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日々の移ろい

結婚40年

結婚記念日です。

40年前、
9月末迄 私(一人っ子)は 総合商社で働いていました。
母が 次男であり、愛知県に本社がある企業(転勤の可能性が少ない)で働く方を 紹介して頂き お見合いの運びとなりました、

迷いましたが、

お義母さんと会い (既にお義父さんは他界)

この方が育てた方なら と、また

夫の 優しさから 穏便な生活が送れそう、と 話を進めて頂き

この日、名古屋市にて 式を挙げました。

それから、あらあら
いつの間にやら40年。

結婚当時には、想像もしていない展開もありました。

私は一人っ子と言う重みを感じていました

父は、実家の隣に結婚後の家を用意し 口では言いませんでしたが、
そこに住ませて 老後を見てもらう と 父から 無言のプレッシャーを感じていました。

しかし、 既に夫は家を購入し住んでいましたから そこで新たな生活が、スタートしました。

実家に通っての 父の介護には遣り切った感はあります。


40年経ちました。



先月始めの まだ感染者が少しは頭打ちになり始めた頃

この日に県内で二人で祝おう と、宿を予約しました。

一晩なら 姑を一人置いて 行けます。
県内なら午後から出掛けるとして、

夕飯は姑の部屋に並べて、

翌朝の食事は 姑の二間続きの部屋にある冷蔵庫に用意しました。

夫が、姑に、
「今夜は一人で留守番だぞ」と伝えていました。

認知症でも無い 真っ当な頭脳の持ち主です。

私が親なら 「もっと何泊かしてきてもいいんだよ」と、言いたいですが、

姑は、そんな素振りもありません。

先日 手首を捻った時は 予約したホテルをキャンセルせざるを得ないか?と ハラハラしましたから、

まだ 出掛けられるだけでも 良し とします。


夫に尋ねました。

いつも、母の件で
妻からぐぢぐち言われては いても、

貴方は 妻と三人娘を養い、
更に 次男なのに 母親を最後まで看ようとしている、墓の始末やらもと、

「世の男性に比べて どうだ!?」

と、胸を張れるでしょう?


応えは「お陰様で、、」と 夫。



さて、りんごの摩り下ろしも加えた姑の夕飯や

朝ごはんも、冷蔵庫に入れました。

40年分の感慨をなぞりながら、
夫婦で 祝杯を上げてきます。

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