榛名古道

ブログでは「榛名古道」と名乗っています。

スルス峠の道探索図2

2021-11-04 12:11:22 | 榛名古道
  |    
  O―――Q S           V          
         \        / | 
          ―谷―T―U―   
              |        
                      | 
                    ロ  |  
                    |  |    
                    ニ―ハ     
                    |         
                    |          Y  
                           /                                    
凡例:
「|」「―」「/」「\」:踏み跡が明確な区間及び、踏み跡は不確かだがテープ目印の誘導するルートが明確な区間。
「‥」と「:」:踏み跡が不確かでテープ目印もない区間。
谷:小さな涸沢を渡る箇所。
ガリ;この付近によくある、谷とも言えない草付きの溝状の地形(ここではガリと呼ぶ)を渡る箇所。
◇:「保安林」という文字のある黄色い標識。榛名山では古い道沿いに建てられていることがあり、スルス峠の道沿いにも3本発見できた。なお、クタビレ爺イさんによるともう1本あるようだが、私は発見できなかった。おそらく図1の「K地点」付近と思われる。
青字:「スルス峠」から「右京の泣き掘り(右京の無駄掘り)」及び「ガラメキ温泉」に至る現行の道。青い目印テープと、赤系の色で光を反射する目印テープが多い。
O:現行道が青い目印テープで左折して夕日河原A渓谷へ直進するのに対して、右斜め前に曲がる踏み跡がある。
緑字:現行道でも古道でもない踏み跡や印の付いているルート。
P:踏み跡はすぐに不確かになり探索できなかった。
Q:現行道が夕日河原A渓谷の右岸の段差を下って河床に到達する。幅の広い涸沢であり、徒渉点は僅かに上流にある。
赤字:私が探索できた「スルス峠の道」。
R:現行道の徒渉点。右岸に「保安林」という文字のある黄色い標識や、青と黄色の目印テープがある。古道の徒渉点であるC1はここより上流ではないかという説もあるが、「R」地点からは現行道と古道が一致すると思われるので赤で表記する。
S:道の左側に炭焼き窯跡がある。
T:丁字路だが左折する踏み跡もあるので十字路に見える。
「丁字路」「炭焼き窯跡」「夕日河原A渓谷」は下のクタビレ爺イさんのブログの中ほどに写真がある。私のブログとは逆に下から上に進んでいる。

U:右岸が崩れている谷。対岸には斜めにスロープ状の道がついている。
V:夕日河原B渓谷(涸沢)を回り込みながら渡る。(今昔マップでは等高線1020-1030m)
W:ガリの中を通っている。
X:右側に植林帯が現れるころから道が太くなる(道が今も林業で使われているからと思われる)。間もなく道の左に赤とピンクの目印のテープがあり、「ハ地点」への下降点を示している。
Y:「X地点」から長い距離を下り、「Z地点」を目視できるほどの間近にある三叉路。右は風穴への道(今昔マップでは二重破線)だが、すぐに植林帯の中に入るので辿りにくいと思われる。もし辿れれば下のクタビレ爺イさんの迂回路以上に近い、県道28号からガラメキ温泉への最短コースとなるのだが。
Z:相馬山と鷹ノ巣山との鞍部(前述のように私は「プリン掬い峠」と呼んでいる)。探索できたのはここまでだが、以降も明確な道が続いているのが見えた。なお、今昔マップでは等高線890m付近で沢(前述の「詳説デ・レイケ堰堤ガイドブック」では「中河原」と呼ぶ)を渡渉して以降は現在の地形図に表示されている車道(現地では未舗装の林道)とほぼ一致する。
イロ間:
クタビレ爺イさんの別のブログの中ほどにあるように、

ヤブ化していて探索では辿れなかった。
ハ:「X地点」から植林帯の中を南南西に一直線に降ると夕日河原B渓谷(涸沢)の左岸に出る。渡って右岸の土手を登る青い目印を辿ると「ニ地点」。
ニ:イロ間を下ってきた道と、「ハ地点」から土手を登ってきた青い目印が出会う。
ホ:右岸の土手の上をしばらく下流に行くと、目印は右折して夕日河原A渓谷とB渓谷の間の一段高いヤブに覆われた地帯を横断する。青い目印に従ってA渓谷の左岸の土手から降ると、正式には夕日河原4号堰堤というデ・レイケ堰(デ・レーケ堰)がある。

