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回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

Automatic

2020年08月28日 13時51分13秒 | 日記

友人との夕食会を計画したのだが、そのうちのひとりとのメールのやりとりに不備があり、結局延期となった。こちらから送ったメールが、先方の携帯電話がロックされていたために着信していることにさえ気が付かなかったため。はじめのメールに返事がなく、念のため、前日にメールを送ったがそれにも返事がない。悪い予感がしたので当日午前になって思い切って電話をしてみたら、メールをみていないということだった。そして今日は別の予定が入っているので、夕食会への参加は無理だと。彼を抜きでやるのはあまり意味がないので、日程の仕切り直しとなった。結局、ちょうど1週間後に皆の都合がつくことが判り同じ場所で、ということで決着した。

Eメールは電話と違っていきなり相手に飛び込むいうこともなく、到着していれば相手の都合の良いときに読んでもらえるというメリットがある一方で、いつそれを読んだかはわからない。もちろん、機械が不調の場合には配信不能の表示がでるが、そうでなければ、そのまま受け取ったと仮定せざるを得ない。

今回のようなことがあると、やはり、最後には肉声を聞くということが安全だと思ってしまう。今回のようなケースは電話しかない時には起きえなかったはずだ。しかし現実には相手の都合も斟酌しないでかかってしまう電話は、だんだんと無礼なコミュニケーション方式と見なされてきたようだ。すくなくともかけた方の強引さは拭い去れない。そうなると、そんな風には思われたくないという考えが頭をもたげることになり、だんだんと電話をすることに躊躇を覚えるようになる。

一方でメールと言うのはいつでも開封できるばかりでなく、何度でも読み直すことが出来る。何度か読み直しているうちに相手の真意が見えてくることもある。一方で話し言葉による電話はその時限りで、言った内容は記憶に頼るしかない(録音しておけば別だが)。記憶違いと言うことが起きる可能性がそこにはある。これからはお互いに録音しておくようになるのだろうか。しかしそうすると一瞬の間違いも許されなくなる。いかに後で訂正しようと一旦口から出た言葉は取り返しがつかない。しかし、物事を逃げ場のないような厳格なものにする必要があるのだろうか。所詮人間は完ぺきではないし、むしろしょっちゅう間違いを犯すものだからである。

一言既に出ずれば駟馬も追うに能わず

そして、Eメールの誤送信も大きな問題だ。一度知り合いの女性から、突然、旅行記のようなものが送られてきたことがある。恋人と温泉旅行に行った一部始終を詳細に綴った紀行文だった。旅館の雰囲気から、食事、温泉の様子それに恋人や仲居とのやり取りまで、こちらが読むに耐えないようなことまで書いてあった。この紀行文は彼女が(何でも話せるという!)親友に如何に恋が順調なのかを書き送ろうとして誤って自分のほうに送られてしまったものだ。多分五十音順で近くだったからだろう。その数時間後、間違って送ったことへのお詫びのメールが来た。人間には様々な顔がある。相手によって違った顔を見せるのは別段不思議はない。このケースは、そのことを改めて目の前で拡げてくれたようなものだった。

Eメールも万能ではない。また、怖いものでもある。20年ほど前、当時デビューしたての宇多田ヒカルは「Automatic」のなかで、Eメールを受けて、スクリーンの文字を指でなぞると暖かさが伝わってくる、というのがあった。そのころはタッチスクリーンがなかったのでこういうことが言えたが今は下手にタッチなどすると拡大したり消去されたりするし、そもそも画面がかつてと違って熱を持つこともない。しかし、こういうときめきのあった時代が今では懐かしく思い出される。

It’s automatic アクセスしてみると 映る computer screen の中 チカチカしてる文字 (I don’t know why) 手をあててみると I feel so warm 

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