夏天故事

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北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 7(最終回)

2013-02-04 21:30:00 | 雑感・その他
4.日本社会の異文化受容に関する問題
以上、北方氏による『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する問題意識を3点に分けて整理した。だが、一番の問題は前述の3点に根本的に横たわっている、「自身が受け取りたいものしか認めない」ということではないだろうか。
インドのカレーを食べたある日本人が、「こんなのカレーじゃない。日本のカレーが一番おいしい」と言い放った、という話を聞いたことは無いだろうか。またはキムチの国際表記を韓国がKIMCHIと主張したのに対し日本側がKIMUCHIにするべきだ(そうでないと日本人は発音できないから)として論争が起こったという話を聞いたことは無いだろうか。キムチに関しては、韓国側がキムチは「発酵」してあるものであり、日本のキムチは浅漬けの漬物だから違う物だと主張していたが、日本側はどちらも同じ『キムチ』と考えたため起こった論争だった。
両事例とも根底には、日本に異文化が流入して日本に同化した末、日本に同化したものがオリジナルとされて、本来のものを認めないという流れがある。これと同じことが水滸伝にも起こっているのだ。
そしてこのような流れが起きるとき、本場がどこかに限らず、無意識の中で文化が優越しているとしているほうが優先的にオリジナルとなり、劣っているとみなされる方は排除される。つまりカレーやキムチの場合、インド及び韓国と日本の文化間の争いであるが、受容する日本人の多くは日本文化のほうがインドや韓国の文化より優れているという無意識下での認識があるために、本場のカレーやキムチが排除される傾向にある。ヨーロッパの文物に対してカレーやキムチのようなことが起こらないのはこのためである。
(フランス料理やイタリア料理に対して上記のような例はあまり聞かない。むしろ昔はすべてスパゲッティですんでいた食べ物が、パスタだの何だのとより現地にあわせた呼び方になっているのは逆の現象が起こっているためだ。)
水滸伝の場合も同様である。日本人である北方氏が作った『水滸伝』と中国民衆が作り出した水滸伝を比べた場合、日本文化と中国文化の争いになるわけだが、北方氏の『水滸伝』で留まって「原典を読んだことがない」という声が多いのも、どこかで日本文化>中国文化という価値判断がはたらいているからではないか。そして、それは「自身が受け止めたい」水滸伝像でしかないのにもかかわらず、原典が駆逐されるという現状につながっている。
さらに、水滸伝に関して「自身が受け取りたいものしか認めない」という心理を許すもう一つの要因は、水滸伝が日本ではマイナーだ、ということにある。
『三国志』(ただし三国志演義ではないことに注意!!)のようにメジャーであれば、このような大規模改変自体許さないであろう。例えば「豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて」解体改変を加えた結果、魏・呉・蜀の大連合が司馬氏と戦うなどという筋書きの小説になった場合を考えてほしい(それに近い『龍狼伝』という漫画はあるが『三国志』とか三国志演義というタイトルでは無い)。その小説をそのまま『三国志』もしくは『三国志演義』というタイトルで売り出し、しかもそれが「○○版『三国志』が然るべきのちに、中国版『三国志』に代わって定本になる」などのうたい文句で宣伝されていたら、どうだろうか。日本中にいる多くの『三国志』ファンは、三国志として許容できるであろうか。
三国志演義にはしないような改変を平気で水滸伝に行い(ただし山田氏によると呂布の性格は変えたらしい)、それを水滸伝として評価することができるのは、単純に日本では水滸伝が『三国志』ほどメジャーではない=受ける批判もそう多くないからだろう。似たような現象はテレビドラマ『西遊記』にもみられる。沙悟浄は河童じゃないし、白馬にもきちんと意味と役割があるが、日本のドラマシリーズではわからない。ドラマでは猪悟能(猪八戒)の元の姿である天蓬元帥が中国社会ではどれだけの存在なのか(その天蓬元帥が猪悟能として取経しに行くことの意味もあわせて)、81という数字も全くわからないのにタイトルだけは『西遊記』というのは本当におかしな話なのだが、『西遊記』として通ってしまっている。西遊記も日本では内容があまり知られていないから平気でこのようなことが行われるのだ(ただし西遊記の場合、「あれは日本のテレビ局が作った『西遊記』だ。原典は別にある」という判断がしやすい)。
『水滸伝』の改変も『西遊記』の改変も、三国志の改変でたとえるなら、そもそも漢が滅びず魏も呉も蜀も誕生しなかったり、諸葛亮が蜀を簒奪し、関羽は曹操に捉えられたとき寝返ってそのまま魏の高将になるや、司馬を抑えて自身が三国を統一して皇帝になったりといった改変などよりもさらに破天荒なものなのだ。そのような改変を許してしまうばかりか、改変物を水滸伝として評価してしまうのは、結局のところ水滸伝(や中国文化)には興味がないから、もしくは水滸伝(や中国文化)を下にみているからなのだろう。
だから「自身が受け止めたい」水滸伝像でしかないのにもかかわらず、『水滸伝』を水滸伝として評価できてしまうのである。
そしてこのような傾向は、水滸伝と『水滸伝』に限らず、日本社会のいたるところで、沖縄を含むアジアの諸文化に対して見られる。


