
(終戦日8/15過ぎましたが、再投稿です、12、13、、もよろしく、、。)
さくら紀行 (10)
*** 記述していく中で(管理人) ***
中共ウィルス、中共の弾圧、迫害、強制臓器摘出が
大きな問題になっている、今、、この事を書くことに成るとは、、
このさくら植樹の主役編集長が、
以前から「贖罪の気持ちを込めて、」言っていた事は
この事だったと、今、分かった。
「悪魔の飽食」は私も読んだ、
森村氏は命を脅かされていたと、記憶している。
あれから約40年
あの部隊に関係した方達は殆ど鬼畜に入っていると思うが、
そのまま転載可能か著者に確認した。
「それが貴方の使命だと思う」と、言ってくださった。
この二つの問題が世界を覆っている、今、
多くの人が、人類の愚かさに気付くべく、
この事実を知らせる必要がある事を感じた。
そして、人類の積み重ねてきたカルマは、
全人類が消していかねばならない、
そのために友好関係を結んで、
詫び許し合うことが出来れば
神様もお許しくださるのでは無いかと思っている。
この友好民間外交の再開には
大きい意味がある事を感じている。
戦争は誰もしたくない。
世界各国の民衆同士はみんな
同じ地球に住む
同胞、兄弟、
民間外交で世界を平和に
その可能性に希望を託します。
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さくら紀行、転載 追記 (紫)
「あなたは第二次大戦中、最も思慮深く友好的な田辺部隊の
足跡を訪ねたのだから、
今度は最も恐ろしい悪魔の部隊を見ておく必要がある。
ぜひ731部隊の真実を観て欲しい」
訪中から4ヶ月経った平成5年12月、
私は平和運動のボランティア活動をする友人から
731部隊展」への誘いを受けた。
そして、クリスマスの日に豊田市で、
「731部隊展」と中国映画「細菌戦部隊731」を観ることになったのである。
731部隊は第一次大戦後のヨーロッパで細菌戦研究の状況を視察し、
日本でも細菌戦の必要性を熱心に説いた京都帝大出身の
石井軍医中将を部隊長としていた。
この悪魔の部隊は中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人を
生体実験のマルタにした。(丸太と呼び、人格を失わせていた)
人体実験で3000人を超える犠牲者を出し、
細菌戦を目的目的とする非人間的な部隊であった。
森村誠一の小説「悪魔の飽食」に描かれた部隊である。
その日、私は
731部隊展実行委員会通信>で、義烏市崇山村に
飛行機から大量のペスト菌が撒かれたことを知った。
崇山村はペストに犯され全滅し、住民の3分の1が犠牲になった。
ショックであった。
私たちをあんなに気持ちよく歓迎してくださった、
義烏の方々の心情を思うと数日、食事も喉を通らなかった。
(後日編集長からも、義烏市郊外にペスト菌が撒かれていた事実を聞かされた)
崇山村の他に、寧波市開明街にもペスト菌が撒かれていた。
田辺部隊が存在した一方で、ハルビンに、
そして平房に731部隊も存在したのである。
伊藤氏の「かかる軍人ありき」(大隊長 独断停戦す)に描かれた田辺部隊と
「悪魔の飽食」に描かれた石井部隊、
この両極を行く部隊は友好作戦と細菌作戦の実行部隊として
奇しくも義烏に名を留めることになったのである。
731部隊に配属された若い兵士の中には、生体実験に泣きながら抗議し、
上司の幹部を袋叩きにした一団がいたことを、
中国映画はリアルに描き出していた。731部隊の事実は戦争と言う隠れ蓑に、軍と日本医学会が
結びついた誠に恥ずべき姿である。
また生体実験によって戦後医学が著しく進歩した事は皮肉であるが、
731部隊のデーターはアメリカへ渡っていたために、
日本ではこの事実が明らかにされず隠されていた状況にあった、と言う。
80年代の教科書裁判、いわゆる「家永訴訟」
(元東京教育大学教授、家永氏が文部省による教科書検定は日本国憲法と
教育基本法に違反するとして提訴した裁判)
の第三次訴訟の1つが731部隊に触れたことで、
全文削除になったことも731部隊展のパンフレットは伝えていた。
私は、義烏に駐屯中、
一発の銃声も聞かれなかったと言う田辺部隊長の人間性を、
戦時下と言う現状況を切り抜けた卓越した精神力を、
改めて思い返したのであった。
<1人の人間の命を救うものは全世界を救う> とは、
キニーリー著のノンフィクション「シンドラーのリスト」で、
ナチスに迫害されるユダヤ人会計士シュテルンが、
彼らをアウシュビッツ行きから救ったシンドラーに向かって言う聖書、
タルムードの中の詩篇であるが、
あの不幸な大戦中、田辺部隊の軍医もまた、
1人の中国人女性の命を救ったのである。
、、、願わくは、
義烏市大陳鎮の丘陵に私たちの平和を祈る心そのままに、
友好の桜の花が咲き続けることを、、、
2021 5/15
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