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🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸②

2018-04-01 17:03:52 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸②
(島田 叡(しまだ あきら)さん)


🔹岡田、ではここから、そうした共通点🌟を備えた偉人🌸たちの生き方を実際に紹介していきたいと思います。😊🎵

まず私が、もっと多くの日本人🗾に知ってもらいたい✊と思っている一人が、

「島守の神☀️」

として、沖縄の人々から敬慕💓される戦前💣最後の沖縄県知事🍀、
島田 叡(あきら)ですね。

🔸服部、島田叡は立派🌸な方ですね。

🔹岡田、島田は沖縄戦💣直前の昭和20年1月に 43歳で沖縄に赴任🌸し、

文官📝にもかかわらず、県民と運命💓を共にして自決⚡️した立派✨な人です。

ただ沖縄では有名🔊でも、本土🗾ではあまり知られていません。😵

その島田が沖縄県知事🍀になったきっかけが、本当に立派🌸なんです。😊

これから沖縄は戦場💣になるということで、現職の知事🍀が職務を放棄☁️☁️したため、急遽⚡️後任を決めることになりました。

ところが「死にたくない😵」と皆断る⚡️んです。

それで最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田に、お鉢が回って🔄くるわけですが、

彼は

「私が行かないなら、誰かがいかなければならない。✊

自分は死にたくないから、

他の誰かが行って死ね💢とは言えない🚫」

と、即座⚡️に知事🍀を引き受ける決断🌸をするんですね。

🔸服部、なかなかできない決断🌸です。

🔹岡田、なぜそんなに立派🌸な決断⚡️ができたかといえば、

島田は子供の頃から、西郷隆盛🌸を尊敬💓したしていたのです。

そのことを示すこんな逸話🎵が伝え💕られています。

それは35歳の島田が、警察🚓部長として佐賀県に赴任🌸したときのことです。

毎週土曜日に、地元の和尚さん☀️が私塾で子供たちに『西郷南洲遺訓』の講義🍀をしていることを知った島田は、

「ぜひ聴きたい」と聴講👂するようになります。

そして、公務が忙しい⚡️ときには和尚さん☀️に頼み込んで🙏、

夏は翌朝の4時、冬は5時に講義🍀をしてもらったと。


私はこの話を知り、

「いま時、こんなお役人、政治家はどこにいるだろうか😵」

と、非常⚡️に感動💓しました。

また、偉人🌸になるような人というのは、

必ず歴史上の偉人🌸を尊敬💕している、

心💓に立派✨な人を抱いているんだなと思いました。😊🎵


🔸服部、心💓に立派な人物を抱く🌈。

🔹岡田、さらにその私塾では、夏季研修の際、東京🗼などから偉い先生🍀を招き、

西郷隆盛の特別講義🎤をしていたのですが、

ある先生が、次のような話🎵をしたそうです。

「西郷の腹心の1人である桐野利秋が、

西郷に

『偉い人とは、どんな人ですか』

かと質問した。

すると西郷🌸は、

『偉い人とは、

地位の高さ⤴️でも、財産💰の有無でもない。

偉い人🌸とは、

後(うしろ)から拝まれる🙏人、

死後😇慕われる💕人だ』

と答えた」

それを聴いた👂島田は大変な😵感銘💓を受け、講義が終わった後、

「自分も、後から拝まれる🙏人、死後😇慕われる💕人になられるよう、

修業⚡️を積みます✊」

と、和尚さんや先生たちに、自分の志💓を語ったといいます。


🔸服部、西郷の言葉🍀が島田の生き方に大きな影響☁️を与えたんですね。😊


🔹岡田、沖縄県知事として赴任した島田は、目覚ましい働き✊をします。

その1つが、県民の疎開🌸です。

犠牲⚡️を少なくするため、島田は沖縄本土にいた約49万人のうち、

22万人の人々を、わずか2ヶ月で疎開🌸させるんです。

結果的🌸には、約10万人の県民が亡くなり😇ましたが、

もし島田の努力🌸がなければ犠牲者は、2倍にも3倍にもなっただろう☁️といわれています。

🔸服部、大変な功績👑ですね。

🔹岡田、そしていよいよアメリカ軍との戦闘💢が始まると、

本土から来ていた民間人の避難💨も始まりました。

その時、親しかった新聞社📰の支局長が訪ねてきて

「知事さんは軍人🔫ではないのだから、

沖縄県民と最期を共にしなくてもよいのではないか」

と言います。

しかし、島田は、次のように答えます。

「知事として、私は生きて帰れると思うかね。

県民が、どれだけ死んだか知っているだろう。

私ほど、県民の力になれなかった😢知事はいない✊」

そして、その言葉のとおり、

島田は沖縄に残り、自決して県民と最期を共にしたと。

島田の生き方🍀は、
役人🌸や指導者👆のあるべき姿のお手本📖です。


🔸服部、私も島田のことは、歴史だけでなく、道徳🌸の授業🍀でも取り上げることがよくあるんですが、

生徒たちは、与えられた役割🌸を最後まで責任🍀を持ってやり遂げようとする姿勢🌸に、まず感動💓しますね。

岡田先生がおっしゃったように、島田は本土ではほとんど知られていません。😵

しかし、沖縄の人たちは、今もなお新しい顕彰碑✨を建て、島田を尊敬🌸し続けています。

何といっても、高校野球⚾️県大会で優勝👑した学校🏫に送られる

トロフィーが「島田杯」なんですから。😊


🔹岡田、島田はまさに、西郷隆盛🌸のように、

後から拝まれる🙏人、死後😇慕われる💕人になったのですね。😊☀️

つづく