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近視との付き合い

2022年03月13日 12時47分25秒 | 自分史

    近視との付き合い  

近視の始まり

 私は、中学2年までは視力が両方とも正常視力だった。中学3年のときに、勉強し過ぎで近眼になった。仮性近視のときに、目の矯正をすると近眼が良くなるのだが、放置して手遅になった。

 それから現在まで、眼鏡との長い付き合いが続いている。

 眼鏡使用

 高校から眼鏡を使用し始め、現在まで眼鏡と付き合っている。20代の頃の両眼の視力は0.1位で矯正視力は1.2位だった。自分なりに眼鏡は似合うと思っていた。

コンタクトレンズ

 大学を卒業して裁判所に就職した。夢多き青春時代であり、かっこ良くありたい眼鏡は煩わしいなどから、当時は珍しいコンタクトレンズにした。コンタクトレンズにして、眼鏡を掛ける煩わしさから解放された。

 昔のコンタクトレンズはプラスチック製なので、慣れるまで時間がかかる。少しずつ装着の時間を延ばして、最終的に1日中装着できるようになる。小さな物だから、レンズを水道で洗うときに何度も水に流したことがある。道でレンズを落としたりした。レンズは、一個が1~2万円するので失くすと涙がでた。

 その後に、ソフトレンズが開発されて一般的に使用されるようになる。ソフトレンズは、柔らかいので装着感が良い。しかし、細菌が付着しやすいので、煮沸消毒をしないといけないので面倒くさい。その後、使い捨てソフトレンズが開発されて、煮沸消毒をする必要がなくなった。値段も安くなっている。

 効き目がある

 最近、手には右利き左利きとあるが、目にも右利き左利きとがあることがわかった。私の利き目は左目、物を見るときは両目で見ているようだが、実は主に利き目で見ることが多いみたいだ。物を見るのに主に左目を使っていたのか、近眼の度数が徐々に進行して、20代の頃の視力0.1から0.04位までに落ちて強度の近視になった。

 反対に、利き目でない右目は余り使ってなかったというのか、近眼の進行は止まっていた。年取って老眼が入ってきたことなどの影響から近眼が治った。現在はの視力は1.2の正常視力になった。近眼が治りびっくりした。

不正視力

   視力差があるのを不正視力という。
 眼鏡の場合は網膜に虚像が写るので、不正視力では右と左の差があると、整合できずに目がくらくらする。コンダクトレンズは、網膜に実像が写るので、網膜上左右が上手く整合する。不正視力の左右差が大きい人は、コンタクトレンズが良い。

強度近視は病気

 強度近視は病気であり、眼科でも治療項目に強度近視がある。目の表面レンズと眼底が離れていて、眼底が引っ張られるために、眼底に色んな弊害がでてくる。強度近視の発症病気は、網膜剥離、硝子体剥離、黄斑変性症など色々な症状がある。

 私の左目は、60代で硝子体剥離とフィルム症(物が歪む、視力低下)、70代で黄斑変性症(影が見える、物が歪む、色覚異常、視力低下など)を発症した。

 現在の視力は、右目視力1.2(正常視力)左目矯正で0.5位、右目が正常なので車の運転や日常生活に支障はない。

 車の免許更新

 25歳で取得した車の免許証は眼鏡使用が条件になってた。

 65歳で中型バイク(400㏄)の免許を取った。試験場で視力の適性検査があった。その時に、検査官から「あなたの右目は良い、眼鏡なしで良いかもしれないので視野検査をする。」と言われた。検査結果は、右目が0.7視野が150度あり、視力の適性検査は眼鏡なしで合格した。40年経って眼鏡条件から解放されたて嬉しかった。右目だけでも上記視力があれば車の運転ができるのだ。

 まとめ

 近視になり始めの仮性近視は、早期に治療すること

 目は、手と同じで利き目がある

 強度近視は病気なので、早めに眼科を受診すること

 

 


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