』に見える事は、前述した第三者が指摘している。


議会中に視察旅行
ところで、先に視察旅行について話題が及んだので、それについて1つ指摘しておこう。同議会は9月議会会期中の9月16日から四国に視察に出かけたのだと言う。
何でもバイオマス資源を推進しているところの視察なんだとか。
本来は9月議会が終わってから視察に行く予定だったようだが、議会騒動があったため会期を延長した結果会期中の視察となった。全国的に議員の視察旅行に批判が集まる中、議会終了直後(実際は会期中だったが)に視察に行くとは、単なる『打ち上げ旅行』にしか見えないが、、、、。

そんな経緯もあって、本誌は審議を拒否した議員から詳しい話を聞くことができなかった。一方議長には議会事務局を通して、議会を円滑に進めると言う立場から、今回の騒動についての見解を聞きたいとアポイントをお願いしたが、これについても返答は寄せられていない。ついでだから言うが、今回の視察は意義が乏しいと断言できる。以前県外のある自治体に取材に行ったことがある。そこは全国各地から視察が訪れる先進的な行政運営をしているところだが、そこの担当者は、本誌の取材にこう語った。ウチでは議員の視察は受け付けていない。なぜなら、議員がウチの取り組みを知ったところで、帰って自身の自治体に反映できるわけでは無いから。
議会ではなく執行部が本気でウチの取り組みを参考にしたいと言うなら喜んで紹介するが、単なる物見遊山ならお断りです」議会はあくまでもチェック機関であり、執行部ではない。そこを基本的に考えると、例えば、議会改革の先進地を視察するのであれば効果もあろうが、そうでなければ意味は乏しい。
今回の視察費用については未調査だが、もし、一部でも公費が入っているのなら、村に目に見える効果をもたらさなければならない。それができないなら、そんな無駄な視察は今すぐやめるべきだ。話がそれたが、こうした指摘をしたのは同議会の『レベル』を示すため。今回の「延会騒動」と言い「会期中の旅行」(本来は打ち上げ旅行になるはずだった)と言い、そんな議会ではとても村の発展は望めない。

*******  政経東北、2009 10月号 転載

もう一つの裏事実、
この時の、視察旅行を無駄旅行と位置付けて、欠席したのですが、議会から、自分たちは研修旅行に行く、その研修に欠席したなら、その間、研修に見合う、何をしたのか報告せよ、と言う趣旨の通達が来ました。
私は、村民の負託を受けている議員であり、何故あなたたちの指示に従わなければならないのか、法的根拠を示してください。と回答、それで終了となりました。


                           2021 6/24