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アラビア語に興味があります。

 イランはペルシア語の国です。トルコはトルコ語で、現代トルコ語はローマ字で表記されます。

アテネのアギオス・エレフテリオス教会のエジプト人女性

2004年09月14日 22時03分40秒 | 夏休みの旅
 昨日(2004年9月13日)夕刻、アテネで最も大きいといわれる教会、ミトロポレオス大聖堂を訪れました。キリストの肖像や聖母子像に接吻して祈る人々の姿が途切れることがありませんでした。
 午後6時半。教会の鐘の音が悲しく鳴り響きました。こんな鐘の音は、私のような不信心者の心にさえ、何かを語りかけながら響き渡ります。
 隣のアギオス・エレフテリオス教会は、対照的に、ほんとうに小さな教会で、ガイドブックによれば、12世紀の建造、今春、修復工事のために閉鎖されていたようですが、幸い、昨日は開いていました。ただ、一度に大勢の人は入れず、列になって順々に入るようです。入り口の右側に、白い花輪が飾ってあるのが異様な雰囲気で、躊躇しましたが、「アテネ2004」の袋を提げた人も列に並んでいたので、えいやっと一緒に列に並んでしまいました・・・これが間違いのもと。
 並びながら周りを見ると、少数とはいえ、警官が警備に当たっているし、堂内からは、聖職者達の淋しげな歌声が流れてきます。入り口にかなり近くなって、教会の中を見ると、ギリシア国旗に包まれた何か、いや何かではなく明らかに棺が見えます。弔問客が、棺に接吻しています。やっぱり観光客が入ってよいところではなかったのです!大慌てで列から離れました。

 後ろに下がってみると、テレビ局も取材に来ており、亡くなったのは、かなりの重要人物のようでした。きちんとしたスーツ姿の男性が、インタビューを受けていました。その横に、両手に杖をついた老婦人が来て、興奮して何か叫んでいます。そのあと、その婦人は、横にいた数名の男女のそばに言って、やはり何か大声で話しかけていましたが、そのうちの3つくらいの文が、アラビア語のそれもエジプト方言だったのです。
 しばらく待って、婦人が一人きりになったところで、思い切って、
「エジプトからいらしたのですか?」
と、アラビア語で尋ねてみましたが、そもそも、こちらがアラビア語を話しているということをわかってもらうのに時間が掛かりました。アラビア語だとわかると、
「ええ、エジプト人よ」
とのお答。私はカイロにいた、というと、
「まあ、カイロ」
と反応はして下さったのですが、既にギリシア語の方が主言語のようで、すぐにギリシア語にスイッチしてしまい、意思疎通はかなり困難でした。
「アテネに住んでいらっしゃるんですか」
と伺ったところ、vで始まる地名を言って、ギリシアの地図の西の方をぐるぐると指差しました。どこだろう?

 よくわからないし、日も暮れてきたので、お別れを言って去りました。あとで、雑貨屋さんのおじさんに、そのお葬式のことを聞いてみると、アレキサンドリアから来たキプロス人の聖職者が、アテネからどこかの修道院へヘリコプターで飛ぼうとしたところ、そのヘリコプターが墜落してしまって亡くなったとのことでした。とにかく、ギリシア語がわからないので、詳細はまったく不明ですが、アレキサンドリアからいらした方が亡くなったのなら、エジプト方言を話す婦人が、自分の住む町から、わざわざアテネまで出てきてお葬式に参列したのも、わからなくはないような気もしました。
 右足首を太いテープでぐるぐる巻きにして、杖を2本ついてよたよたと歩いていた彼女が、無事に帰宅できたことを祈ります。