5.終わりに
以上、問題を整理してみた。北方氏『水滸伝』が無批判に水滸伝として受け入れられているのは、日本において水滸伝がそんなに有名ではないこと、中国の文学であることに甘えているからではないか。
つまり、三国志のように有名になりすぎている場合(しかも日本の『三国志』の場合、吉川英治の小説版が大きすぎる)は、『水滸伝』のような改変をしたら受ける批判が多くなるし、欧米の文学に対しては『水滸伝』のような改変をする発想すらないだろう。
結局、中国の文化を日本の文化より下にみる部分がどこかにあるから、『水滸伝』を水滸伝として無批判に受け入れることができるのだ。それは山田氏のような『水滸伝』を水滸伝として推す文章のいたるところで垣間見える。
このことが一番問題なのではないだろうか。
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記事拝読 (花和尚)
2013-06-14 13:54:52
はじめまして。
ブログの「北方水滸伝」に関する記事、とても面白く拝読しました。
 私は、もう半世紀近く昔、図書館で出会った子供向けの水滸伝(出版社不明)の面白さに魅せられてからのファンです。子供ながら生意気に本物を読みたいと思い、当時1冊100円ぐらいだった岩波文庫の吉川幸次郎訳を買って初めて大人の世界に触れたのを懐かしく思い出します。
 水滸伝は大好きで、日本テレビが中村敦夫主演で制作したものも、「こりゃかなり違うな」と思いながらも、楽しむことができました。横山光輝の漫画にしてもそうでした。また、20年ほど前に中国中央電視台でドラマとして制作されたものも、「遇洪而開」から始まったわけではないのですが、ドラマとしての脚本にするための創作挿話がちりばめられているものの、原典を尊重したものとして楽しむことができました(もっと長い最新作が出ているようですね)。創作挿話にしても、菜園に出入りしていた魯智深の取り巻きが高衙内に「ちょっとした復讐」をしたり、武十回の潘金蓮事件を彼女の視点から描いたりというように、「ホントはこんなこともあったんじゃない」という描き方や、林冲の死を招安直後に持ってくるなど、ドラマ制作者の新解釈や工夫として好意的に捉えることができるものです。
 その後出版が始まった北方水滸伝は、彼の「三国志」の描き方、特に主要人物の死の描き方が一人称になっており、独白から死因になる病が推測できる部分(例:諸葛亮の死は過労による心筋梗塞:心筋梗塞を患った私自身の経験といちいち符合)は彼の力量を感じさせるものであったことから、「水滸伝」でも一人一人の登場人物に巧みな挿話を入れたストーリー構築になるのではないか、と期待して読み始めました。黄巣の流れを汲むと思われる塩闇商人の組織が描かれるなど、歴史に学んだ小説になるのかなと思いながら2―3冊読み進んでいったのですが、貴殿同様、途中で読むことが出来なくなりました。
 過去の名作を換骨奪胎するということは別に構わないと思うのですが、原典の世界観を全て否定した内容に辟易としたのです。あれは水滸伝ではなく、登場人物の名前と時代背景がタマタマ一緒になっているだけの、全く別の物語です。かれは歴史ある創作をグチャグチャにし、誤解を恐れずに言えば、原作者の名前を盗んでいると思わざるを得ません(もっとも、それが通用するのは夜郎自大の国の中だけですが)。
 そう思って、読むことも止め、買った本は悉くBookOff送りとなり、忘れかけて10年が経ちましたが、昨日たまたま、このブログに行き着き、私と同じ思いを持っている方に出会えた喜びから、コメントをお送りする次第です。私などよりも、ずっと的確に「北方水滸伝」の問題点を指摘しておられる、原典をこよなく愛しておられる方と巡り会うことができ、とても嬉しく思っています。
Unknown (はぬる)
2013-06-14 21:20:07
花和尚さん
コメント有難うございます。

>原典の世界観をすべて否定した内容
たとえ小説としていかに優れていようとも、原典の世界観を否定してしまうのであれば、『水滸伝』を名乗ってはいけないはずですよね。
「盗んでいる」という表現は言い過ぎではないと思います。
ですが、日本の市場における「水滸伝」は彼の小説が独占している状況です。
中国の新作水滸伝が最近、レンタル開始されましたが、そのPR雑誌にも一番始めに北方謙三氏のものがきている始末です。
本当に水滸伝をPRするのであれば、吉川幸次郎氏や駒田信二氏が翻訳したものを紹介すべきなのに、それらは影も形もありませんでした。
このような状況は、日本の文化レベルの後退と解釈することも可能だと考えています。本当に残念な状況です。

しかしながら、これらの考察を通して、花和尚さんのような、水滸伝が好きな方々と意見のやり取りをしたり話し合うことができて、大変嬉しいです。
何とあの岡崎由美教授が!!! (叢雲乃飜)
2013-07-08 11:40:25
こんにちは(叢・ω・)ノ


お久しぶりッス<m(__雲)m>


今日知ったのですが岡崎由美教授が江戸時代に輸入され、
翻訳された明代の演劇「水滸伝」を整理し出版なされるそうです。


これは真の水滸伝ファンには涎が出る程の情報と思い記載したのですがご存知でしたか?


