柴島浄水場の桜の通り抜けに行った時に、大阪あそ歩のコースを歩いてきた
大阪あそ歩 No.54 柴島
大阪を育んだ「母なる川・淀川」を知る
~柴島晒から柴島浄水場、水道記念館まで~
「柴島浄水場の設置と淀川改修工事により、柴島のまちは大きな変貌を遂げました。
300年以上の歴史を持っていた晒業が衰退する一方で、土地は浄水場の敷地となり、
また川床となりました。大阪市民にとっての母なる川・淀川nと柴島の深い関わりについて考えるまち歩きです。」
阪急 柴島駅で下車。
「昔、茎の渡しという渡し場があり、「茎島(くきじま)」から転じたという説、櫟が多く茂り、櫟を柴薪として伐採したので、
「櫟島(くぬぎじま)」が転じたという説、柴島神社の創始による説などが「柴島の地名由来として伝えられています。」」
スタートは法華寺
1 法華寺
「・・・・明治42年に柴島浄水場が設置される際に移転・縮小しました。法華寺境内には、
国分尼寺の塔心礎と言われる円形の礎石3基が保存されています。」
国分尼寺の塔心礎と言われる円形の礎石3基
きれいな木蓮が咲いていた。
2 柴島城址
「・・・・・柴島城の廃城時期は不詳ですが、お城があったとされる場所に、本丸、城道という地名が残っていました。」
↑↓この場所が見つからず、住宅街をウロウロ
3 柴島神社
「貞永元年の大洪水時、村人たちは地所より約3m高い仲哀天皇を祀る森に避難しました。
そこへ柴の束に乗った小祠が漂着し、その後村人たちが産土神として祀り始めたのが神社の起源とされています。・・・・・」
柴島晒ゆかりの地
「江戸時代、柴島一帯では、淀川の水を利用して木綿を晒し、柴島晒は当地の名産となっていた。
淀川堤防沿いに布を晒した風景が雪が降り積もったようで、晒堤といわれた名所となった。」
道にはタイルが埋め込まれていてきれい。
紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。
Mameshiba
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