ギリシアのスフィンクス

2004年09月14日 21時35分17秒 | 夏休みの旅
 サントリーニ島で、海沿いのカフェの中に「スフィンクス」という名のカフェがありました。何が悲しうて、サントリーニでスフィンクス?と思ってしまいましたが、アテネに飛んで、パルテノン神殿の傍らにあるアクロポリス博物館で、スフィンクス像に遭遇してしまいました。その説明に「頭を左に向けたスフィンクス」とあったその「頭」が、her head と、女性形になっていたので、さらにびっくりです。
 今日、国立考古学博物館に行ったところ、やはり女性のスフィンクス像があり、スフィンクスはエジプトの専売特許と思い込んでいた(ラスベガスにもあるけれど)私は、不勉強を思い知らされました。
 ギリシア神話にもスフィンクスはおり、ギリシア神話のスフィンクスは女なんですね。胴体はやはり獅子ですが、鷲の翼を持っています。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足」
というなぞなぞを出し、答えられぬ者を食べた、というのも、ギリシア神話の方のスフィンクスのようです。
 なお、似たような像で、胴体が鳥になっているのがありましたが、こちらはサイレン。

「部族」について

2004年09月13日 23時15分31秒 | 夏休みの旅
 さんざん書いておりますように、音調についての会議に行ってきました。アフリカの言語には、トーン言語が多く、アフリカの言語についての発表もいくつかありました。
 言語の話とは違うのですが、その会議に参加していた、やはりアフリカ言語を専攻している友人が言っていた話で、日本アフリカ学会では、「部族」という呼称の使用をやめようという姿勢をとっているそうです。現に、新聞社などにも、「部族」を使わないように呼びかけているとのこと。
 なぜなら、「部族」というのは、英語の tribe の訳であり、侮蔑的な意味合いがこもっているからだそうです。侮蔑的な意味合いとは、例えば、未開であるとか、構成員が少数である即ち弱小であるとかいった意味合いです。私自身は、「部族」という単語に、そうした侮蔑的な意味を付与して使っていたつもりはなかったので、その話を聞いて、ちょっと驚きました。

 さらに思ったのは、アラブ関連の書籍で「部族」という単語が使われるとき、これもまたちょっと、通常の使われ方と違う使われ方をしているのではないか、ということです。以前、文化人類学がご専門(フィールドはオーストラリア)の先生の授業で、ゼミ発表をしたとき、先生に、
「あなたが部族と呼んでいる対象は、部族と呼ぶには単位が小さ過ぎないか。そのようなグループを部族と呼ぶのは、適切ではないように思う」
とコメントされたことがあり、アラブ史などの分野で使われている「部族」という用語が、日本語一般でいう「部族」と少々ずれているんだなということに気づかされたことがありました。アラブの「部族」というと、血縁関係でまとまっていますから、アフリカの何々部族などというグループとは、明らかに大きさからして違います。
 しかしながら、クライシュ族のことを「クライシュ族」と呼んだ人が、クライシュという部族を、人数が少なくて弱小の未開のグループだと思っているとは思えません。
 アラブ関係のところでは、何の違和感もなく使っていた「部族」という用語ですが、ちょっとその意味や使われ方を考えてみる必要はあるかなと感じました。ともあれ、別に自分では、部族という単語を使うのを止める必要までは感じていません。(侮蔑しているつもりはまったくありませんから。それとも、もしかして、無意識のレベルで侮蔑しているんでしょうか。)

トルコ語キプロス方言

2004年09月13日 22時54分02秒 | 夏休みの旅
 2004年9月9日~11日まで、ギリシアのサントリーニ島で、音調に関する国際会議がありました。音調に関しては、まったく勉強しておらず、出てくる専門用語に目がパチクリでしたが、日本にいらしたことのある先生方との再会、アラビア語エジプト方言に関するポスター発表拝見、最終日の夜は、会議に参加なさっていた日本人の先生方とサントリーニ・ワインを酌み交わしてお話を伺い、いろいろと刺激を受けることができました。

