北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 番外編のもくさんのコメントに返事をしようとした。
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コメント欄に文字数制限があることを知った…
もくさんには申し訳ないが返事をここでさせて頂くことにした。
もくさんが5000字以上の返事を書かれる場合を想定すると、もくさんが5000字以上の文章を投稿する権限がない(しかしオレにはある)という点で、不公平な措置になってしまうが…
以下、返事
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>中身は確かに違うんですが、確かに水滸伝なんですよね。
>飲むヨーグルトと普通のヨーグルト程度の違いなんです、私的には。
>ですので水滸伝でも構わないと思うんです。なぜ北方水滸伝とか異・水滸伝とか真・水滸伝とかにしなかったのかは北方氏本人に聞かないとわかりませんが・・・
おそらくこの部分はずっと平行線でしょうね。
お伺いしたいのですが、もくさんにとって「水滸伝」の定義・本質は何でしょうか。
さて、私の問題意識をもう少し詳しくお話します。
韓国の人々や中国の人々が日本を評価して言うとき、そのひとつに「日本は本質(正当性)を突き詰めない社会だ」ということがあります。別の言葉で言えば「何でもあいまいにする」ということです。
これは、韓国・中国の居住経験から非常に正鵠を得た指摘だと思っています。
ただ、このこと自体はいい点もあります。ある程度までなら、人間関係を円滑にするでしょう。
けれど、今の日本社会は行き過ぎています。本当に何でもあいまいなまま、責任の所在がはっきりしない・本質からそれてしまうことで問題が大きくなるといった弊害が多々あります。
大きなものでも、憲法解釈・教育問題・人権意識・歴史問題・原発問題・米軍基地問題・経済の問題・選挙制度・マスコミの役割等々…上げたらキリがありません。
私も過去の記事で何度か話題にしました。
そして、本質を突き詰めないということは、哲学がない、ということです。
哲学のない社会・本質を突き詰めない社会は、責任の所在をあいまいにしたまま、非常に流されやすいものになります。一部の人の意見ですべてが決定する、形を変えた独裁社会に陥りやすいのです。
ちなみに、哲学をするということ、本質を突き詰める、ということはある意味で歴史を学ぶということです。あること・ある事象が、どのような経緯で発生しどのような意味を持つかといったことを、時間の経過とともに捉えなおすからです。
したがって韓国・中国そして世界の多くの国の人々は、日本に対して「歴史を忘れた国」と認識するのは、至極当然のことなのです。本質を突き詰めようとすれば、どうしても歴史を考えざるを得ないのに、本質を突き詰めようとしない社会なのですから。
サッカーの国際試合で韓国のサポーターが「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕を掲げ、問題になったことがありました。
しかし、私はあれに文句を言う資格は、日本にはないと思います。
歴史問題を戦後一貫してあいまいにしたまま(本質=責任の所在を問い詰めない、戦後日本に対する哲学も近代化に対する哲学もない)、国際試合のたびに旭日旗を振って喜んでいる姿は、はっきり言って異常です。
そこには、旭日旗に対して本質を問いただそうという姿勢はまったくありません。それなのになぜ、あんなにありがたがれるのか、無批判でいられるのか、国内だけならまだしも、他者で、しかも過去に日本が迷惑をかけた国に平気な顔で持っていけるのか、その無神経さは批判を受けるに値する行動だと思います。
多くの人にとってはたかが「水滸伝」でしょう。その本質などどうでもいい・面白ければいい、その程度に過ぎないものでしょう。
しかし私にとってはそうではありません。私の生き方の中に水滸伝の影響は大きな位置を占めています。(別にアウトローになるとか、そういうことではありませんよ。念のため。)
中国や韓国、沖縄に早くから興味を持ち、実際に住むことになったのも、全てではないですが、どこかで水滸伝が影響しています。