待ち遠しくて待ち遠しくて溜まらん(笑)



Unknown (はぬる)
2013-07-08 20:29:14
叢雲乃飜さん

おぉ~明代の演劇「水滸伝」ですか!
読みたいですねぇ~~~

この情報、知りませんでした。

李進義とか阮進とか小旋風より席次が上の黒旋風なんてのも読めるんですかねえ…

興奮必至の情報ありがとうございます ^0^
退店行動 (高給)
2013-08-31 07:09:46
北方水滸伝で検索したら出てきたんで、気になって凄く楽しく読ませて頂きました。

なぜ、コメントかこんなに少ないんでしょうか。理解出来ないですね~、ホントに。


批判コメントがゼロとは。

あっ、、
批判する価値ないもんねww

水滸伝じゃなくてよくね?←本気ですか?この本を読んで、貴方の好きな水滸伝に辿りつく人もいるだろうに。

勝てん誇示←本気ですか?ギャグですよね。

確かに別物です。でも、原本つまらないですからね。



Unknown (はぬる)
2013-09-01 20:18:21
高給さん

コメントありがとうございます。

>水滸伝じゃなくてよくね?←本気ですか?この本を読んで、貴方の好きな水滸伝に辿りつく人もいるだろうに。

「はい、確かに北方『水滸伝』から水滸伝にたどり着く人もいるでしょうね。それで?北方『水滸伝』が水滸伝でなければならない理由は何ですか」とだけ答えてもいいのですが…

確かに水滸伝にたどり着く人もいるでしょう。その人にとっては北方『水滸伝』が入り口として機能したことは否定しません。
が、多くの人は北方『水滸伝』でとどまっているばかりか、日本において水滸伝とは別物の『水滸伝』が跋扈していることも確かです。
そして、それがオリジナルとは違う、北方氏のものだ、とはっきりわかる形で提示されていて、かつ北方氏も出版社も、そして北方『水滸伝』ファンも違うもの(比較の対象になりえないもの)として扱うのであれば別にこんな文章書きません。
水滸伝の延長線上になりえないものを勝手に持ってきて『水滸伝』と称するからおかしいんじゃないの?と疑問を呈しているだけです。

>勝てん誇示←本気ですか?ギャグですよね。

意味がわからない…と思ったら、なるほど、私のブログ名を「かてんこじ」と読んで漢字を当てたんですね。
え~…私は何と戦っていて、何に勝とうとしているのでしょうか?やはり意味がわからない…。
勝手な当て字をつけて、勝手な妄想をするなんて、まさに北方氏が水滸伝のキャラクターたちを勝手に変えたことと同じことを実践なさっているんですね!!!!

なお、読み方についてはこちらから示したことはございませんので「かてんこじ」でも「なつてんこじ」でもいいのですが、私としては中国語風に「しゃぁてぃぇんぐーしー」と読んでいただけると嬉しいです。

>確かに別物です。でも、原本つまらないですからね。

「でも、原本つまらない」から何なんでしょう…
別にあなたに「原本を面白がれ」と強要した覚えはないですし、あなたに「北方氏の『水滸伝』を面白いと思え」といわれる筋合いもありません。

また、別物ならやはり北方氏『水滸伝』は原典とは別物であることがすぐわかるようなタイトルなりにするべきでしょう。
そして、この一文で確実に北方『水滸伝』の読者には水滸伝に対して傲慢で不遜な方がいるということがはっきりしたわけです。

この一文で、私の主張を2点も補完するなんて、高給さんはなんてすばらしいんでしょう!!!!!!!!!!







…つーか、これで批判したつもりなんだろうか…
批判する価値ないなどと言いながら、反対の立場から書かざるを得なかったって言うのは、よっぽど北方氏の『水滸伝』がお好きなんでしょうね…
きちんとした批判なら、いくらでもしてもらってかまわないのですが、この「高給」さんのような、批判にもなっていない(個人の感想文でしかない)、でも批判したつもりのコメントを受け取ると、私の「北方氏の『水滸伝』を水滸伝として評価する」人たちに対する評価はより下がるだけだし、北方氏『水滸伝』を水滸伝として認めてはいけないという判断はより硬くなるだけなんですが…
Unknown (ささ)
2013-09-07 00:16:09
はじめまして
水滸伝で検索したらこのブログが出てきたので興味深く読ませていただきました
個人的には水滸伝に忠実な作品に飽きてたこともあり、この作品が好きですが原作と違いすぎてダメというなら仕方がないと思います。そこは個人個人の感性一つ
ただあえて反論するなら