スルス峠の道探索図1

2021-11-04 11:38:53 | 榛名古道
スルス峠
| |    
| A―――――――B―――――――C
|  ED――――――――――――
|  ‥‥‥F
|      :
― α―   ‥‥Gガリ
  |             |
  |    β         
               |
        ―K――J    I(EYE)
         |   |   |
        |  |   ―――
        |  ――L   
        |  M  
        |  :
        | /
        N              
        |           
        O  
凡例:
「|」「―」「/」「\」:踏み跡が明確な区間及び、踏み跡は不確かだがテープ目印の誘導するルートが明確な区間。
「‥」と「:」:踏み跡が不確かでテープ目印もない区間。
谷:小さな涸沢を渡る箇所。
ガリ;この付近によくある、谷とも言えない草付きの溝状の地形(ここではガリと呼ぶ)を渡る箇所。
碑:ブログの読者の方が発見した明治32年の馬頭尊の石碑。石碑の前と後ろに二本道があり、物資を運ぶ馬が通ったのは鞍部ではなくこの石碑の前後だったようです。スルス峠の道探索図2のコメントや下の記事をご覧ください。
青字:「スルス峠」から「右京の泣き掘り(右京の無駄掘り)」及び「ガラメキ温泉」に至る現行の道。青い目印テープと、赤系の色で光を反射する目印テープが多い。
α:「右京」に下る道から「ガラメキ」に下る道が右に分岐する丁字路。青とピンクの目印がある。
β:「α地点」からは探索できなかったが、「K地点」から白い目印テープが左上方向に続いているのを見た。
赤字:私が探索できた「スルス峠の道」。
A:「右京」に向かう現行道(峠から南南東)の右隣りを並行するが、すぐに踏み跡はササヤブの中で左(東南東)に曲がる(C9)。
B:ササヤブの中に青い目印テープが現れる。
C:馬を通すための敷石が長い区間敷かれている。道は西南西に切り返し(C8)、その後目印テープはなくなる。
D:大雨で崩れたと思われるガレ場の先で踏み後が不確かになる。
E:正面(西)に見える小尾根(二万五千分の一地形図で「するす」の「る」の文字がある岩の基部と思われる)の手前で切り返す(C7)ようだが、不確か。
F:ヤブの中に再び敷石が現れるが、区間は短い。その後、踏み跡に誘われて右折して道を見失う。
緑字:古道を見失って辿った別の踏み後。C6とC5をショートカットしているらしい。「谷」はA3か。
G:踏み跡はガリの中を通っているらしいのだが、不確か。
H:先ほど渡ったガリと並行な明確な道に出会う。古道に再会したと思っている。
I(EYE):崖の上から夕日河原A渓谷を見下ろせる。「1050」の等高線が四角く凹んでいる辺りだと思われ、崖下に拡がる広い谷が壮観である。ここがC4だと思っている。C4だったとして、切り返した後、C3は左曲がりのはずだが、踏み跡に誘われて直進して再び古道を見失っている。
J:ガリの左岸で右折して左岸を少し遡り、ガリが(上流を向いて)左に曲がる辺りでガリの中に入り、次にガリが右に曲がる際に直進してガリを出る。Hの直前で渡ったガリと同じガリの下流部分かもしれない。
K:直進は白い目印テープが続いている。方向から予想するに「右京」を通り過ぎて「α地点」に至ると思われる。
L:Jのガリと並行に(少し下流に戻るように)進んだ後、そのガリの右岸にある白の目印で反転する。
M:正面(西)に見える、岩で終わる小尾根の手前の平地辺りで左折するらしいのだが、不確か。
N:「α地点」からの道に「β地点」からの踏み跡が合わさる。その辺りで右(西)の崖下から沢の水音が聞こえる。

榛名山のスルス峠について

2021-11-04 11:12:42 | 榛名古道
「スルス峠」は榛名湖と旧箕郷町(現高崎市)を結んでいた峠です。麓から峠に至る道は今では廃道と化している区間があり、それだけに探索のしがいがあります。

明治時代以降に盛んに使われた道ですが、自動車が物流の主役を担う以前の道という意味で、私のブログでは「古道」として扱います。

なお、地形図では「磨墨峠」の表記ですが、「摺臼峠」や他の表記もされることがあり、私のブログでは「スルス峠」で統一させていただきます。



このブログにまとめたきっかけはクタビレ爺イさんのブログでの山はこれからさんのコメントです。

Unknown (山はこれから)
2021-05-15 01:21:43
(略)それから、スルス峠から表口石標までの山を巻くルートが不明です。
少々話が逸れますが、土屋文明氏が高崎中学時代の習作で「枯野抄」という作品が、ガラメキ温泉が舞台で、高崎からガラメキへ向かう途中、松之沢へ迷い込みやすい、とか、温泉湯の描写、温泉からスルス峠、とか、往時の様子を伺い知ることができます。

私が複数回の探索を行ったところ、スルス峠から表口石標までのルートがだいぶ分かってきました。後述するように遺跡として馬を通すための敷石が二か所発見できました。




「群馬県歴史の道調査報告書第二〇集 信仰の道」

「奈良文化財研究所」の中の「全国遺跡報告総覧」
で読むことができます。

55ページから111ページが榛名山に関する部分ですが、特に57,62-65,85,90-92ページが黒髪山表口登拝路を扱っている箇所で、スルス峠の道とも重なっています。

ちなみにこのシリーズ「歴史の道調査報告書」は各都道府県ごとに作成されており(群馬県は全二十集)、古道探索愛好家にとって情報の宝庫です。道だけでなく周辺の石造物なども載っています。

