鹿児島市出身で、名古屋競馬で1995年にデビュー。2005年には当時の女性騎手の日本新記録となる351勝を達成した。第一人者として活躍していたが、同僚騎手だった夫との間に子どもを授かり、11年に一度、引退。男児2人を出産し、子育てに専念した。
25日に京都競馬場(京都市伏見区)で開催された中央競馬の菊花賞(GI)で、優勝したコントレイル(牡3歳)に騎乗した福永祐一騎手(43)が「三冠ジョッキー」の称号を手にした。19歳でデビューしてから25年目。「天才騎手」と呼ばれた父、洋一さん(71)の背中を追い続け、その父も成し得なかった偉業にたどり着いた。
中央競馬で、3歳馬のクラシックレース皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制した三冠馬はコントレイルが8頭目。騎手は福永騎手が8人目で43歳10か月は最年長だ。レース後、福永騎手は「福永洋一の息子としてこの世界に入り、父が果たすことができなかった夢を自分が果たすことができれば親孝行になると思ってやってきた」と頬を緩めた。
競馬のG1レース「第85回日本ダービー(東京優駿、芝2400m)」が5月27日に東京競馬場で開かれ、ワグネリアンが平成最後のダービーを制した。2着はエポカドーロ、3着はコズミックフォース。
ワグネリアンに騎乗した福永祐一騎手(41)は、今回が19度目の挑戦。悲願のダービー初制覇となった。
レース後のインタビューで福永騎手は「このままダービーに勝てないんじゃないかと思うときもありましたが、沢山の人が支えてくれて、家族が支えてくれて、自分を勇気づけてくれた」と語った。また、ワグネリアンに対して「最後まで一生懸命走ってくれた。馬が応えてくれた」と、労をねぎらった。
2着は、逃げた4番人気の皐月賞馬エポカドーロ(戸崎圭太騎手)。16番人気のコズミックフォース(石橋脩騎手)が3着に入り、3連単は285万6300円の波乱となった。
競馬に携わる全ての人たちにとって憧れの舞台「日本ダービー」。競馬の本場イギリスの「ダービー」を模範に、1932(昭和7)年、当時の目黒競馬場で始まった。1934(昭和9)年からは東京競馬場(東京・府中)で開催されている。1945、46年は太平洋戦争のため中止となった。
85回目を迎えた今回は、2015年に生まれたサラブレット6955頭から選びぬかれた18頭が出走した。皐月賞、菊花賞と合わせて「3冠レース」とされ、いずれも3歳馬が一生に一度だけ出走できる栄光の舞台だが、特にダービーを制することは最高の栄誉とされる。優勝賞金は2億円也
高画質映像【天皇賞・春】武豊・キタサンブラックが逃げ切りで戴冠! 2016年5月1日
【天皇賞・春】武豊・キタサンブラックが逃げ切りで戴冠! 2016年5月1日
<日刊スポーツ:2000年5月29日付>
プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月29日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)は河内洋騎手のダービー初制覇でした。
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「ラストチャンス」にかけたベテラン河内洋(45)の意地と執念が、平成の名手武豊(31)の野望を阻んだ。河内アグネスフライト、武エアシャカールの壮絶な一騎打ちとなった直線の攻防は、7センチの鼻差でアグネスフライトが制した。河内は17回目の挑戦にして初めての日本ダービー制覇。長年の経験を生かした大胆な騎乗での栄光は、世の「オジサンたち」に大きな希望を与えた。史上初のダービー3連覇を狙った武は、あまりにも大きい「7センチ」で、偉業達成を逃した。(日刊スポーツ抜粋)