型紙を写していました。
主人がキッチンの網戸を外して洗い始めましたので、
はっと我に返り、今この仕事をしている場合とは違うのでは?
と思ったのです。
そして自分が仕事中毒(ワーカホリック)ではないかと思いました。
主人が定年退職後に主人の生きがい探しの為、この仕事を始め、
本来私自身も好きな仕事なので難しい時は仕事に逃げていました。
そのおかげで夫原病に至らず今に至っているわけです。
さてそれに気づいたので、キッチンの大掃除に取り掛かりました。
あんなにしなくてはいけないのにやれていないと
ストレスと自己嫌悪にさいなまれていましたが、やってスッキリ!
やるべきことは先送りにしないって当然のことですよね。
そして優先順位を見極めることが大切ですね。
まだミニマルとは程遠いのですが…
ところで優先順位のことですが。
以前母の付き添いで病院に行った時のこと、主治医の先生が
私が聖書のお勉強をしていることをご存じで
「マリアとマルタの話をどう思いますか」と尋ねられました。
それはイエスが彼女らの家を訪れたとき、
姉マルタが接待のことで忙しくしていたのに対し、
妹マリアはイエスの語る言葉に聞き入っていた。
という聖書の記述のことです。
ついにマルタは不満をこらえきれなくなり,
イエスの話を遮ってこう言ってしまいます。
「主よわたしの姉妹がわたしひとりに用事をさせておりますことを
何とも思われないのですか。ですから,一緒になって
わたしを助けるよう彼女におっしゃってください」。(ルカ 10:40)
マルタはイエスにマリアを正して仕事に戻るよう命じてください,
と 言っていたのです。まあなんて強い言葉でしょう。
普通は、イエスに直接言わないで、マリアをそばに呼んで
言うかもしれませんね。
でもこのことは、イエスが近づきやすい親しいお付き合いが出来る
謙遜な方であるという証明でもあると思います。
そしてマルタが人を良くもてなす勤勉な女性で、
優れた霊性を備えた婦人であったことは紛れもないことです。
マルタはイエスの教えを心から信じていました。
イエスが約束のメシアであることに強い信仰を抱いていまし た。
マルタはその時はお食事のもてなしすることが、
一番大事な仕事と考えていたようですね。(ヨハ 11:21‐27)
ではイエスは何と答えられたでしょうか。
「マルタ,マルタ,あなたは多くのことを思い煩って気を
乱しています。だが,必要なのはわずかの事,
というよりただ一つだけです。マリアは良いほうを選んだのであり,
それは彼女から取り去られないのです」と言われました。―ルカ 10:38‐42。
イエスが教えておられた良いもの、つまり霊的な事柄は,
『多くのもの』が食卓に供される食事よりも重要なことでした。
「必要なのはわずかの事,というよりただ一つ」,
いわば簡単な料理が一品あれば十分だということをイエスは
示されたのです。
言い換えればそれは,本当に「必要な」ことをしなさい,
そうすればより大切な事柄に注意を向ける時間ができるということを
教えられたのです。
確かにその後イエスは杭につけられ亡くなられたので、
お会いして教えを乞うことが出来なくなったのですものね。
私もこの事を心に銘記することが大変重要だと思います。
何故なら私もどちらかといえばマルタのタイプだと思うのです。
では、どうすればそのように平衡が取れるか次回考えてみます。
お写真は私の家のキッチンです。40年前、当時築90年の古民家を
10年間空き家にしていたのを間に合わせのリホームをして、
床はボロボロ、換気扇は機能していません。さんまを焼いて
煙感知器が作動して何度か主人に怒られるので、
主人の好物ではありますがもうサンマは焼きません



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