 中に、トルコ語キプロス方言の Yes-No 疑問文についてのポスター発表もあったのですが、ポスターの横に貼られた電子メイルのプリント・アウトに驚きました。発表者は、アンカラ大学の所属になっていましたが、どうもキプロスご在住のようです。結末からいえば、今回の発表のためにギリシアのビザを申請したところ拒絶され、会議に参加できなかったのです。仕方なく、ポスターの原稿をメイルに添付し、会議の事務局に送信したとのこと。
 キプロスにギリシア大使館が存在する以上、トルコのギリシア大使館にビザを申請するということはできないそうです。ビザ発給拒否の理由は、会議からの招待状に書かれた住所が「北キプロス・トルコ共和国」となっていたのが非合法とみなされたということもあるそうですが、いちばんの理由は、発表の題目が「トルコ語キプロス方言」となっていたのが不適切と判断されたためだったようです。上述のように、これは、Yes-No 疑問文のイントネーションを音響音声学的に分析したもので、決して政治的な要素などないのですが。

 思わぬところで、キプロス問題を目の当たりにしてしまいました。

スエズ運河国有化

2004年09月13日 22時38分45秒 | 夏休みの旅
 スエズ運河が実はサントリーニの軽石でできていた、という話に感動していた私に、十年ほど前、青年の船に乗ってスエズ運河を通過なさったという、アフリカニストの先生(バンツー諸語の実地調査がご専門)が、
「船の大きさなんかにもよるけど、あそこ通るのに、通行料が2000万円くらいかかるんよ」
とおっしゃっていました。それは国有化したくもなりますよねえ。まあ、スエズ運河国有化宣言当時の通行料がいくらくらいだったかは存じませんが。
 なお、国有化のときの暗号は「レセップス」だったそうです。つまり、ナセル大統領は、事前に軍に対して、
「私が演説の中で『レセップス』と言ったら、それが国有化の合図だ」
と言ってあったそうです。実際の演説の中では、かなり念入りに、何度もレセップスの名前を繰り返していました。

サントリーニ島とスエズ運河の意外な関係

2004年09月13日 22時31分15秒 | 夏休みの旅
 アテネから、飛行機で1時間もかからないところに、サントリーニ島(ティラ島)があります。声調やアクセント、イントネーションに関する会議を聞きに、先週、その島に行ってきました。会議の最終日の午後、遠足があり、ほんとうはその遠足で火山島に行けるはずだったのですが、強い風と波のため、船が出ず、残念ながら幻に終わりました。
 大雑把に言えば、その火山島、ネア・カメニ島を中心に、それをサントリーニ島がぐるっと巻いているような位置関係で、これらが世界最大のカルデラを形成していると考えられるそうです。はるか昔に火山の大噴火があって、かなりの部分が水没したのですね。ガイドブックによれば、実はサントリーニ島がアトランティス大陸だったという説まであるとのこと。
 それで、何しろ火山ですから、軽石がいっぱいあるわけです。遠足のバス・ガイドさんによれば、サントリーニ島の軽石は質が良く、加工も容易であるため、スエズ運河建設の際にはエジプトへ輸出され、運河建設の資材として活用されたそうです。

カラム・ガーベル氏の金メダルほか

2004年09月07日 17時11分21秒 | 夏休みの旅
 先のアテネ五輪で、エジプトは、56年振りの金メダルのほか、銀メダル1個、銅メダル3個を獲得。金メダリストのカラム・ガーベル氏の試合中の写真が、カイロの中心部タハリール広場の、考古学博物館前と申しますか、ナイル・ヒルトン・ホテル前に出現しました。
 …と思ったら、お写真1枚ではなく、直方体の巨大フレームの四面にカラム選手の写真のほか、メダリストの集合写真など形4枚を、でかでかと貼って(というより張って)いるのでした。
 昨夜、バスの窓からぼうっと道路を眺めていたら、中央分離帯にも、ボクシング選手の看板が複数枚でていましたし、金メダルに限らず、メダル獲得に沸いているようです。
 これで、2010年ワールド・カップ開催地選挙で獲得票ゼロの忌わしい記憶も薄れることでしょう。(実際、薄めようとしているらしい。)

