癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

◆女性騎手・・愛息の言葉で一念発起1000勝・1番人気の馬に乗り、最後の直線で他馬を一気にかわし、決めた

2021年11月19日 14時57分39秒 | 競  馬


鹿児島市出身で、名古屋競馬で1995年にデビュー。2005年には当時の女性騎手の日本新記録となる351勝を達成した。第一人者として活躍していたが、同僚騎手だった夫との間に子どもを授かり、11年に一度、引退。男児2人を出産し、子育てに専念した。

 勝負の場に戻るきっかけは子どもがくれた。現役時代の写真を見た長男に「ママも乗っていたの? 乗っている姿が見たい」と言われ、奮い立った。トレーニングで体力を戻し、16年に騎手に復帰した。

◆後輩女性らに「続いてほしい」

 女性騎手の出産からの復帰は、日本では例がなかった。未明に愛知県弥富市の自宅を出て調教をこなした後、息子を学校に送り出す。育児とレースを両立する日々の中でも、昨年は女性騎手初の年間100勝をマークした。
 レース後、周囲の支えに感謝し、「馬が好き。1日でも長く乗り、かっこいいママの姿を見せていきたい」と今後にも意欲。後進の女性騎手には「私が道筋をつくれたかな。続いてほしい」とメッセージを送った。(WEB抜粋)

◆菊花賞・・・父の落馬死の後を次いだ福永騎手と3冠を得たコントレイル馬!

2020年10月26日 13時56分53秒 | 競  馬


三冠馬となったコントレイルと笑顔を見せる福永祐一騎手(25日、京都市伏見区の京都競馬場で)

25日に京都競馬場(京都市伏見区)で開催された中央競馬の菊花賞(GI)で、優勝したコントレイル(おす3歳)に騎乗した福永祐一騎手(43)が「三冠ジョッキー」の称号を手にした。19歳でデビューしてから25年目。「天才騎手」と呼ばれた父、洋一さん(71)の背中を追い続け、その父も成し得なかった偉業にたどり着いた。

 中央競馬で、3歳馬のクラシックレース皐月さつき賞、日本ダービー、菊花賞を制した三冠馬はコントレイルが8頭目。騎手は福永騎手が8人目で43歳10か月は最年長だ。レース後、福永騎手は「福永洋一の息子としてこの世界に入り、父が果たすことができなかった夢を自分が果たすことができれば親孝行になると思ってやってきた」と頬を緩めた。

 

 

           


◇【日本ダービー】・・・・・・ワグネリアンが世代6955頭の頂点!⇔福永19度目挑戦で涙の悲願V

2018年05月27日 16時47分08秒 | 競  馬



競馬のG1レース「第85回日本ダービー(東京優駿、芝2400m)」が5月27日に東京競馬場で開かれ、ワグネリアンが平成最後のダービーを制した。2着はエポカドーロ、3着はコズミックフォース。


ワグネリアンに騎乗した福永祐一騎手(41)は、今回が19度目の挑戦。悲願のダービー初制覇となった。

レース後のインタビューで福永騎手は「このままダービーに勝てないんじゃないかと思うときもありましたが、沢山の人が支えてくれて、家族が支えてくれて、自分を勇気づけてくれた」と語った。また、ワグネリアンに対して「最後まで一生懸命走ってくれた。馬が応えてくれた」と、労をねぎらった。


2着は、逃げた4番人気の皐月賞馬エポカドーロ(戸崎圭太騎手)。16番人気のコズミックフォース(石橋脩騎手)が3着に入り、3連単は285万6300円の波乱となった。









競馬に携わる全ての人たちにとって憧れの舞台「日本ダービー」。競馬の本場イギリスの「ダービー」を模範に、1932(昭和7)年、当時の目黒競馬場で始まった。1934(昭和9)年からは東京競馬場(東京・府中)で開催されている。1945、46年は太平洋戦争のため中止となった。

85回目を迎えた今回は、2015年に生まれたサラブレット6955頭から選びぬかれた18頭が出走した。皐月賞、菊花賞と合わせて「3冠レース」とされ、いずれも3歳馬が一生に一度だけ出走できる栄光の舞台だが、特にダービーを制することは最高の栄誉とされる。


優勝賞金は2億円也

 

 

 


★【天皇賞・春】武豊・キタサンブラックが逃げ切りで戴冠! 2016年5月1日

2016年05月29日 19時13分24秒 | 競  馬

【天皇賞・春】武豊・キタサンブラックが逃げ切りで戴冠! 2016年5月1日

<日刊スポーツ:2000年5月29日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月29日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)は河内洋騎手のダービー初制覇でした。

◇ ◇ ◇

 「ラストチャンス」にかけたベテラン河内洋(45)の意地と執念が、平成の名手武豊(31)の野望を阻んだ。河内アグネスフライト、武エアシャカールの壮絶な一騎打ちとなった直線の攻防は、7センチの鼻差でアグネスフライトが制した。河内は17回目の挑戦にして初めての日本ダービー制覇。長年の経験を生かした大胆な騎乗での栄光は、世の「オジサンたち」に大きな希望を与えた。史上初のダービー3連覇を狙った武は、あまりにも大きい「7センチ」で、偉業達成を逃した。(日刊スポーツ抜粋)