・アジアを下に見ている
・水滸伝が有名ではない

の2点でしょうか

北方氏の作品の傾向として「男の生き様(死に様)を書く・タブーへの挑戦」
が挙げられるかと思います
ハードボイルド作品を端緒にから最近はタブー視されがちな南北朝期・中国物の歴史小説等、作品の幅を広げており、
南北朝期の作品では後醍醐天皇を愚かだが大きな男として描き、三国志や楊家将等では水滸伝ほどではなくとも原作と大いに違う人物設定で描かれています
水滸伝の大幅な改編はアジア蔑視などではなく北方氏の姿勢に拠るものかと。

また、中国の古典小説は古くから輸入されたものも多く、日本文学に大きな影響を与えました。
三大奇書を始め、封神演技・岳飛伝・楊家将・金瓶梅等は現在でも著名な作家が多く書き、日本人に愛され続けています
中国の古典小説は欧米文学なんかよりよほど日本に根付き、日本人にとって身近なものと思いますが。。

水滸伝に関して言えば江戸期は滝沢馬琴・山東京伝・上田秋成等の作品に多大な影響を与え、
近代・現在では吉川英治氏の小説や駒田信二氏・吉川幸次郎氏の翻訳等を始め柴田錬三郎氏・津本陽氏・杉本苑子氏等錚々たる文豪があるいは原作に忠実に、あるいは大幅に改編され出版されました
勿論、小説だけでなくゲームや漫画・アニメ・梁山泊を冠した団体等、広く人口に膾炙されています
あまりに多くの作家が書き飽和状態(原作に忠実な作品が多すぎる)がゆえに敢えて全く違った世界を描いたという見方も出来ると思います
北方氏レベルならわざわざ剽窃せずとも十分売れてますし、北方水滸伝がオリジナルと思う粗忽者はそうそういないでしょう。
日本式のカレーやキムチの方が本場のものより好きだという人が多くとも日本がオリジナルだと思う人はほぼ居ないし、万が一、そう思ってたとしてもすぐに気づくレベルの話かと

それに、世界観が全く違う水滸伝はこれだけじゃありません。
例えば杉本氏の悲華水滸伝では登場人物がお互いに「君」付けで呼び合うような代物ですし、水滸伝を題名にいれ内容は現代や未来といったものも数多く見受けられます
また、作品は違いますが陳舜臣氏の秘本三国志では劉備と曹操が結託してたり。
まぁ、それが良い悪いは先にも書いたとおり個人個人ですが。。ただ、それでアジア蔑視はちょっと行き過ぎかなと

Unknown (はぬる)
2013-09-07 21:25:19
さささん
はじめまして
コメントありがとうございます。

お答えする文章を書いたのですが、長くなりましたのでエントリーとしてあげたいと思います。

ご一読いただき、またさまざまなご指摘をいただければと思います。
はじめまして (もく)
2013-09-21 23:58:07
北方水滸伝、通常の水滸伝(施耐庵作 駒田信二訳)や横山氏の漫画両方読んだ立場からしたら
まず北方氏の我慢して最後まで読んでみたら?って思います。
私は北方水滸伝を兄に借り、その時にどんどん戦死していく水滸伝と聞いて「108人揃わないなんて、そんなの水滸伝じゃねー!」って思ったけど、面白いですよ。

元々ファンタジーな通常水滸伝をリアルにしたらこうなるな~って感じでしょうか。
終盤大半が空気になってしまう通常版と違い、一人一人丁寧に描かれていますし。

、「(遇洪而開がないなんて)こんなのカレーじゃない。日本のカレー(通常の水滸伝)が一番おいしい」

と食わず嫌いせずに一度食べてみることをおすすめします。
小説としての評価と水滸伝としての評価 (はぬる)
2013-09-22 12:48:22
もくさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。

小説としては、非常に面白いものなのだと思います。

う~ん…私が感じる違和感は小説として、ではないんですよ。
例えるなら、
牛乳を飲もうとして冷蔵庫の中の紙パックの液体をコップに注ぎ、飲み干すとします。
それが牛乳なら何でもないのですが、牛乳だと思っていたものが、実は飲むヨーグルトだった時ってすごい違和感を感じますよね?
そのとんでもない違和感…それと似ていると思います。
ヨーグルト自体は美味しいんですよ。
でも上記のような状況では、うわ!なんだこれ!となってしまいます。

で、北方謙三氏の"水滸伝"はヨーグルトであるにもかかわらず、「牛乳だ」「昔の牛乳よりずっとうまいだろう」
と言って憚らないわけです。
これが、北方氏や彼の"水滸伝"を水滸伝として評価する人たちの問題点ではないかと思いますが、いかがでしょうか?
Unknown (もく)
2013-09-23 20:04:49
返信ありがとうございます。
牛乳と飲むヨーグルトほどの差はないですかね、通常版がヨーグルト、北方版が飲むヨーグルトってとこでしょうか。

これが(北方版が)本物の水滸伝だ!
といっちゃうのはまずいと思いますが、こっちのほうが昔のよりもずっと面白いだろう!と言うのはいいんじゃないかと。言うのは自由で、受け取るのは読者なので。