私は北方氏『水滸伝』を水滸伝として受容するあいまいさを批判しているのです。そこに本質を追求する目はあるのか、水滸伝に対する哲学はあるのか、と。
そして、前述したように哲学のない社会は、流されやすく一部の人間が決定する社会になりやすいです。
単に水滸伝(または外国の文物の受容の仕方)の話ですが、水滸伝だけにとどまらず、社会のいろいろな分野で同時進行的に「本質をないがしろにする」ということがおきていると考えています。そのことを、本文最後の「受け入れたいものしか認めない」という文章で表現したのでした。
また、「一部の人間が決定する社会」も「水滸伝の受容」には顕著に現れています。市場の論理として。
日本の市場において、北方氏『水滸伝』が原典水滸伝を駆逐しているのは、「市場原理」に負う部分も多いです。決して原典水滸伝に力がないからではありません。
現代日本人向けに書かれた北方『水滸伝』と、資本主義が始まったかどうかといったころの、500年近くも前に書かれた水滸伝では明らかに北方『水滸伝』に分があるのは当然で、そこを無批判に並べて比べること自体がおかしいのです。
よく愛読者層からは「オリジナル水滸伝はつまらない。北方『水滸伝』は面白い。(中国古典を読みたい人に)北方『水滸伝』は読んだほうがいい」といった声を聞くのですが、これは「市場原理」にそのまま流された意見です。また、紹介文や編集者山田氏の意見もやはり市場原理に流された意見でしかありません。そこに哲学はありません。
さらに北方氏も市場原理におもねって(あまえて)います。
ご本人が
>私の中で『水滸伝』は変質し、別の創造物としての再生の時を待っていたのだ、という気がする。
>私は、自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。
と書いているように、
北方氏は
本質的に別物の『水滸伝』を書いたのです。
であれば、そのままのタイトルをつけるべきではありませんでした。
同じタイトルでは、自然と自分の創作物と原典が比較の対象になってしまいます。しかし、市場原理の中では圧倒的に北方氏『水滸伝』に分があるわけで、原典水滸伝を凌駕することは少し考えればわかることです。
北方氏がそこまで考えていた上でタイトルを『水滸伝』としたなら、悪い言葉で言えば「卑怯」だし、よく言っても、原典水滸伝に「甘え」ているといえます。もしそこまで考えていないとしたら、北方氏自身に水滸伝に対する「哲学がない」ということです。言葉をかえれば、北方氏にとっても「売れれば何でもいい」ということではないでしょうか。であれば、ご本人が「キューバ革命を書きたかった」と言っているのだから、キューバ革命そのもので「キューバ革命」を書けばよかったのです。
このあたりの問題意識とリンクして、水滸伝受容に対する危惧は拙文「さささんに対する返信」で書かせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/hanulgwapada/e/8fbb06f0319c7566bdccac07e5d99335
また、この中の日本の封神演義受容に対する見解が書かれているサイト
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/chpop.html
にも、大いに共感しています。私としては、水滸伝が封神演義の轍を踏まないようにしてほしいものです。
>ラーメン
ラーメンの受容は水戸光圀(水戸黄門)が初めてだ、という説があります。この説に従えば日本はラーメンを約400~300年前に受容しているのですが、当時の日本に清の麺を作るための材料を日常的に手に入れられる手段があるわけもなく、日本の材料を使っていくうちに日本のラーメンに変化していったと考えるのが自然でしょう。そのような歴史背景と現代の背景は分けて考えるべきで、ラーメンは北方『水滸伝』の比喩としては不適当だと思います。
>龍狼伝は (中略) あれは登場人物やイベントがまんま三国志演義です。
いや…あれを「まんま三国志演義」とはいくらなんでもひどくないですか。よしんば赤壁の戦いまではそうだとしても、以降は三国志演義には出てこないイベント・登場人物のオンパレードですよ。人間関係もだいぶ変わってきますし。三国志演義、読まれましたか?
