母校で大学祭(外語祭)が行われている。そして、毎年恒例、外語祭の時期に語学研究所(といっても、そういう建物があるのではなく、研究講義棟内の大部屋)にて、「言語学的懇親会」なるものが催され、今年も参加させていただいた。
「言語学的」と銘打ってあるように、この懇親会では、毎年、何らかの言語学的タスクが課される。一昨年は、「日本語で敬語が発達していなかったら」という設定で、その場の全員が、いわゆる「タメ口」を叩くというもの。昨年は、「もし、日本語が外国語と接触しなかったら」という設定で、外来語を一切使わずに会話することだった。
今年のタスクは、各自、死語をひとつづつ挙げよというもの。それで私が挙げたのが、「回教」だ。私が大学受験を控えていた頃は、当たり前に使われていた呼称である。(大雑把に言うと、その昔、ウイグルのイスラーム教徒を回回(ふいふい)と呼んでおり、その人たちの宗教ということで、回回教、略して回教となった。)しかし、今では、
「『イスラム』ではなく、アラビア語の発音に近い『イスラーム』と呼ぶべきだ」
と言われるレベルに上がっている。
さて、宴のメンバーの皆さま満場一致で「回教」は死語と認定されたが、そのとき、アメリカ人の先生が、
「アメリカでは、中東・イスラーム関係者は『イスラム』と発音するけれど、
そうでない人たちは『イズラム』と言っている」
とおっしゃる! あとでリーダーズ英和辞典を調べてみたら、確かに、Islam の発音の筆頭が だった。
「言語学的」と銘打ってあるように、この懇親会では、毎年、何らかの言語学的タスクが課される。一昨年は、「日本語で敬語が発達していなかったら」という設定で、その場の全員が、いわゆる「タメ口」を叩くというもの。昨年は、「もし、日本語が外国語と接触しなかったら」という設定で、外来語を一切使わずに会話することだった。
今年のタスクは、各自、死語をひとつづつ挙げよというもの。それで私が挙げたのが、「回教」だ。私が大学受験を控えていた頃は、当たり前に使われていた呼称である。(大雑把に言うと、その昔、ウイグルのイスラーム教徒を回回(ふいふい)と呼んでおり、その人たちの宗教ということで、回回教、略して回教となった。)しかし、今では、
「『イスラム』ではなく、アラビア語の発音に近い『イスラーム』と呼ぶべきだ」
と言われるレベルに上がっている。
さて、宴のメンバーの皆さま満場一致で「回教」は死語と認定されたが、そのとき、アメリカ人の先生が、
「アメリカでは、中東・イスラーム関係者は『イスラム』と発音するけれど、
そうでない人たちは『イズラム』と言っている」
とおっしゃる! あとでリーダーズ英和辞典を調べてみたら、確かに、Islam の発音の筆頭が だった。
次が、ムスラム、ムズラムですね。「リ」とはっきり発音するのではなく、シュワーに弱化するのですね。勉強になりました。ありがとうございます。
「おっぱっぴー」
「直説法未来」
などなどがありました。あとは、記憶の中から、アルコールとともに去りぬ。直説法未来というのは、ポルトガル語だか何だかの用語だったらしいのですが、これも酒とともに去りぬ。
他の例に translate を[tranzleit]と発音する人が多いことをあげることができると思います。[n]も有声音。