Happy Herblog♪

“精霊”と共に在る生活

椎の木の精霊

2005-12-04 11:58:59 | Weblog
今朝、明け方夢を見た。
とてもメッセージ性の強い夢で、よくあるパターンで、目覚めた瞬間にビビッと繋がった。

夢で見たイメージは、完全に言葉には語源化出来ないのだが、私達の集合無意識をリアルに象徴しているような、根源的なものだった。

最近の私の意識は、何かの出来事における答えのない問いや憤りを覚えるという感覚は、日々起こりうる瞬間的な感情的な反応を抜きにするとあまり起こらなくなってきている。

寧ろ、瞬間的なネガティブな感情反応が強い出来事の方が、より人類の根源意識を彷彿させ、真に迫ってくるような感覚を覚える。

今朝、夢でこうした意識に繋がった瞬間は、メッセージ性を持つ象徴的なストーリーが展開されてその丁度終幕に、幾つかの日常的な出来事のシーンが重なって視え、そのシーンに対して、無意識に抱いていた問いと答えが同時に繋がるような感覚だった。

きっとこの時期、私だけでなく多くの人が個々に、こういった根源意識を彷彿するような感覚を体験をされていると思います。


今回の夢の中で解ったのだが、私はある人物Pの眼が、私の意識の中で非常に印象に残っていたようで、人物Pの眼の奥から発せられるエネルギーの中からビジョンが展開し、またそれによって幾つかの象徴的なシーンが引き合って視えていた事は非常に興味深い。伝わるメッセージも奥深いところからの根源的なもので、日常的に思いを抱く時よりも、夢で見るとより一層こういった意識をリアルに感じる事が出来る。


この世の中が全て自分自身だったらどうだろう!?

精神世界の短絡的な思想(教義)に聞こえますか・・・?

マヤ族の“In Lak'ech”という言葉・・・もしかすると真実かもしれません。


私の魂のピースの一片が、私達の創造のパズルの一片であると、感覚的に悟っていく瞬間というのは、何かとても深遠な感覚になります。

笑いあり、涙あり、憎しみあり、怒りあり・・・けれどその背後には、大いなる存在、精霊や肉体を持たないけれど私達を影から支え、懸命にサポートしようとする存在の意識を、私は感じずにはいられません。


今朝の夢から目覚めて、暫く経ってから思い出したのだが、昨日、私は椎の実を食べていた。

昨日、母が持って来たものだった。実は母は、父の問題で又頭を悩ませているようだった。熟年離婚も尚しい?と思われる今日この頃だが(-_-;)・・・“それはない”と言う母であった。

母は、昔から何かネガティブな出来事があると自然の中へ出かけていった。
そして木や花や蝶に話かけていたようだ。

今回の椎の実も、そんな気持ちで母は拾ったのだろう。
自分の家族を思い、私達の家族の事も思い、母がいつも、早朝散歩に出かけるグラウンドの小道に椎の実が落ちていて、それを沢山拾って持ち帰り、きれいに洗って炒ったんだと言う。

“きっと精霊さんのパワーが宿っているのではないかと思って・・・”昨日、帰り際母は言った。私は半分他の用事に気を取られながら、ふんふん、、と返事をしていた。


私は夢から覚めて、まだ印象が鮮明なうちにと、母に電話をかけた。
そして夢のおおまかな内容と、お礼を言った。精霊からのメッセージもあったので、それも母に伝えた。母も喜んでいた。

早速私は娘と、椎の実を棚に飾って香を焚き、感謝のお祝いをした。

椎の木の精霊さん、どうもありがとう。。



(KIN:235 青い磁気の鷲/心を引きつける)