メッカ・コーラはフランス生まれ

2004年09月02日 03時22分01秒 | 夏休みの旅
 メッカ・コーラは、お寄せいただいたコメントで教えていただいたモロッコ関連のサイトによれば、2002年11月にチュニジア系事業家によって、フランスで販売が開始されたものだそうで、モロッコでは既に去年の時点で流通していたようです。
 同ページによれば、メッカ・コーラのサイトの公式サイトは、http://www.mecca-cola.com/ とのことです。他方、エジプトのメッカ・コーラのラベルには、メッカ・コーラ・エジプトの公式サイトのURLも刷り込まれていました。http://www.meccacolaegypt.com/ですが、現在、工事中で中身はありません。

音調に関する国際会議のプログラムにアラビア語カイロ方言、発見

2004年08月27日 02時23分51秒 | 夏休みの旅
 Tone and Intonation in Europe の国際会議のサイトから、アブストラクトをせっせとプリントアウトしていたところ、2日目のポスターセッションに、アラビア語カイロ方言の発表があるのを発見しました。タイトルは、Levels of phonological phrasing and rate effects in Cairene Arabic です。しっかり予習して行きたいと思います。
 トーンなんて、アラビア語とは無縁のものと思っていましたが、ちゃんと研究されているんですね。ただし、トーンというよりは、文レベルでの読みの際の区切り方についての研究のようです。

電子辞書も買おうっと。

2004年08月26日 15時16分29秒 | 夏休みの旅
 カイロでは、アラビア語の電子辞書も買いたいな、と夢見ています。あらびあご どっとこむによれば、AL-MAWRID がお薦めのようです。Najm7900スーパーもそれなりに利点はありそうですが、機能の割に、サファリ情報ノートバックナンバーによれば、お値段ちょっと高め。両方買えれば良いのでしょうが、どちらかひとつとすると、AL-MAWRID を買うことになりましょう。会話フレーズ集などなどもついているらしいです。

MS Office 買うぞ!

2004年08月26日 14時58分02秒 | 夏休みの旅
 私が使っているのは、貰い物の英語版の MS Office 2000 です。日本語、アラビア語、どちらもこの Word で打っておりますが、聞いた話では、日本語版の Word でアラビア語を扱おうとすると、アラビア語の右→左というテキストの方向に、Word が対応できず、トラブってしまうとのこと。
 なるほど。家で、インターネット上のアラビア語新聞の記事を、Word ファイルに写して保存するのは問題ないのに、大学のコンピューターで同じことをしようとすると、単語が勝手に左から右に並んでしまうので、困っていたのです。違いは、Word が英語版か、日本語版かというところにあったのですね。

 ところで、最近、コンピューターの調子が悪いのです。原因は、素人の私が、下手にハードディスクの分割などをしてしまったので、Cドライブの容量が足りなくなってきてしまったためだと思います。いっそのこと、再フォーマットしてしまおうか、とリカバリー・ディスクを引っ張り出してきたのですが、貰い物の Office のCDが見当たりません。

 だらしのない話でお恥ずかしいのですが、これを機に、カイロで Office を買ってこようかと考えています。今まで、あまり考えないようにしていたのですが、貰い物で済ませているって、違法コピーを使っているのと同じ状態かもしれませんから、ちゃんと自腹で買うべし。日本語版を買ってしまうと、上述の通り、アラビア語が打ちにくくなりますので、カイロで買います。
 アラビア語版の Office なんてあるんでしょうか。アラビア語版の Windows があるくらいですから、あるんだろうと期待しています。なければ、英語版を買ってくるだけの話。