ということで、
>あれの登場人物の名前や地名を変えて同じ漫画をだしていたら
>「三国志のパクリじゃねーか」と言われていたことでしょう
は当たりません。
また、たとえばドラゴンボールの初期が「西遊記のパクリじゃないか」と言われることはないですね。うまく物語の中に要素が溶け込んでいれば「パクリ」とは言われないと思います。したがって、龍狼伝もパクリといわれない可能性はあります。(作り方によります)
なお、昔マガジンで『覇王伝説 驍』というマンガがあり、たまに三国志ネタ(たとえば戦術など)が出てきたことがありますが、やはりパクリと考える人は見たことがありません。
>タイトル水滸伝で登場人物の名前もそのままですから盗んだことにはならないと思います。
タイトルがそのまま、登場人物の名前もそのままなのに、本質的に別物になっているのなら、それは「タイトルと登場人物を盗んだ」のではないでしょうか
>そういった成分をトリミングし再構築したものが現代日本人の北方氏が書いた「水滸伝」である、それだけのことだと思います。
そのトリミングが原典水滸伝の本質をどれほど尊重したうえでのトリミングなのか、ということです。
トリミングの結果、108人が梁山泊に集まらない(仏教観・道教観の否定)、九天玄女も出ない(道教観の否定)、魯智深は思慮深い人間になって檄を飛ばしている(陽明学・童心説の否定)、宋江もなんだか宋朝を倒そうとしているようだ(儒教観の否定)、ではとても本質を尊重しているとは思えません。
やはり、『水滸伝』というタイトルはやめるべきだと思いますし、水滸伝としては評価してはいけないと思いますね。
>あれだけの例文で日本人的である、中国人的である、と判断できるのか疑問です。例えばあの宋江と林冲のやり取りを中国的にしたらどういった感じになるのでしょうか?
これは、例を挙げるしかないですが、第73回(120回本:駒田信二氏訳)の例などはどうでしょうか。
李逵が泰山の相撲の帰り、荊門鎮という町の近くの大きな屋敷で、宋江と柴進が娘をさらっていったと聞きつけます。それを聞いて李逵は大いに怒ってまっすぐ忠義堂まで行って黄杏旗を切り倒し、替天行道の旗をずたずたに引き裂いた後、宋江を殺そうとします。林冲たちに取り押さえられた後も宋江を大いにののしった挙句、宋江と李逵は互いの首をかけて、真偽をはっきりさせようとします。宋江・柴進とともに荊門鎮に言ったところ、荊門鎮の主人は宋江・柴進ではなく、さらったものが宋江の名を騙ったことが判明します。李逵は首をかけたわけで、死ぬつもりで宋江のもとに行こうとしますが、一同のとりなしもあって、宋江は「ニセ宋江を捉えて、娘を探し出せたら許す」と言います。結果、李逵はめでたくニセ宋江をやっつけて、娘を探して荊門鎮に届け、宋江は宴会を催して李逵をねぎらいます。
記述は淡白ですが、ここで宋江は荊門鎮の主人には仁(思いやり)を、李逵には義(人と人とのつながり)と悌(兄弟の情)を示しています。
また、第62回 冷箭を放って燕青主を救い 法場を劫して石秀楼より跳ぶ はどうでしょうか。
処刑直前の盧俊義を救うために、潜伏中の石秀が勝手に飛び出してしまいますが、特にお咎めはありません。
さらに、第72回 柴進花を簪て禁院に入り 李逵元夜に東京を鬧す はどうでしょうか。
勝手に宋江と李師師の仲を勘違いした李逵が大暴れして、恩赦を頼むという目的が失敗してしまいますが、李逵を責めるどころか、帰りには李逵を心配して燕青をつける配慮までしています。
これらの例に反して印象的なのが 第83回 宋公明詔を奉じて大遼を破り 陳橋駅に涙を滴れて小卒を斬る でしょう。ここは、招安が成功して宋江が変節したと解釈できる回でもあります。これまで義を中心に動いていたのに、忠が中心になった瞬間だと解釈できます。(私の解釈ですが)
あまり、水滸伝には組織をどうのこうの、という描写はありません。(三国志演義にも意外と少ないです。あることにはありますが)せりふにもあまり出ません。
組織論が出てくるあたり、やはり北方氏の『水滸伝』の登場人物は現代的、日本人的だと思いますね。