
そして原発事故は起きた
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1854年のことである、
スカミッシュ族の酋長は、部族会議でこう語った。
大統領から、我々の土地を買いたいとの申し入れがあった。
有り難いことだ。
なぜなら大統領には我々の同意など本当は必要ないのだから。
しかし、我々にはわからない、
土地や空気は誰のものでもないのに、どうして売り買いが出来るのだろう。
土地は地球の一部であり、我々は地球の一部であり、
地球は我々の一部なのだ。
この土地を流れる水は祖父の血であり、水のさざめきは祖父の声なのだ。
川は兄弟であり、我々の渇きを癒し、
カヌーを運び、食べ物を与えてくれる。もしもこの土地を売ったとしても、
水の語る一つ一つが我民の物語であることを記憶に留めなくてはいけない。
川は我々の兄弟であると共に、あなた方の兄弟なのだ。
白人の土地には静かな場所がない。
若葉がそよぐ音も、虫の羽音も聞こえない。
生き物の声が聞こえない人生など、生きる価値があるだろうか。
我々にとって空気はかけがえがない。
何故なら、生き物、木々、人間、
全てが同じ空気を分かち合っているからだ。
もしこの土地があなたのものになったとしたら、このことを記憶に留めよ。
無数のバッファローが面白半分に殺された。
すべての生き物を殺し去ったとき、人間が死ぬだろう。
他に降り掛かったことは、自分にも降りかかる。
全てはつながっているのだから。すべての命は一つの織物である。
それを織ったのは人間ではない。人間も一本の織り糸に過ぎない。
生命の織物に対してすることは、自分自身に対してすることなのだ。
大統領は我々に「居留地にいけ」と言う。
我々には、自分の残り少ない人生をどこで過ごそうがもはや問題ではない。
子供たちは、父親が殺され、母親が辱められるのを見てきた。
まもなく、かっての栄光の者たちは地上から姿を消すことだろう。
そしてその民の死を悼む者たちもいなくなるだろう。
しかし、それを悲しむ必要があるだろうか。
人間は誰でも生まれては死ぬのだから。白人さえこの運命には逆らえぬ。
白人と我々は兄弟なのかもしれない。白人にも分かるときが来るだろう。
我等の神と白人の神が同一だということを。
土地の所有を望むように、白人は神さえも所有しているつもりかもしれないが、
それは不可能なこと。神はすべてのものの神。その慈しみは全てに等しく注がれている。大地を害すれば必ずそのものは滅びるだろう。
なぜならそれは神を侮辱することに他ならない。
大地を害すれば白人も又死に絶えるだろう、
もしかすると他のあらゆる部族よりも先に、、、
森はどこへ行ってしまったのか?消えてしまった。
鷲はどこへ行ってしまったのか?消えてしまった。
生き物に別れを告げるということは何を意味する?
それは”真に生きる”ことの終わり、”死んでいない”ことの始まりなのだ。
この申し入れに同意するとしたらそれは最期のひと時を過ごす場所を手に入れるためなのだ。
この地上から我々が消えても、この大地はわが民の魂を抱いてくれるだろう。
何故なら私達が、この母なる大地を深く愛しているからだ。
この土地を売ったとしても、この土地を我々が愛したように愛して欲しい。
我々が手塩にかけたように愛して欲しい。
この土地を手に入れたときそのままに、その土地の思い出を心に刻んで欲しい。
力の限り、知恵の限り、情熱の限り、子供たちのためにこの土地を守って欲しい。
神が我々を守るように、、、。
我々は知っている。我々の神はあなた方の神と同一である。
白人と言えども、この共通の運命から逃れることは出来ない。
我々は兄弟なのかもしれない。いずれ分かるだろう。
2021 9/7
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