Unknown (はぬる)
2013-09-24 21:01:06
>牛乳と飲むヨーグルトほどの差はないですかね、通常版がヨーグルト、北方版が飲むヨーグルトってとこでしょうか。

本当にその程度の差でしょうか。
もちろん両方とも読まれた、もくさんの捉え方のほうが正しいのでしょうが、それでも私はどうも懐疑的です。
というのは、私は水滸伝のストーリーだけで『水滸伝』を水滸伝かどうか判断しているわけではないからです。
水滸伝にはアジア人の伝統的な考え方である儒教や道教、仏教の世界観があふれています。特に“義”“仁”“孝”“忠”をはじめとする“徳”が水滸伝世界の大きな価値基準になっています。
多くの人に謎とされている劇中の宋江の扱いも、“徳”という点から考えると理由のあることだと理解できます。
そういった点も含めての水滸伝です。「遇洪而開」は水滸伝世界を現す象徴的なものです。もちろん108という数字にも大きな意味がありますし、108人が梁山泊に聚合することやその後ばらばらになることも、水滸伝世界の中では、大きな意味があります。
北方氏の『水滸伝』の場合、立ち読みをした部分以外にも、解説や推薦の文章を読んでも、上記の水滸伝世界の価値観を尊重するどころか、古いものとして捨て去ることに価値すら置いているような部分が見えます。(このあたりは、拙文 北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文4~6に編集者などの文章を引用して批判しています)
そういうことを考えれば、申し訳ないですが懐疑的にならざるを得ません。
北方氏は宋江をどのように描いているでしょうか。

>こっちのほうが昔のよりもずっと面白いだろう!と言うのはいいんじゃないかと。

これは別に否定しません。人それぞれですし。

しかし、中には、
>これが(北方版が)本物の水滸伝だ!
>といっちゃうのはまずいと思いますが、
と言う人がいるのです。
(しかも、北方氏の『水滸伝』が昔のよりもずっと面白いだろう!という人に多いです)
具体的には
 『この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。』
などという言葉を使いながら。
そして、北方氏『水滸伝』を水滸伝と考えている人が多そうだ、と思える事例を(ネット上でも実生活でも)多く見ているので、問題意識を持たざるを得ません。
Unknown (もく)
2013-09-26 20:22:53
私自信の徳というもののとらえ方があってるか微妙なのですが・・・とりあえず、やさしさとかそういうものだと思っています。

で北方水滸伝の宋江ですがどうなんでしょうね。通常版よりかなり好きではありますが。
徳にあてはまるかどうか微妙なのですが、祝家戦で終盤自分の妻(すでに死んでいるが罠でおびき出される)を
救い出すために戦線離脱し、戻ってきた林冲の処罰を
決めるシーンがあります。そこでの会話を一部載せます。

宋江「軍規にてらして、林冲は死罪。同情すべき点はあるが、軍規を曲げることはできん。私は死罪とあえていう」

宋江「林冲、おまえは人の心のままに動いた。人が人の心を持てる国。これが、梁山泊が目指している国でもある。おまえは、人として間違ったことはしなかった。しかし、軍規というものがある。死罪は私の苦渋の選択なのだ、わかるな?」

林冲「はい」

宋江「人として間違ったことはしなかったが、軍人として間違った。そういうこともあるのだと、私はいましみじみ思っている。人として間違ってないおまえを処断することは、私にとっては痛恨のきわみである。私は、自栽しようと思う。私が死ぬことで、はじめておまえに死罪も申しつけられる」

このシーンはすごく魅力的で好きです。

逆に通常版の宋江はシュドウを仲間に引き入れるために子供を殺せと命令する(実際命令したかはわからないけどリキやサイシンはそういってる)

このような人物が徳がどうとかいっていいの?って思いはあります。

本物になる云々ですが、水滸伝も昔の中国で色々加筆修正され、議論されながら変化を遂げてきたものでしょうし、史実のあやふやな創作ですから、目くじら立てることないと思うんですよ。

むしろ最近終了した原作:武論尊、作画:池上遼一の覇(三国志っぽい漫画、主人公の劉備が日本人)
こっちのほうがやべーんじゃないのって思いますねw

Unknown (はぬる)
2013-09-27 01:11:19
もくさん
申し訳ありませんが、忙しくて、今返事ができません。
明日返事ができると思いますので、ご了承願います。
もくさんへ (はぬる)
2013-09-30 21:48:22
いそぎ、2点のみ。
1、やさしさは、仁に近い概念です。徳のひとつですが、徳そのものでは、ありません。
2、もくさんが引用してくださった部分だけで判断すれば、宋江も林冲も非常に、現代的で日本人的だと思います。
詳しくは、後日書きますね。
Unknown (はぬる)
2013-10-06 22:36:22
やさしさというのは徳(徳目とも)のうち、「仁」に近い概念ですね。
徳とは、それ自体に概念があるというよりは、仁・義・礼・智・信(ここまで五徳)や孝・悌・忠などの概念を合わせたものと考えたほうがよいです。その中でも仁は徳目のうち一番先頭に来る概念です。

