昨日(2004年9月13日)夕刻、アテネで最も大きいといわれる教会、ミトロポレオス大聖堂を訪れました。キリストの肖像や聖母子像に接吻して祈る人々の姿が途切れることがありませんでした。
午後6時半。教会の鐘の音が悲しく鳴り響きました。こんな鐘の音は、私のような不信心者の心にさえ、何かを語りかけながら響き渡ります。
隣のアギオス・エレフテリオス教会は、対照的に、ほんとうに小さな教会で、ガイドブックによれば、12世紀の建造、今春、修復工事のために閉鎖されていたようですが、幸い、昨日は開いていました。ただ、一度に大勢の人は入れず、列になって順々に入るようです。入り口の右側に、白い花輪が飾ってあるのが異様な雰囲気で、躊躇しましたが、「アテネ2004」の袋を提げた人も列に並んでいたので、えいやっと一緒に列に並んでしまいました・・・これが間違いのもと。
並びながら周りを見ると、少数とはいえ、警官が警備に当たっているし、堂内からは、聖職者達の淋しげな歌声が流れてきます。入り口にかなり近くなって、教会の中を見ると、ギリシア国旗に包まれた何か、いや何かではなく明らかに棺が見えます。弔問客が、棺に接吻しています。やっぱり観光客が入ってよいところではなかったのです!大慌てで列から離れました。
後ろに下がってみると、テレビ局も取材に来ており、亡くなったのは、かなりの重要人物のようでした。きちんとしたスーツ姿の男性が、インタビューを受けていました。その横に、両手に杖をついた老婦人が来て、興奮して何か叫んでいます。そのあと、その婦人は、横にいた数名の男女のそばに言って、やはり何か大声で話しかけていましたが、そのうちの3つくらいの文が、アラビア語のそれもエジプト方言だったのです。
しばらく待って、婦人が一人きりになったところで、思い切って、
「エジプトからいらしたのですか?」
と、アラビア語で尋ねてみましたが、そもそも、こちらがアラビア語を話しているということをわかってもらうのに時間が掛かりました。アラビア語だとわかると、
「ええ、エジプト人よ」
とのお答。私はカイロにいた、というと、
「まあ、カイロ」
と反応はして下さったのですが、既にギリシア語の方が主言語のようで、すぐにギリシア語にスイッチしてしまい、意思疎通はかなり困難でした。
「アテネに住んでいらっしゃるんですか」
と伺ったところ、vで始まる地名を言って、ギリシアの地図の西の方をぐるぐると指差しました。どこだろう?
よくわからないし、日も暮れてきたので、お別れを言って去りました。あとで、雑貨屋さんのおじさんに、そのお葬式のことを聞いてみると、アレキサンドリアから来たキプロス人の聖職者が、アテネからどこかの修道院へヘリコプターで飛ぼうとしたところ、そのヘリコプターが墜落してしまって亡くなったとのことでした。とにかく、ギリシア語がわからないので、詳細はまったく不明ですが、アレキサンドリアからいらした方が亡くなったのなら、エジプト方言を話す婦人が、自分の住む町から、わざわざアテネまで出てきてお葬式に参列したのも、わからなくはないような気もしました。
右足首を太いテープでぐるぐる巻きにして、杖を2本ついてよたよたと歩いていた彼女が、無事に帰宅できたことを祈ります。
午後6時半。教会の鐘の音が悲しく鳴り響きました。こんな鐘の音は、私のような不信心者の心にさえ、何かを語りかけながら響き渡ります。
隣のアギオス・エレフテリオス教会は、対照的に、ほんとうに小さな教会で、ガイドブックによれば、12世紀の建造、今春、修復工事のために閉鎖されていたようですが、幸い、昨日は開いていました。ただ、一度に大勢の人は入れず、列になって順々に入るようです。入り口の右側に、白い花輪が飾ってあるのが異様な雰囲気で、躊躇しましたが、「アテネ2004」の袋を提げた人も列に並んでいたので、えいやっと一緒に列に並んでしまいました・・・これが間違いのもと。
並びながら周りを見ると、少数とはいえ、警官が警備に当たっているし、堂内からは、聖職者達の淋しげな歌声が流れてきます。入り口にかなり近くなって、教会の中を見ると、ギリシア国旗に包まれた何か、いや何かではなく明らかに棺が見えます。弔問客が、棺に接吻しています。やっぱり観光客が入ってよいところではなかったのです!大慌てで列から離れました。
後ろに下がってみると、テレビ局も取材に来ており、亡くなったのは、かなりの重要人物のようでした。きちんとしたスーツ姿の男性が、インタビューを受けていました。その横に、両手に杖をついた老婦人が来て、興奮して何か叫んでいます。そのあと、その婦人は、横にいた数名の男女のそばに言って、やはり何か大声で話しかけていましたが、そのうちの3つくらいの文が、アラビア語のそれもエジプト方言だったのです。
しばらく待って、婦人が一人きりになったところで、思い切って、
「エジプトからいらしたのですか?」
と、アラビア語で尋ねてみましたが、そもそも、こちらがアラビア語を話しているということをわかってもらうのに時間が掛かりました。アラビア語だとわかると、
「ええ、エジプト人よ」
とのお答。私はカイロにいた、というと、
「まあ、カイロ」
と反応はして下さったのですが、既にギリシア語の方が主言語のようで、すぐにギリシア語にスイッチしてしまい、意思疎通はかなり困難でした。
「アテネに住んでいらっしゃるんですか」
と伺ったところ、vで始まる地名を言って、ギリシアの地図の西の方をぐるぐると指差しました。どこだろう?
よくわからないし、日も暮れてきたので、お別れを言って去りました。あとで、雑貨屋さんのおじさんに、そのお葬式のことを聞いてみると、アレキサンドリアから来たキプロス人の聖職者が、アテネからどこかの修道院へヘリコプターで飛ぼうとしたところ、そのヘリコプターが墜落してしまって亡くなったとのことでした。とにかく、ギリシア語がわからないので、詳細はまったく不明ですが、アレキサンドリアからいらした方が亡くなったのなら、エジプト方言を話す婦人が、自分の住む町から、わざわざアテネまで出てきてお葬式に参列したのも、わからなくはないような気もしました。
右足首を太いテープでぐるぐる巻きにして、杖を2本ついてよたよたと歩いていた彼女が、無事に帰宅できたことを祈ります。