榛名山の古道という点では同シリーズの「三国街道」、「信州街道」、「吾妻の諸街道」も見ておくとよいと思われます。特に、後述するように本ブログではスルス峠の道の起点を下小鳥にある三国街道の道標としていますので、起点に関しては「信仰の道」より「三国街道」の方が詳細です。

「良好な自然環境を有する地域学術調査報告書 44」
スルス峠を扱った資料ではありませんが、「相馬山・黒岩県自然環境保全地域」の38-39ページに榛名湖付近の開発史が短く載っています。

「榛名湖は古来榛名神の「みたらし沼」として不入の地とされていた」
「1884年(明治17年)には沼ノ原に榛名牧場ができいてる」
「蚕種飼育・採氷・養魚を目的として榛名湖畔に人が住みつくようになったのは明治20年代」

これらから、後述する二万分一地形図図に見えるような、馬道としてのスルス峠の道が整備されたのは明治20年頃以降のことではないかと考えられます。

前橋及高崎近傍17号(共17面)
大日本帝国陸地測量部/編 -- 大日本帝国陸地測量部 -- 〔1910〕 --
明治四十年測図の二万分一地形図を群馬県立図書館がデジタル化した資料です。

県内全域はカバーしていませんが、スルス峠の道はHTML版では005「榛名湖」、008「榛名山町」、009「柏木澤」に載っています(PDF版も同様)。

その「榛名湖」の図の右下の隅を拡大すると、スルス峠を通る片側実線片側破線の道が下のような形に見えると思います(地形図における道の表示は、先の「枯野」にある荷を載せた馬が通ったという記述とも整合します)。「C〇」はこのブログで便宜上使うカーブの番号で、「∃」は土の崖の記号です。

\  / — C8
 C9  / 
  C7――
      \ 
       C6
      /
     C5
      \
       C4   
       /                 ∃
      C3    C1 ∃ 
       \  / |∃
        C2  ∃\ 

「詳説デ・レイケ堰堤ガイドブック」
こちらもスルス峠を扱った資料ではありませんが、このブログで使う地名の多くはここから取っています。代表的なものが「夕日河原A渓谷」と「夕日河原B渓谷」です。夕日河原A渓谷は二万五千分の一地形図における「磨墨峠」と「相馬山」の文字の間の「1207」の文字の辺りを源頭とする谷/沢で、標高980メートル付近の十字渓の下流も含みます。B渓谷はA 渓谷の東側を並走して標高900メートル付近で合流する谷/沢です。A渓谷とB渓谷の合流後は「黒岩川」とも「榛名白川」とも呼ばれます。その黒岩川が標高650メートル付近で合流する沢が「中河原」で、中河原の方を「榛名白川」と呼んでいる資料もあります。中河原に標高600メートル付近で合流する沢が「栗の木沢」です。「榛名白川」は狭義では中河原と栗の木沢の出合より下流を指します(「詳説デ・レイケ堰堤ガイドブック」40ページ)。

先ほど拡大した「榛名湖」の図に戻ります。「1050」の等高線を見ますと、スルス峠(鞍部)からダイレクトに続く谷が等高線の凹みとして表現されています。この谷をA渓谷の支流ということで「A1」とします。同じ「1050」の等高線を東にみていくと、「A1」と、本流であるA渓谷との間に凹み(=谷)が三か所あることがわかります。それぞれの谷を「A2」「A3」「A4」とします。カーブ番号と合わせて見ますと、C1はA渓谷の徒渉点、C2とC3付近ではA4がどこなのか不詳ですが、C4、C5、C6はA3とA4の間にあるように見え、C6とC7の間で道はA3を渡り、C8とC9の間でA2の源頭部を通って、C9の右曲がりででA1の源頭である鞍部に到達しています。

山はこれからさんがおっしゃっている土屋文明の「枯野」も収録されていまし、他にも榛名湖の氷切りの話など、明治から昭和初期にかけての榛名山での人々の暮らしぶりがうかがえます。

「群馬の峠 西北の地 三山の地」岩佐徹道
の120ページ。

カツギ屋がスルス峠を通って物資を担ぎ上げたり、榛名湖の氷を馬で降ろしたりしていた話や、箕郷の子供がスルス峠を通って榛名湖までスケートをしに行った話が載っています。

「プリン掬い峠」について:

「スルス峠」から麓に向かって下ってゆくと、相馬山頂から南に垂れる尾根と鷹ノ巣山から北に垂れる尾根がつくる鞍部(標高920-930メートル付近)を通ります。私はこの鞍部のことを「プリン掬い峠」と呼んでいます。なぜなら、私の住んでいる麓から見ますと、相馬山から鷹ノ巣山にかけての稜線がつくるカーブの上にちょうど榛名富士が乗っかって見えるからで、スプーンでプリンを掬う様子に見立てているのです。

こちらのPIXTAさんの写真で説明しますと、左寄りに写っている最も高い山が相馬山、その左が榛名富士、さらにその左が鷹ノ巣山です。



以上、長々と述べてきました。探索図は別記事にしました。