引用部分はもくさんにとって宋江の性格を象徴的にあらわしている部分だと思います。
引用部分だけではすべてを判断することはできませんが、この部分を見る限り、宋江も林冲も非常に現代的・日本人的に描かれていると思います。

まず、林冲が梁山泊入りした経緯が原点と同じなら、林冲の妻が生きていることは義や礼に照らしたとき違和感があります。原典が、林冲の梁山泊入り前で死ぬように描かれているのは、儒教的には充分にありえることです。
また会話を見ると、宋江は組織を守ることを優先しています。
日本では組織を守ることを優先して家族や兄弟は後回しにします。しかし中国や韓国では家族(特に両親)や兄弟を優先し、組織は後回しにします。徳目でいうなら、日本は 忠>孝 であるのに対し、中国・韓国では 孝>忠 という順番に価値を置きます。
忠と孝が対立したとき、伝統的な中国人は孝を取るのです。
それは、孝は仁の元である、と考えるからです。
また、徳のある者、仁のある者が天によって地の利、人の和、天の時を得て皇帝になると考え、徳のない者は天から見放され滅びることになると考えられていました。
仁の大元は孝なのです。孝のない者は伝統的な中国社会では評価されません。

そういう理由で、引用部分は偶然にも象徴的なまでに日本的な会話だと思います。
牛乳と飲むヨーグルト以上の差があると思います。

>本物になる云々ですが、水滸伝も昔の中国で色々加筆修正され、議論されながら変化を遂げてきたものでしょうし、史実のあやふやな創作ですから、目くじら立てることないと思うんですよ。

それはそうですが、加筆修正も壊してならない枠があるでしょう、ということです。
付け加えますと、研究には「最終成立」という概念があります。水滸伝の成立史として、大枠ができたのはいつか、という概念は非常に重要なものです。水滸伝の定義に深くかかわるからです。
その点、北方氏『水滸伝』は水滸伝の研究の対象にはなりえないでしょう。

そういうことをすべて無視したまま、『水滸伝』というそのままのタイトルで、しかもそれを売る側が
『この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。』
などと傲慢な物言いをしているわけで、充分に目くじらは立てるべきだと思います

これは、もくさんや私をはじめとする日本社会の構成員が正当性(本質)を重要視するか否かの問題であり、日本社会が正当性を重要視しない社会であるならば、私は大きな問題意識を持たざるを得ません。
単に水滸伝の話ですが、日本国憲法の正当性(本質)が知らぬ間に骨抜きにされていく現状に対する問題意識・批判意識のあらわれです。

>むしろ最近終了した原作:武論尊、作画:池上遼一の覇(三国志っぽい漫画、主人公の劉備が日本人)
こっちのほうがやべーんじゃないのって思いますねw

何度も書いたと思いますが…
でも『三国志演義』というタイトルそのままなわけでも、「これが後に本物の『三国志演義』になる」なんていってないわけですよね。
つまりヨーグルトを牛乳としては売ってないし、これが本物の牛乳だなんて言ってるわけではないです。
北方氏の『水滸伝』はそうではないですよね。


もくさんにお願いがあります。
この文章に書いたことや前の返信のときに書いたことの多くは、『北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 1~7』までの文章の中にあります。拙文ではありますがもう一度よく精読していただけたらと思います。

Unknown (もく)
2013-10-07 01:26:46
一応一通り読んだんですけどね^^;
最後のやつが特に気になったので最初の投稿をしました。
>>だが、一番の問題は前述の3点に根本的に横たわっている、「自身が受け取りたいものしか認めない」ということではないだろうか。

こことか、ご自身にもあてはまるとおもいませんか?
読まずに批判する意味が本当にわからないんです。
私自身もどちらかといえば批判的な立場で読み始めましたが、今では北方版の方が好きです。

>>水滸伝のタイトルを冠せず、水滸伝のキャラクターも使わないで勝負するのが「作家という創造者の矜持」ではないのか。

読めばわかりますが、仮にこのようにしたものを水滸伝をしってる人が読めば
「水滸伝パクリまくってるじゃねーか」って思うぐらい
水滸伝です。

>>3の「自分自身の『水滸伝』を~
ですが、北方氏は作家であり、翻訳家ではない。だけど水滸伝という話にすごく魅力を感じ、自分なりの水滸伝を書こうと思った。その際、ファンタジー、オカルトを排除し、史実にできるだけ近づけた。
そういうことだと思います。
続編の楊令伝では方臘の乱がでてきますし、日本や中央アジアとの交易なんかもでてきて「そーいやチンギスハーンの時代と近かったな」と、にやりとしました。

と、まあ、読んでますよアピールしたところで・・・

林冲の妻ですが、コウキュウに妻は死んだと伝えられ
諦めていたところ、気がふれてはいるが役人の高級娼婦として生きていて、自分の名前は書ける。その字を見て助けにいくという流れです。

宋江は組織を守る~の件ですが、泣いて馬謖を切るなんて言葉がありますね。孔明は中国では評価されていないのでしょうか?

