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2種電気工事士に挑戦

2020-10-09 15:39:00 | My Life
10月4日(日)第2種電気工事士1次試験受験のため府中市の東京外国語大学に行ってきました。こんな機会でない限り、このような超難関大学校舎に入るなんて出来ないので何気に嬉しかったですよ(^^)

私は今年9月で67歳になりましたが、ほとんど思い付きで今年5月に電気自動車の充電設備工事を主な業務とする会社を設立しまして・・・・・と言ってもまだ一件も仕事をしていませんが・・・・取り敢えず必要になるであろう「電気工事士」の資格を取ろうと思い、5月の上期試験を目指し4月頃から勉強を始めたんですよ。

しかし・・・・やっぱりこの年になると物覚えが極端に悪く、たった今覚えたことも3歩も歩くと忘れる始末(泣)こりゃ絶対無理と思っていたら、コロナで上期試験が10月に延期に。少し気が抜けましたがコツコツ勉強を続けて10月4日の試験を晴れて受験した次第です。

正式な合否通知は11月下旬なのですが、5日に模範解答が公表され採点してみると・・・・なんと50問中違えたのは5問のみ!しかもチョンボ間違いが2問あったのでそれが無ければ47/50でしたよ。加えて言うと、間違えた5問の中にはきちんと学校で習っていないと回答できない難問(私のような短期勝負の受験生にとってはイジワルな問題)が2問紛れ込んでいたので、大健闘だったんじゃないでしょうかね。

と言う訳で1次試験は通っていると思うので、早速12月の二次試験に向けて実技の工具と材料を発注しましたよ。噂では一次の筆記試験より二次の実技試験のほうがはるかに難しいらしいので、早々に実技試験の準備をしようかと思います。

それにしても、4日の試験会場で見る限り、私がほぼほぼ最高齢の受験生だったんじゃないでしょうかね。50代後半と思しき女性もいましたが、概ね20代30代の男性でしたね。

語学を目指す学生の憧れの的?東京外国語大学













台湾の話

2020-08-28 18:23:00 | My Life
台湾の元総裁である李登輝氏が7月30日に逝去されましたね。特に懇意にしていたわけでは勿論ないのですが、台湾は大好きな国なのでそんなお話を少々。

1923年生まれの李登輝氏は生前「私は22歳まで日本人だった」と言っていましたが、日本が台湾を統治していたのが1895年から1945年までですから、1923年生まれの李登輝氏がそう言うのも頷けますね。彼の日本語名は岩尾政男で、優秀な青年だった氏が京都大学に入学したのは当時としては至極当然なことだったと思いますね。

1991年から1996年まで私は香港に駐在していましたが、当時懇意にしていただいた台湾の佳能企業の会長董烱熙氏は 1936 年生まれで日本人として生を受け、早稲田大学を卒業されています。確か彼も日本名を持っていると言っていました。佳能企業の副社長だった祭氏の父親と何度か話したことがありましたが、生年を伺った際(私の母と同じ)「大正11年の戌です」とはっきり言っていましたよ。皇族が話すような綺麗な日本語を流暢に話しておられたのが印象的でした。

因みに董烱熙氏は日本のC社で電子計算機(電卓)の組み立てのアルバイトをしていた際に懇意になったC社社員の伝手で台湾での電卓の販売権を獲得したようですね。C社は中国語では「佳能」と表記しますが董烱熙氏が考案したと聞いています。董烱熙氏が起こした会社名も「佳能企業」です。

C社はその後、直販体制を敷くべく台湾の総代理店であった佳能企業のC社部門に資本を入れましたが、佳能企業本体はデジタルカメラの受託製造に着手、業態を EMS 事業に転換し大成功を収めます。昨年でしたか大塚家具への出資を考えているとして報道されていましたね。李登輝氏や董烱熙氏健在のニュースに触れ、久々に台湾を思い出しました(^^)



結婚40周年

2020-08-21 16:38:00 | My Life
無茶苦茶暑い日が続きますが、体調など壊していませんか?
我々の世代は基本的に平和な時代ですが、何十年に一回の感染症が流行したり、何百年の一回の地震が発生したり、過去に無いほどの環境変化が起きたり、もしかしたらとんでもない時代に生きているのかもしれませんね。

さて何十年と言えば・・・・・私達夫婦は、今年結婚40年なんですよ。加えてカミさんは今年還暦で子供たちが色々お祝いをしてくれまして、私としても嬉しい限りです。それにしてもあれからもう40年経つんですねぇ。

そもそも私が電線会社で架空線工事の技術者をしている時、長期出張で宿泊した旅館の長女だったのがカミさんでして、あれから数えると40数年となりますわ。新婚生活は、築40年は経っていたであろう2DKのオンボロ社宅アパートでスタートでした。アパートの玄関脇の電線導入口にヘビが巣を作って住み着いたり、夏に窓を開けていたら大量の昆虫が部屋に侵入してきたり、ガマガエルがうるさくて眠れなかったり、まぁ良く言えば自然に近い環境でしたが、慣れるまで時間が掛かりましたね。

最寄り駅からも遠くて、当時保育専門学校に通っていたカミさんを迎えに自転車で20分掛けてよく迎えにいったものです。当時私は車を持っていなかったので、いずれは高級車を買うぞなんて思ったものです。給料が安くてなかなか買えませんでしたので、結局転職することにしたのが、結果的に良い判断となりました。運にも恵まれていましたね。

この40年間、今のところ夫婦共々健康に恵まれているのはありがたいことです。これは健康体に産んでくれた親と、食事に気を付けてくれる、今だに頭が上がらないカミさんに感謝しなければなりませんね。私達の人生は列車で言えば各駅停車ではあったと思いますが、車窓を流れる景色を家族と一緒に見ながら過ごせているのは本当にありがたいことです。

昨年、息子と娘が香港でこっそり買っておいてくれた絵文字でのお祝いプレート。一年も前から準備しておいてくれたなんて、本当に感謝感激です。















Happy Birthday Kiko!

