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自我から真我へ

2015-12-27 19:10:37 | 
「自我から真我へ」


「自我」とは、自分の心。

「一」つの「目」と書いて「自」
です。

一つの見方しかしていない状態です。

生きてゆくためには、これを通らなくては、いけません。

自分が生きてゆくために、
何を学べばよいかを、知る必要があるからです。

そして、

たくさん学んで、自分が生きてゆけるようになったら、

次の段階へ成長してゆくのが自然です。


それが「真我」です。

真の我が心です。

真我の真は、「自」に「六」を足すと「真」に成ります。

「六」

これは、何を意味するのか?


それは、

「感謝」「懺悔」「下座」
「奉仕」「愛行」「洗心」

の六つだと、私は思うのです。


「感謝」「懺悔」「下座」
「奉仕」「愛行」は、
沖ヨガを学ぶ者たちの終生の目標でもあります。
(沖正弘先生が創始者のヨガ)


「感謝」

多くの人は、自分にとって調子のよい時や欲しいものをいただいた時にだけ
「ありがとう」と言い、都合の悪いことには腹を立てます。

本当の感謝心とは、

いかなることも、自分のための教えとして受け取ることと一体となっています。

それは「損得皆善」の無差別心が感謝への道を開きます。


「懺悔」

「一切のものは私のために」の心が懺悔心です。

たとえどんなにいじめられても

「私の本当の生き方を教えてくださっているために、
相手は悪人の姿にまでなって偉大な教えを下さった」
と感謝する。

これが懺悔心です。

ですから懺悔道では決して他を非難しません。

どんな目に合わされても感謝するという心は懺悔道から生まれるのです。

何か一つのことが起こった時、
他のせいにするのは、自他差別の対立心があるからであり、
この心がある限り懺悔道には入れません。


「下座」

下座道に入るためには馬鹿になり切る練習をすることです。

下座の反対は上座であり、
恩義や義理や人情を相手に売る心です。

これを「やくざ道」と言いますが、実際はほとんどの人がやくざ心で生きています。

上座にいる限り、精神的なすべての道が閉ざされます。

おわびやおかげを感じたら、そのプラスに対するお返しのマイナスの生活に入るのです。

これを下座道といいます。


「捧仕」

「奉仕」には本来、神に仕え奉るという意味があります。

自己を他に捧げるということを強調して、ヨガでは「捧仕」と書き表します。

「捧仕」とは無条件に自己を他に捧げ、そうした生き方に感謝と喜びすら感じます。

ですから、
他に対する怒りや不平不満などの心が生じることなく、
「無」の状態になっています。

この心を捧げることで訓練します。


「愛行」

愛の心とは相手が持っている本当の意味=尊さ=と価値を理解する心のことです。

そして相手が正しく生き、価値を発揮することに協力する行為を愛行というのです。

ですから、人間の場合は「尊愛」でなければなりません。

真の愛ほど強いものはなく、すべてを良いものに変える力をもっています。


以上が「感謝」「懺悔」「下座」「奉仕」「愛行」です。

それと、
「洗心」

洗心は、中国の古典『易教』の「聖人以此洗心(聖人は此を以って心を洗う)」から出た言葉です。

「洗心」の意味は、文字通り「心を洗う」ということです。

神社仏閣には手水があり、手と口を清めます。

そこには、たいてい「洗心」と書いてあります。

それは、手や顔などを洗うとき、心のけがれを洗い浄めるように観想するよう促しているのです。

「洗心」は、

『茶席の禅語大辞典』に、

「心の塵を洗いおとすこと。心の煩累を洗い去り浄めること。また、改心すること。

『易教』に「聖人は此を以って心を洗う』といい、
『後漢書』順帝記には「心を洗う自ず新たなり」とあります。

手や顔などを洗うとき、心のけがれを洗い浄めるように観想する(以下略)」

とあります。


また、「洗心」に関して、

コスモロジーの心の持ち方というのがあり、

「洗心」の
常の心として、

●強く(Be strong)
●正しく(Be righteous)
●明るく(Be cheerful)
●我を折り(Be humble)
●宜しからぬ欲を捨て(Abandon avarice)
●皆仲良く相和して(Maintain harmonious friendship)
●感謝の生活をなせ(Live in gratefulness)

とあり、心掛けたい心としています。

洗心の
ご法度の心として、

●憎しみ(Hatred) ●嫉み(Jealousy) ●猜み(Jaundice) ●羨み(Envy)
●呪い(Curse) ●怒り(Anger)
●不平(Dissatisfaction) ●不満(Discontent)
●疑い(Doubt) ●迷い(Bewilderment)
●心配心(Anxiety) ●咎めの心(Reproach)
●いらいらする心(Irritation)
●せかせかする心(Restlessness)

これらを、避けたい心としています。

こういう心を意識することを、
「洗心」としています。


たくさん経験をする。

いろいろ経験をして、真我へ向かう。

それは、神へ向かうと言う人もいますし、光へ向かうという人も。

「真我へ」は、幸せになるための道です。

調和への道です。

やりたいと思う人は、やってみて下さい。

って、いうか、
少しでもやった方がいいです。

ほんとに、深い深いところで、わかることがあります。

やってみると、やった人だけがわかる世界がありますから。

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