癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★【Rio五輪;女子マラソン】・・・・・3大会続けてメダルと入賞を逃したのは根性のある選手選定の誤りだ!

2016年08月15日 17時06分01秒 | 【五 輪】

      

リオデジャネイロ五輪第10日(14日=日本時間15日、サンボドロモ発着周回コース)女子マラソンで、日本勢は福士加代子(34)=ワコール=が2時間29分53秒で14位に入ったのが最高で、田中智美(28)=第一生命=は19位、伊藤舞(32)=大塚製薬=は46位。3人ともメダル争いから離れた展開のまま終わり、3大会続けてメダルと入賞を逃す結果となった。ジェミマ・スムゴング(31)が2時間24分4秒でケニア勢として初の優勝を果たした。

 時を刻むほどに、スタート時19度だった気温は上昇した。容赦ない直射日光を浴びながら、初めて五輪の42・195キロを走った福士は14位でゴール後、悪びれない笑みをたたえ、大声で包み隠さず本音を漏らした。

 「金メダル、とれなかったぁ! しんどかったぁ! 暑かったぁ!」

 12・4キロ付近。福士は第2集団からスピードを上げ、約15メートルの差をつめてトップ集団へ戻った。勝負への意思を示したが、21キロ付近で後退。みるみる置いていかれた。1月末の大阪国際で優勝後、日本陸連から代表入りの確約を得られないと、最後の選考レースである名古屋ウィメンズへの強行出場を表明。後に見送りはしたが、それほどまで望んだ五輪の舞台で、メダルをつかむことはできなかった。

 22歳で出た2004年アテネ五輪から3度出場したトラック種目では入賞もできず、マラソンに挑戦。日本女子は00年シドニー大会の高橋尚子、04年アテネ大会の野口みずきと連続して五輪で優勝し、福士は「先人たちがいるので、私にもできると思える」と、お家芸に光を見いだそうとした。だが田中も19位、伊藤も46位と日本勢3人は惨敗。08年北京、12年ロンドンに続いて五輪3大会連続でメダルはおろか、入賞も逃した。

 日本陸連は14年にマラソンのナショナルチームを設置。企業の枠を超えた強化をしてきた。同年夏には、女子が米国で約1カ月の合宿を実施。今回の五輪代表3選手も参加し、同じ部屋で過ごす時間もあった。

 だが、結果は「個」の勝負。自分自身で引き受けるしかない。右足薬指に疲労骨折の疑いが出るなど、調整も順調ではなかった福士は今後について「もうやんねえ。走らねえ」と話す一方で、完走直後はこう口にした。

 「マラソンはきつい。ここまでくる過程も。でもこんなに頑張った自分はいない。マラソンは楽しいよ〜」。スタート、ゴール地点はリオのカーニバル会場として有名な「サンボドロモ」。うつむかない笑顔を救いにするしかない。

福士を指導する永山忠幸コーチ「体調を崩したりして(福士は)ちぐはぐな状態で最後の1カ月を迎えてしまった。金メダルを目指していたわけですから、評価は低い」                       














               
          
自分で走れる所まで走り・暑い・寒い・走る選手が早い等々の理由で自分のペースで走るような選手の選定をしているからではないだろうか。今までのメダル取得者を見ると死に物狂いで走り目的を達成している。

ただ簡単コースで1位だった者を何回優勝したからと選定している様な気がする、次の走行の類似コースあるいは過酷なコースを走りぬくガッツある選手を選定すべきだろう。観光気分で走るような選手を選定していないか検証する必要が有るのでは・・
勝つことに執念を持てる選手を選定出来無いだろうか!    


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