今日の新聞によれば、政府は生活支援および税収の還元ということで減税および住民税非課税世帯に一定額の給付を行うことを検討しているという。思いつき、バラマキという批判が出ていて国民がこのような政府のやり方を本当に評価しているのかよくわからないが、日本は今や格差社会となり、いわゆる生活困窮層が増加しているのは事実だと思う。たしかにほんの一部の限られた層に富みが偏在しかつその傾向はますます強まっている、というのは世界的にみられる現象だ。
貧困と言っていいのか、東欧諸国の民主化が進んだ1990年代、共産主義から市場経済への移行の時期にそれらの国では多くの生活困窮者が出て、それは街中での治安の悪さや物乞いといった形で表れていた。東欧諸国の中でそれが際立っていたのがチャウシェスク政権により経済の破綻したルーマニアではないかと思う。もともとは肥沃な土地に恵まれ鉱物資源も豊かだったにも拘わらず、独裁政権一族による腐敗と経済政策の失敗により国民が塗炭の苦しみを味わった。他の東欧諸国の体制移行が曲がりなりにも流血の惨事を伴わなかったのに対して唯一、独裁者が逃亡を企てそれが失敗して民衆の面前で夫婦して処刑されたのも無理のないことだった。
そんな時期の首都ブカレストに出張したとき、ホテルから面会場所に移動するときに何度も物乞いの子供たちに囲まれて往生したことがある。まるでハーメルンの笛吹き男の行列のように小さな子供たちがぞろぞろと自分の後をついてくる。これではいくらかを渡そうにも収拾がつかない。振り切るようにして訪問先のビルに駆け込んだ時には実に後味の悪い思いがしたものだ。もちろんそれから30年以上たった今ではそんなことはないのだろう。ルーマニアは2004年にNATO に加盟し、2007年にはEU にも加盟した。そして、多くのルーマニア人がドイツ、フランス、イギリスに仕事を求めて移動したのはよく知られている。実際、2013年頃に自分がロンドンの家を修理したところブカレスト出身という配管工が作業に来たことがある。それがひいてはイギリスのEU離脱につながった一因でもあった。
下の写真はその出張時に買った薔薇の取っ手のついた小物入れの磁器。花弁の一枚一枚が薄くて触れるとすぐに欠けてしまいそうだ。宣伝文句によれば「ルーマニアの伝統を受け継ぎ、マイセンのように愛され、へレンドのように美しく、リモージュと同じくらい繊細」であると。抑えた色調に好感が持てるがこの磁器を見ているとあの時の子供たちの必死な顔が思い出される。
世界で活躍されながら、様々な国の時の移り変わりを直に目の当たりにして、衝撃的だったのでは、と想像しています。
わたしは今パリの大学で日本史や日本政治経済の授業を受けていますが、海外から見た日本、とても興味深いです。参考図書で紹介された湯浅誠さんの【反貧困、すべり台社会からの脱却】を読み、日本の社会保障は本当に援助が必要な人には行き届いていないと実感しました。フランスでも貧困や格差は大きな問題になっています。何か自分にできることはないか、日々模索中です。
コメントありがとうございます。
貧困や格差の問題に関心を持たれ、また、大学で学ばれながら日本の制度の課題を広い視野からお考えになられていることに敬意を表したいと思います。
ところで私が駐在したイギリス、アメリカ社会の一つの特徴に「自由」とそれと対になる「自己責任」という言葉がありました。これまでのブログを拝見してmichiさまがご自身の選択においていつもとても強い責任感を持ちながら目標に向かってたゆまぬ努力をされていることに感銘を受けています。その責任感と努力の結果が今のmichi さまなのだと思います。貧困や格差はもちろん社会保障の問題もありますが自己責任や選択が全て否定されるということはないでしょう。どのような名著であっても常に批判的な目をもって読むことが大切です。