寒に入った真冬とは思えないくらい穏やかに晴れ上がった空の下、わが俳句結社「二合会」は江ノ島に吟行し、藤沢駅前に戻って初句会を開いた。
原則として毎月開いている句会だが、新しい年の初めての句会と言うのは、やはりウキウキするものである。
天候に恵まれたこともあって、それはひとしおなのだが、年を重ねてきているメンバーに気がかりなことも起き始めていて、2人もドタキャンが出た。
ひとりはボクと同い年の仲間で、認知症の奥さんを施設に入れて独り暮らしを始めたのだが、やはり食生活も含め、何かと生活の歯車が狂ってしまったのだろう、血圧が上昇して具合が悪く、医者から安静を告げられたというのだ。
もう一人はボクより3つか4つ年上の仲間で、そのツレアイに重い病気が見つかり、これから医者の説明を聞きに病院へ向かうので…と言うことだった。
2人ともなかなか個性的な人物で、一人はパリで5年も絵の勉強に励んだ画家、もう一人は現役時代のボクが毎晩のように足を運んだ行きつけの飲み屋のオヤジである。
その2人がいないのだから、やはり合評の場は何とも寂しいものとなってしまった。
この2人とは別に、このコロナ禍では思うように句会が開けず、長いこと休会にしていたが、その間にメンバーの1人がやはり病気で奥さんを亡くしたほか、最高齢だった80歳を過ぎたメンバーの女性の音信が絶えてしまった。
心配していると、1度だけ本人と電話がつながったが、話は要領を得ず、重い病気にかかったことだけをうかがわせて電話は切れてしまった。
風の便りでは息子さんのところに身を寄せて養生しているらしい。
さらに心臓を病んでいるメンバーがいて、彼はコロナのワクチンも打っていないことから人混みへの外出を極端に避けていて、ずっと句だけを送ってくる投句参加の状態である。
かくして、年明け早々からなんとか集まれるのは、ボクを含めて6人という心細い状態になってしまった。
トラブルを抱え始めたメンバーの何人かは、コロナ禍がなければ元気でいられたかもしれず、例え感染を免れたとしても3年間の不自由な蟄居生活が多くの人の心と体を蝕んでいったのだということを思わざるを得ない。
「おのれコロ公めっ!」「いい加減にしろっ!」
…そう叫びたい気分だ。
2020年2月の句会までは合評の席だけでは酒の量は物足らず、句会終了後にも場所を変えて二次会に繰り出してわいわいやっていたのに…
あれは夢か、それとも幻だったのか…

集合は小田急片瀬江ノ島駅

富士山を仰ぎながら弁天橋を渡る

橋を渡り終えるとすぐに青銅製の鳥居がお出迎え

この鳥居を建てるにあたって寄付をした人々の名前が刻まれている

浅草新鳥越町 世話人 八百屋善四郎 の名前も

土産物屋などが立ち並ぶ参道を抜けると、いよいよ壁のような階段が待ち構えている

江の島神社のシンボルは龍神


源頼朝ゆかりの八臂弁財天、歌舞音曲・芸能に霊験あらたかとされる妙音弁財天が祀られる弁天堂

穏やかな1日でありました