眠くて支離滅裂になってるのですがご容赦を・・・

例えばです、中国の有名な作家がところどころ内容の違う、しかし題名や登場人物の名前は同じ真田十勇士や里見八犬伝を書いたとします。
私は面白ければオッケーです。
しかし、幸村や八犬士が中国人でしたとかなら認めません。
秀吉が実は王室を追われた朝鮮人で復讐し祖国を取り戻すために日本を統一し朝鮮出兵をした・・・なんて話を書かれたら激怒するでしょう。

とりあえず読んでみてください、まじでw

Unknown (はぬる)
2013-10-07 21:01:33
もくさんへ
非常に長くなりましたので、エントリとしてあげたいと思います。
続きのやり取りはそちらでしましょう。
Unknown (あおぞら)
2013-10-10 23:59:20
味深い考察でした。
私も初めて触れた中国の小説が水滸伝で、思い入れもあり、題名に反応して北方謙三の水滸伝も読みました。
私は北方謙三がどのような思いで書いたのかには興味はありませんが、行動の動機がはっきりした登場人物達はどうも窮屈そうで、作者ご自身を重ねたらしきアイタタタな漢も出てきたりして、個人の匂いが染み付いた水滸伝という感想でした。
作者や出版物の都合やらに縛られ、小さく、明確すぎて、多くの人の欲求を入れ込む隙間がなく、
面白さという読み物としての根本の存在意義からも解放されている原典と対で並ぶ事が出来る作品ではないと思います。
原典には何でこいつこうなんだろうとか、これおかしくない?と言う所がそのまんまにしてありますが、それが触れた人間の心を動かし、形変えてやりたいと思わせる。そこが水滸伝て物語を長い時間生かし続けていると思うのです。北方謙三のは、その副産物かなーと言うのが個人的な意見です。

でもこの先、北方謙三のと原典とを比較する事によりこの時代の日本の文化や観念を読み取る人が出てくるかもなーと思うと、 今の時代の日本で生きる我々が、これが水滸伝だ!!なんて無邪気に受け入れておいても楽しいんじゃないかなあ、なんて思ったりします。
Unknown (あおぞら)
2013-10-10 23:59:20
味深い考察でした。
私も初めて触れた中国の小説が水滸伝で、思い入れもあり、題名に反応して北方謙三の水滸伝も読みました。
私は北方謙三がどのような思いで書いたのかには興味はありませんが、行動の動機がはっきりした登場人物達はどうも窮屈そうで、作者ご自身を重ねたらしきアイタタタな漢も出てきたりして、個人の匂いが染み付いた水滸伝という感想でした。
作者や出版物の都合やらに縛られ、小さく、明確すぎて、多くの人の欲求を入れ込む隙間がなく、
面白さという読み物としての根本の存在意義からも解放されている原典と対で並ぶ事が出来る作品ではないと思います。
原典には何でこいつこうなんだろうとか、これおかしくない?と言う所がそのまんまにしてありますが、それが触れた人間の心を動かし、形変えてやりたいと思わせる。そこが水滸伝て物語を長い時間生かし続けていると思うのです。北方謙三のは、その副産物かなーと言うのが個人的な意見です。

でもこの先、北方謙三のと原典とを比較する事によりこの時代の日本の文化や観念を読み取る人が出てくるかもなーと思うと、 今の時代の日本で生きる我々が、これが水滸伝だ!!なんて無邪気に受け入れておいても楽しいんじゃないかなあ、なんて思ったりします。
Unknown (はぬる)
2013-10-16 22:12:56
あおぞらさん
コメントありがとうございます。
返事が遅くなってすいません。

>行動の動機がはっきりした登場人物達はどうも窮屈そうで、作者ご自身を重ねたらしきアイタタタな漢も出てきたりして、個人の匂いが染み付いた水滸伝という感想でした。

なるほど、やはりそうなのですね。
北方氏本人も「自分の『水滸伝』を書いた」といっているように、どこまでいっても北方氏の『水滸伝』なのですね。

>原典には何でこいつこうなんだろうとか、これおかしくない?と言う所がそのまんまにしてありますが、それが触れた人間の心を動かし、形変えてやりたいと思わせる。そこが水滸伝て物語を長い時間生かし続けていると思うのです。

おぉ~気がつきませんでした。
確かにそれも水滸伝のおおきな魅力ですね。
私も北方氏も、あおぞらさんが指摘してくださった魅力にやられたといって過言ではないですね。
あおぞらさん、鋭いご指摘ありがとうございます。

