Photo by☆hapihapi☆ 成田山新勝寺で見つけた龍さん( 〃▽〃)
今ちょっと個人的に忙しい最中です。
そんな中旅に出た訳です。
帰宅した次の日に親戚がお亡くなりになったという知らせを聞いて、急遽シフトを変更していただき小樽へ向かいました。
成田はとても良いお天気で12月としては記録的な暑さであったという日に帰って来ました。
帰って来た北海道は雨がひどくて気温も寒くて・・・( ̄0 ̄;)
次の日も用事があり出かけたのですが、積もるほどではありませんが雪がちらついていました。
夏場であれば小樽までは車で向かいます。
まだ雪も積もってなかったので一瞬車で向かおうかな、と思いました。
一応道南の家族にも知らせましたが、遠いので葬儀に出席するかどうかはお任せいたしました。
するとお通夜は間に合わないが翌日の告別式には出席するという連絡が入り、それなら私は行く時はJRで向かって帰りは家族の車で帰ろうと決めました。
学生の頃や務め始めたOLさんだった頃にほぼ毎日のように乗って通っていた小樽札幌間を久々に乗りました。
海側に座ると波打ち際がすぐ側に見えます。
もちろん海側に座りました。
懐かしい景色でしたが若干波は荒れ気味でした。
その日はお通夜が済むと実家に泊めてもらいました。
実家には結構行きますが、大抵は子どもも行くので日帰りです。
この日は私一人で行ったので、母も何だか饒舌ですσ( ̄∇ ̄;)
久しぶりの話し相手だったのでしょうか(笑)
【世が世ならお姫様である】という話は何度か聞いていました(笑)
今日は【私は武士の娘の娘の・・・】(笑)
えー?(;・∀・)
どこかで聞いたセリフ?σ( ̄∇ ̄;)パクり?
津軽藩の武士だったそうです。
私は行ったことはありませんが、お寺に一族のお墓がずらりと並んでいるという話は聞いていました(・_・)
東北に本家があるのですが、今のご当主さんには跡取りがおりません。
なので我が家の長男、つまり私の弟が先代の跡を継ぐこととなり、代々のお墓を守る立場になるのです。
そんな話を聞かせてくれたり、父と母の馴れ初めを聞かせてくれたり、私たちの学生時代に担任の先生と懇談した時に先生から言われたあれこれを教えてくれたりと、お初のお話の蔵出し状態ですσ( ̄∇ ̄;)
まさかこのままお迎えが・・・(;゜∇゜)
と考えた瞬間に、母がどこだかに出かける時に親切にご一緒の方に「お迎えに行きますか?」と言われて「 お迎えだなんて縁起でもない!! 」と怒った(心の中でらしい(笑))と言い出して、言わなくて良かったと胸を撫で下ろしました。
うん、まだまだ大丈夫っぽい(笑)
朝、カーテンを開けてびっくりです(;゜∇゜)
一面真っ白の荒れ荒れなお天気で、タクシーの運転手さんも小路に入ると雪に埋まる可能性があるので大きな通りから行かせてください、と言うくらいのひどい降りっぷりです。
帰りは家族の車で帰りましたが、高速は通行止めで仕方なく国道を走りましたが風雪がひどくて除雪もされていないという・・・( ;∀;)
車で来なくて良かった( ;∀;)
本当に車で来なくて良かった( ;∀;)
という悪天候の中を無事に帰って来ました。
家族はそのまま倒れ込むようにお昼寝状態ですσ( ̄∇ ̄;)
ですよね(;´∀`)
来てくれると言ってくれたから私は車で向かわなかった(;´∀`)
感謝します。
そして成田空港からやって来た弟は私たちが成田から帰って来た同じ日の私たちは4時過ぎの飛行機(・_・)
彼らはお昼頃の飛行機に乗るためになんと成田空港でニアミスをしていたことが判明しました(;・∀・)
あの日は記録的な暑さでした。
まさか背広一枚で北海道に乗り込んで来るとは・・・(;゜∇゜)
一晩で真っ白に変わった景色を眺めながら、「 北海道はやっぱり寒いな 」と呟いて「 バカじゃないの!? 」と散々な言われような彼でした(笑)
ちなみに背広一枚は彼だけでした。出張先から駆けつけた、と言っていました。
確かに暑かったけど(;´∀`)
故人のジャンパーを形見分けしていただいて、大切に着て帰ったようです。
凍えなくて良かったです(笑)
私たちは【ほぼ弾丸ツアー】だったので弟一家に行くことすら知らせずに出かけましたが、まさか北海道で会うことができるとは(笑)
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