横浜イングリッシュガーデンや住宅展示場がある横浜・平沼の土地を所有する一部上場企業にお願い事があって、後輩と2人で窓口になっている人事総務部長を尋ねたのである。
虫の良いお願いに行ったのだが、どういう方法があるか一応検討しましょう、ということになった。門前払いでなくて幸いである。この部長さんは一度危機に直面した際、親身になってひと肌脱いでくれた人物である。今回も真摯に向き合ってくれるところは好感が持てるし、さすがは一流企業のエリート部長である。若くて物腰がスマートなのだ。
後輩とは東京駅南口の旧東京中央郵便局跡地にできたKITTE1階で14時30分に待ち合わせたが、大変な人混みだった。どうも丸の内一帯に人が多いなと思っていたら、この日から皇居乾通りが公開されていて、紅葉見物に訪れた人たちが流れてきていたようである。
この中央郵便局は思い出の深い場所である。
小学校の3年生ごろ、当時は父親の仕事の関係で千葉市内に住んでいたのだが、広尾の有栖川公園の近く、ユーゴスラビア大使館の隣に住んでいた親戚を尋ねる際、中央郵便局の目の前のバス停からバスに乗って行くのである。
チョコレート色をした総武線の電車ではるばる秋葉原まで来て、山手線に乗り換え、東京駅で降りて今度はバスに乗り換える大冒険であった。その「等々力」行きのバス停の前に建つ中央郵便局の庁舎は心細い思いで辿りついた子ども心に格好の目印、安堵の目印だったのである。
このバスの終点・等々力にほど近いところに同い年の小学生の妻が暮らしていたのである。そのころから赤い糸で結ばれていたんである !?
奇しくもと言うべきか、家に帰ると梅の図柄の82円切手が張られた一通の普通郵便が届いていた。
さるテレビ局の番組審議委員をご一緒したこともある大先輩のご婦人からであった。
横浜では有名な女性で、今では女性の社会進出など珍しくもないが、かなり早い時期から世に出て活躍してきた。
若いころは妻子ある男性と大恋愛し、駆け落ちまでして一緒になったという情熱の持ち主でもある。
手書きしたものをコピーした文面はこう告げていた。
「元日。わが家の郵便受けは数百通のお年賀状で溢れます。この状態は数日続き…略…仕分けとご返信の作成に三が日はおろか、七草のころまで忙殺されるあり様」とあり、さらに「正直なところ忙しい最大の原因は『老化によるボケの進行』で、一つのことを片づけるのに、以前の3~4倍の時間と労力がかかるようになりましたが、今後はさらにかかるに違いない…」と切実な状況を明らかにし、「真剣に悩んだ末に私、決心いたしました。『来年からお年賀状は一切差し上げない事にさせていただこう』と。ご返信もすべて控えさせていただきます」「我儘は承知の上での、苦渋の決断でございます。こんな無礼な私をどうかお見捨てなく…」とも。
いいですとも、いいですとも。
来年から正月はお孫さんたちとゆっくり、のんびりお過ごしください。それがお正月というものです。
勇気ある手紙である。痴呆が進んでも女傑の面目躍如というべきか。

東京中央郵便局庁舎跡にたてられたKITTE1階に据えられた雪化粧のもみの木