木漏れ日にみちびかれて

~I'm a beLIEver ∞ MJ still alive~

Man In The Mirror 2/7

2010-03-27 | マイケル 曲
★SFに出てくる人物 Ⅰ


ジョン・F・ケネディー(1917年5月29日 - 1963年11月22日)
第35代アメリカ合衆国大統領。キューバ危機を回避。ベトナム戦争早期撤退を計画。一般的には清新なイメージのリベラル派とされ、アメリカ国民からの期待も高かった若き大統領であったが、任期半ばの1963年にダラスにて暗殺される。暗殺の真相は未解明であり、様々な陰謀説が流れている。ケネディの暗殺は現在に於いてもアメリカ社会に暗い影を投げ掛けている。


ロバート・ケネディ (1925年11月20日 - 1968年6月6日)
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの実弟で、兄の任命により同政権の司法長官(1961年-1964年)を務めた。1963年にケネディ大統領が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して11月に勝利したが、1968年に、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺された。



マーティン・ルーサー・キング牧師(1929年1月15日-1968年4月4日)
アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師である。キング牧師の名で知られる、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者的役割を果たした活動家。「[[I Have a Dream>I Have a Dream]]」(私には夢がある)で知られる有名なスピーチを行った人物。1964年のノーベル平和賞受賞者。2004年の議会名誉黄金勲章受章者。アメリカの人種差別(特にアフリカ系アメリカ人に対する差別)の歴史を語る上で重要な人物の一人である。


レフ・ヴァウェンサ大統領(1943年9月29日 -)
ポーランドの政治家、労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国第2代大統領。日本ではレフ・ワレサとも表記される。ノーベル平和賞受賞者。
☆ポーランド民主化運動について
ポーランドは1919年まで、ロシア帝国の領域下に組み込まれており、元々反ロシア的感情が強い地域であった。
ソ連の衛星国に組み込まれてからも1956年、1970年と反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた。ポーランド政府はソ連による全面的な介入を防ぎつつ、ある程度彼らの要求を聞き入れる、という事を繰り返してきた。
1980年からはレフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が活動を活発化しており、翌1981年「連帯」を非合法化。1983年に戒厳令が解除されたばかりであった。しかし非合法とされながらも「連帯」は以降も活動を続け、彼らを中心とした勢力は依然として国内改革と民主化を要求し、ポーランド共産党による政権を揺るがし続けた。
又1978年にポーランド人として初めてのローマ教皇となるヨハネ・パウロ2世が誕生すると、これはポーランド人のナショナリズムを大きく鼓舞し、反ロシア感情を一層大きくする結果となった。ポーランド人はカトリックでロシア人の正教会とは違うと言う自負があったからである。(中略)最終的に従来のポーランド統一労働者党による政権は下野し、レフ・ヴァウェンサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。


マザー・テレサ(1910年8月26日 -1997年9月5日)
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか6人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。


デズモンド・ムピロ・ツツ司教(1931年10月7日 - )
南アフリカの平和運動家、アングリカン・コミュニオン(=俗に言う「英国国教会」)南アフリカ聖公会のケープタウン大主教。1984年にノーベル平和賞を受賞。
☆アパルトヘイト
南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を差別的に規定する人種隔離政策のことを指す。
☆ツツ司教の演説・声明
http://page.freett.com/gpwn/ap20020429.htm
http://www.tibetsupport.net/?p=9


ジョン・レノン(1940年10月9日 - 1980年12月8日)
1960年代に世界的人気を得たロックバンド・ビートルズのリーダーであり、世界で最も成功したシンガー・ソングライターの一人であった。ビートルズ時代には、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、1970年のビートルズ解散後はソロ・シンガーとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコとともに平和運動家としても活動した。1980年12月8日(ニューヨーク時間)、ニューヨーク市の自宅アパート「ダコタハウス」前においてファンを名乗る男に銃撃され、40年の生涯を閉じた。


オノ・ヨーコ(1933年2月18日 - )
前衛芸術家、音楽家。ビートルズのジョン・レノンと結婚、レノンとの数々の共作でも知られている。
1953年、20歳のとき、学習院大学からアメリカ合衆国のサラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。1959年から、ニューヨークを拠点に、前衛芸術家として活動を開始。1966年、活動の拠点をイギリス、ロンドンに移す。同年11月に個展を開催、その会場でジョン・レノンと出会い、1969年結婚。1960年代後半から1970年代にかけて、レノンとともに数々の創作活動や平和運動を行なう。レノン亡きあとも「愛と平和」のメッセージを発信し続け、世界各地で個展や音楽活動を行なうなど、今も活動している。


マハトマ・ガンジー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー:Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、弁護士、宗教家、政治指導者。
南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した。この思想(彼自身の造語によりサッティヤーグラハすなわち真理の把握と名付けられた)はインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特にガンディーに倣ったと表明している指導者にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世等がいる。
1948年1月30日、ガンディーはニューデリーのビルラー邸で狂信的なヒンドゥー原理主義集団民族義勇団の一人ナートゥーラーム・ゴードセーनाथूराम गोडसेらによって暗殺された。78歳であった。3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンディーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である。そして、ガンディーは「おお、神よ」(「ヘー ラーム हे राम」)とつぶやいて事切れたという。国葬が行われ、遺灰は、ヤムナー川とガンジス川に撒かれた。
『非暴力と非服従~ガンジーとキング牧師~』


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