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書評ー「実録 神戸芸能社  山口組田岡一雄三代目と戦後芸能界」

2009-12-25 12:08:58 | 本ーノンフィクション
実録 神戸芸能社―山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界
山平 重樹
双葉社

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大晦日と言えば、「紅白歌合戦」。
宵の口に入浴を済ませ、レコード大賞を観て、紅白歌合戦を観るというのが
今もさほど変わっていない、僕の大晦日の過ごし方で、
46年間、極めて昭和的過ごし方を今なお忠実にこなしてる。

紅白を観るようになった小学生の頃のトリは、「美空ひばり」と決まっていた。
絶対的かつ圧倒的な存在感だったことは幼い僕にもビシビシ伝わってきた。
それに引き換え、男性は三波春夫とか、その年によって違っていた筈。
(男は記憶が薄い)
調べてみると、美空ひばりは、'63年から10年連続で紅白のトリを務めていた。
が、実弟が山口組系益田組の舎弟頭であることが発覚し、'73年に辞退。
以降紅白に出ることはなかった。

美空ひばりをはじめ田端義男・高田浩吉・里美浩太郎・山城新伍らの
歌手・俳優の興行権を持っていたのが本書のタイトルにある「神戸芸能社」。
れっきとした山口組の企業舎弟であり、社長は三代目「田岡一雄」。
元々は山口組興行部であり、'57年に法人登記する際、「神戸芸能社」に改名。
本社は、神戸地裁前の山口組内(現 生長の家神戸道場)の敷地内に、
小さな事務所を置いていた。
戦後数多くの歌手・俳優・芸人・プロレス・相撲等の地方興行を手がけ、
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。
しかし、'60年代半ばからの暴力団一斉取り締まり(第一次頂上作戦)を受け、
公共施設での一切の興行から締出しを喰らい、'70年前半に解散。

本書は、この広域暴力団山口組の興行会社「神戸芸能社」は、
一体どんな仕事をし、どんな実績を残し、なぜ多くの芸能人から必要とされ、
また信頼されたのか?を克明に追う。
当然のことながら、神戸芸能社の隆盛と山口組の全国制覇とは一致する。
暴力団系の興行事務所であることは、当時も世に知られていたにもかかわらず
摘発を受けず、黒字経営をし続けたのは不思議と言えば不思議だが、
戦後の焦土と化した我が国の復興には、生きる希望の光を灯す「娯楽」は不可欠。
芸能ビジネスが確立して行くのは、テレビ放送が本格化してから以降になるので、
暴力団系の興行事務所が仕切る興行であっても、世間が歓迎、世間が認める、
長閑な時代であったということ。
その極めつけが、昭和26年に大阪球場で、
山口組興行部が自主興行した「歌のホームラン」。
この大歌謡ショーの成功が契機となって、本格的に芸能ビジネスに参入して行く。
その成功の裏には、田岡一雄の揺るぎない考え方があった。
「自分たちの商品である芸能人にいかに気持ちよく働いてもらえるか」。
このことを折りに触れ社員に語り、徹底させた。
(ちなみに、神戸芸能社の社員は興行に精通したカタギの人ばかりだった。)
地方の興行で身の危険に曝されることもなく、
興行の売上げが悪いからといってギャラのピンハネも一切無いので、
多くの芸能人・芸人・スポーツ選手から頼りにされる。
神戸芸能社だから喜んで仕事を受ける、安心して仕事を受けた。

本書を読めば、神戸芸能社に代表されるヤクザ社会と芸能界の繋がりは
決して遠い昔の話ではなく、昨今の吉本騒動や北野誠の舌禍による芸能界追放等
は、厳然と今尚しっかりと繋がっていることの証である。





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