ふたえにしてくびにかけるじゅず

2004年08月23日 22時59分46秒 | 夏休みの旅
 Tasbih の話コメント欄で、お数珠の話が出たので、高校時代、国語の時間に聞いた話を思い出しました。
 近松門左衛門が、自分の書いた脚本に、一生懸命に句点を打っているのを見て、ある人が、どうして句点なんかにそう一生懸命になるのかと、せせら笑ったそうです。その人は、お数珠屋さんでした。
 そのお数珠屋さんに、門左衛門は、ある日、注文を出したそうです。
「ふたえにして
 くびにかけるじゅず」
二重にして首に掛ける数珠!相当に長いお数珠になりますね。お数珠屋さんは、注文通りの長い品を作って、近松邸に届けたそうです。ところが、門左衛門は、私はこんなに長いお数珠を頼んだ覚えはない、と言って、点をひとつ:
   ふたえにし、て
   くびにかけるじゅず
正解は、「二重にし手首に掛ける数珠」だったのです。

 …という話が、どうアラビア語と関係あるのかと申しますと、先月末の会議で、アラビア語の音韻関連の発表があり、こうした区切り場所による解釈の違いの出る実例が、いくつか上げられたからです。
 例えば、単語レベルだと、
 سل ما تريد sal maa turiidu (彼女が何を欲するのか、尋ねろ)
   →salmaa turiidu (サルマーが欲する)
のような例がありますし、或いは、単語の区切れ目ではなく、句の区切れ目ということで言えば、
 قال الملك هو صالح
は、1単語目の次で区切って読めば、「彼は言った、その王が正しい」ですが、2単語目の次で区切れば、「その王は言った、彼が正しい」となります。

アラビア語パレスチナ方言と「蚤に食われた」の話

2004年08月23日 22時12分34秒 | 夏休みの旅
 先月末のオックスフォードの会議の話がまだ残っております。すみません。
 さて、中に、パレスチナ人の子供達の正則アラビア語の習得状況に関する発表がありました。どのような項目にせよ、学年が上がったからといって、正則アラビア語の能力がそれに比例してアップするというものではない、学年に関係ない異なる発展的な流れを辿るのだ、という非常に複雑な調査結果が出ました。
 その発表の中で、パレスチナ方言についても説明がありました。面白いなと思ったのは、動詞文についてです。「少年達(el-wlad)がお菓子(l-kacek)を食べた('akal)」という文は、
  el-wlad 'akalu l-kacek.
  'akalu l-wlad l-kacek.
と、動詞が主語より前であろうが後であろうが、複数形(語尾に -u が付いている)でなければいけないのだそうです。
 他方、正則アラビア語では、動詞が主語よりも前に来た場合は、動詞は単数形になりますし、エジプト方言では、動詞が主語より前に来ることはないと言って良いでしょう。

 古典アラビア語文法で、ほとんどマンネリ状態で出てくる例文のひとつに、「أكلوني البراغيث 'akaluu-ni l-baraaghiithu. (直訳:蚤が私を食べた)」というのがあります。方言に見られる形とされており、これもまた、「食べた」という動詞が文頭に来ているにも関わらず、'akaluu と複数形になっています。
 動詞が主語よりも前に来た場合は、動詞は単数形になる、という規則を破ってしまう方言例で、古典の文法書では良く言及されています。
 そもそも、蚤は人間ではありませんから、「アラビア語では、人間以外の複数は、女性単数扱いになる」という規則が適用され、動詞は أكلت 'akalat (彼女が食べた)という形が使われるのが自然なところですから、その意味でもこの例文は問題があります。

 もひとつ、余分な話を。この例文に出会う前、カイロ留学中に、ひどい虫刺されで、腕やら足やら、腫れ上がってしまったことがありました。そんなとき、文法のクラスの先生に、
「それは蚤(برغوث)ですか、南京虫(بقّ)ですか?」
と聞かれて、わかるわけないですっ!とむきになってしまいましたが、先生によると、見分け方があるらしく、虫の絵まで描いてご説明いただきました。でも、虫が肉眼で見つけられるくらいなら、噛まれる前に殺しているし、噛み跡は、かゆくてすぐに引っかいてしまうので、観察できません…。