曽野綾子「高齢者を急速に
認知症にさせる要素とはなにか。
自立した生活をできるだけ続けることが
暮らしの基本で、健康法である」
人生100年時代と言われる昨今、1931年生まれの作家、曽野綾子さんも現在91歳となりました。
60代、70代、80代、90代と年齢を重ねるにあたって変わる体調や暮らし、
人づき合いへの対処法についてさまざまな考えを巡らせてきた曽野さんですが、
特に「60歳に差し掛かったら、そこからいかに生きるか」をあらためて考えるべきと言います。
一方、高齢になって健康を維持するには、
自立した生活を送れるかが重要と考えているそうで――。
◆ぶり大根をお菓子代わりに
私は毎朝、食事が終わると、昼と夜のおかずを決める。
冷凍の食材をとかす必要がある場合が多いからなのだが、
昼には我が家では小型の「従業員食堂」が開かれて秘書もいっしょに食事をするし、
夜は夫と二人の少人数で、あまり手をかけたくないからである。
しかし私は昔から、どうしても家で作ったご飯を食べなければおいしくない、
という先入観を持っていた。たまにはコンビニの食べ物の便利さに感動もしているが、
やはり基本は我が家で作ったおかずである。ぶり大根など煮ると、
たまたま仕事で来られた方にも、お菓子代わりに出している。
ほんとうは、お菓子などを買いに行くのが面倒になってきたからである。
◆もやしのひげ根と夫
最近私は朝ご飯の後で、すぐに野菜の始末をすることにした。
お昼にもやしと豚肉の炒めものを作ろうと決めたら、
朝飯の後でもやしのひげ根を夫にも手伝わせて取るのである。
夫は90歳近くなるまで、もやしのひげ根など取ったことはなかったろう。
ひげ根については、友人たちの間でも賛否両論があり、
私は面倒くさいからそのまま炒める、という口だったが、
週末だけわが家に手伝いに来てくれる92歳の婦人は、
ひげ根は取るのと取らないのでは、味に雲泥の差がつくという。
◆慎ましさを失うと、魅力的な人間性まで喪失する
夫を巻き込んだのは、私の悪巧みである。 私は常々、
「人は体の動く限り、毎日、お爺さんは山へ芝刈りに、
お婆さんは川に洗濯に行かねばなりません」と脅していた。
運動能力を維持するためと、前歴が何であろうと――
大学教授であろうと、社長であろうと、大臣であろうと――
生きるための仕事は一人の人としてする、という慎ましさを失うと、
魅力的な人間性まで喪失する、と思っているからだ。
それと世間では、最近、認知症になりたくなければ、指先を動かせ、
字を書け、というようなことが信じられ始めてきたからでもある。
◆生活に一人前に参加しているという自足感
料理もその点、総合的判断と重層的配慮が必要な作業だという点で、
最高の認知症予防法だということになってきた。 もやしのひげ根でも、
インゲンまめの筋でも、二人で取るとなぜか半分以下の時間でできる。
三人で取れば、四分の一くらいの時間で作業は終わってしまう。
家族で同じ作業をほんの数分間する、その間にくだらない会話をする、
ということの効果は実に大きい。 老人からは孤立感を取り除き、
自分も生活に一人前に参加しているという自足感を与える。
◆自立した生活こそが健康法
そして自称「手抜き料理の名人」である私にしてみると、
野菜の始末さえできていれば、料理そのものはほんとうに簡単なものである。
昔、引退したらゆっくり遊んで暮らすのがいい、
と言われた時代であったけれど、私の実感ではとんでもない話だ。
「お客さま扱い」が基本の老人ホームの生活、病院の入院、
すべて高齢者を急速に認知症にさせる要素だと私は思っている。
要は自分で自立した生活をできるだけ続けることが、
人間の暮らしの基本であり、健康法なのだ。
※本稿は、『新装・改訂 六十歳からの人生』(興陽館)の一部を再編集したものです。
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