2020-06-27 15:55:00 | My Life
今月11日に女の子の孫が誕生しました。5人目にして女の子の誕生です。5人の孫に恵まれて本当に幸せなことだと子供達に感謝しています。

早いもので一番上の孫は今年小学校3年生になりました。小学校3年生と言えば・・・・・私が香港に赴任になり、家族が香港に引っ越して来たのが1991年3月。4月には長女は小学校4年生に、長男は小学校入学の歳でしたから、孫がその年齢に達するのかぁ、と少々感慨深いものがありますね。

私の赴任から3カ月ほど遅れて子供たちが香港に引っ越してきた時、実は子共達をインターナショナルスクールに入れることを考えました。皆が来る前に見つけたマンションの近くにインターナショナルスクールがあったのも好都合だったので、子供達に聞いたんですが返事は「イヤ!」。何度か確認しましたが返事はいつも同じでした。子供たちが20歳代後半になってその時のことを聞くと「無理にでもインターナショナルスクールに入れてほしかった」なんて言ってましたがね(^^)

子供達にしてみると、こんなチャンスはそうは無いんですね。高校生くらいになると、多くの子供たちが留学に憧れますよね。自分の夢を羽ばたかせる時期に多くの選択肢があることは重要なことだと思いますよ。

最近、ある高校3年生が投稿した「新学期の開始を、この機会に諸外国と同じ9月に──」が、全国の学生や保護者などを中心に大きな反響を呼びました。アメリカ等の諸外国でメジャーな9月から始まる学期制にこの機会に変えてみると言う話です。まさに高校生から、世界標準の入学時期について課題を突きつけられた形ですね。このメッセージを大人の都合で「ただの高校生のつぶやき」で終わらせてほしくないですね。

中でも多くの方が不安に思っているのが「早生まれ」の対応ではないでしょうかね。文科省は一気に解決する策と、数年かけて解決する策を提示しましたが、いずれも反応は芳しくないですね。私は、「4月1日時点で満6歳の子は、その年の9月に小学校に入学できる」が一番現実的な対応ではないかと思っています。確かにそれを何年掛けて実現するかは多くの困難があると思います。しかし、それに余りある制度上のメリットがあれば多くの賛同が得られると思うのです。大学入学、留学、就職などで困難な数年の子供達への配慮があればと思います。教育システム、就職のシステムをそれに合わせていけば解決できる問題だと思うのです。

私の孫達が高校を卒業するころまでには何とか制度改革をしてほしいですね。



ターニングポイント

2020-02-22 20:15:00 | My Life
2月21日(土)かつて勤めていたC社の販売子会社であるC販売(現C○J)の昔の仲間うちの飲み会がり出席してきました。当時の部署はもうとっくに無いのですが、当時のメンバーが60歳定年を迎える度に永年幹事のK君が当時の上司と仲間に連絡を入れ、つつましくも盛大にお祝いの会を設けるのです。6畳間に入るかどうかと言うほど大きなプリンターの24時間保守点検をするこの部署では、特に夜間のコールに対しては二人一組みで近くのホテルに泊まり込みで待機/出動することが多く、自然にチームワークが醸成されていったんでしょうね。いまだにとても仲の良い仲間なんですよ。

21日には22人の旧友が出席し旧交を深めることができましたが、残念だったのがかつての上司のKさんが体調不良?で欠席だったことです。もう80歳になるKさんは、私の人生の恩人と呼べる一人なんですよ。

私が当時購読していた読売新聞に載っていたJALのフライトエンジニアの中途採用に応募するべく履歴書を購入したところ、一袋に3枚の履歴書が入っていたことから、私の人生の歯車が動き出しましたね。JALと同じページに掲載されていたC社の中途採用に「残りの履歴書」で応募し、3次試験の役員面接に来ていたのが若きKさんだったのです。その後Kさんの部下になったことから、Kさの私の評価が悪くはなかったことが伺えますね。

C販売に入れて頂いた上に、数年後に係長に昇進させて頂き、更にその数年後には私を親会社のC社に移籍と言う想ってもみない大チャンスを頂き、その後香港転勤、帰国後責任の重い仕事をさせていただいたのも、元をただすとKさんの採用であり、親会社への移籍に辿りつきますね。

私が中途採用された同じ時期に5人の中途採用者がおり、今でも「同期」のごとく特に仲良くお付き合いさせていただいていますが、Kさんの欠席を見て早速この5人とKさんとの昼食会を開くことを確認しましたよ。

私が早期退職するときに「世界一周航空券」の存在を教えていただいたのもKさんでした。「体調不良」ではなく単に最近巷で話題のコロナに感染したくないだけだったと思いたいですね。