>でもこの先、北方謙三のと原典とを比較する事によりこの時代の日本の文化や観念を読み取る人が出てくるかもなーと思うと、

確かにそうなんですが・・・

>今の時代の日本で生きる我々が、これが水滸伝だ!!なんて無邪気に受け入れておいても楽しいんじゃないかなあ、なんて思ったりします。

ただ、原典がきちんと紹介されているという前提が会って初めて比較ができるのだと思います。

日本の市場において、北方氏『水滸伝』が独占し、駒田信二氏、吉川幸次郎氏等の仕事がまったく紹介されていない状況は、やはり非常におかしいと思います。
Unknown (Unknown)
2013-11-06 11:15:26
大変興味深く読ませて頂きました。
はぬるさんが仰る内容から察するに、何事も公平に物事を判断するべきであるが その基本となるべき資質を各自が鍛錬しなければならないと言うことかな?と思いました。
水滸伝しかり、書物という物は文化的資産であり 有る意味非常に敬意を持って接するべきだと思います。
北方氏著水滸伝(山田氏評は顕著)は その敬意を微塵も感じない内容なんだな…と、コメントなさってる方々の評価を読んで、まだ読破していない私も感じた次第です。
それでは、はぬるさんが最初に懸念なさった原本を読んでいない人たちの評価と同じではないか?と自分でも矛盾を感じざるを得ないですが あからさまに原作の名を借り 自身の知名度を傘に内容を変え利を得るのは不徳だと思っているので反論も御座いますでしょうがお許しください。
知識に裏づけのあるコメントを沢山読ませて頂き、ありがとうございました。
すみません、名前書いてませんでした! (U+21E7U+21E7HN『涼風の音』です。)
2013-11-06 15:27:36
申し訳ないです。
Unknown (はぬる)
2013-11-09 12:04:02
涼風の音さん
コメントありがとうございます。

> あからさまに原作の名を借り 自身の知名度を傘に内容を変え利を得るのは不徳だ

私も同意です。
まさにそうなんですよね。
私が、北方氏『水滸伝』が小説として優れていても、水滸伝として評価はできないのは、ここがはっきり見えているからなんですよね。

涼風の音さんには、意図を汲んでいただきありがたく思います。
すっきりしました。 (なやまきなかもり)
2014-08-17 15:35:33
昔の記事にコメント失礼します。北方水滸伝は水滸伝じゃない!と、私と同じように感じている人がいると分かって嬉しくて、グダグダと書き込んでしまいました。

私は、北方水滸伝が初めての水滸伝でした。大変面白かったので、原作も読みたくなって、岩波文庫の吉川幸次郎、清水茂訳を読んで、全く別物であることに驚きました。

北方水滸も、本来の水滸伝も、好きです。しかし、比較は全く出来ない別物ですね。北方水滸は、彼の小説全てに溢れる、北方氏理想のハードボイルド的な「漢」像を、北宋末期の舞台を描いたものです。
だから、貴方のおっしゃる通り、北方水滸を水滸伝として見るのはちゃんちゃらおかしいや、と思っておりました。彼が、タイトルを「北方水滸伝」としておけば良かったと思います。

友人、好きな本の話は?
ということを聞かれ、水滸伝と答えると、あれ面白いよね!と、返されることはそれなりにありますが、彼らの言う水滸伝はいつも北方水滸です。私は、10代なのですが、若者の間では特に北方水滸伝=水滸伝という認識が横行しとると感じます。

北方水滸伝は水滸伝じゃない!と、私と同じように感じている人がいると分かって嬉しくて、グダグダと書き込んでしまいました。

(完全に蛇足ですが、北方氏は、「水滸伝」の続編「楊令伝」「岳飛伝」も書いています。勿論、本来の水滸伝とは全く関係無いものです。面白いんですけどね(^-^; 私は、北方氏の世界に飽きたので途中でやめてしましいました(笑)
北方氏の小説が面白いことは間違いないので、一度hanulgwapadaさんも水滸伝や三國志など歴史物以外の北方氏の小説を読んでみても良いと思います!)

Unknown (はぬる)
2014-08-17 20:03:52
なやまきなかもりさん

はじめまして
コメントありがとうございます。

なやまきなかもりさんのように北方『水滸伝』も好きな方から理解してもらえてうれしいです。

>彼らの言う水滸伝はいつも北方水滸です。私は、10代なのですが、若者の間では特に北方水滸伝=水滸伝という認識が横行しとると感じます。

私はこれが本当に嫌なんです。
このような意見にあうと、本当に冒涜されているとさえ感じてしまいます。

少し題材は違いますが、今公開中の映画「Stand by meドラえもん」について、賛否があるようです。
それは原作にない映画独自の設定が、原作の世界観を尊重し得ないものだから、と言う理由だそうです。
それをドラえもんとして評価できるのかどうか、ある掲示板では議論百出でした。
ここにも、水滸伝と『水滸伝』の関係性が出ているなぁ…と。

北方氏の小説は面白いんだろうな、とは思います。
なやまきなかもりさんの仰るとおり、歴史物以外の小説を読んでみたいと思います。
(実はこの記事をあげてからこれまでに何度か北方『水滸伝』を読もうと試みたのですが、やはりできませんでした…)

私は (初めまして!)
2014-08-19 13:26:18
北方謙三氏の『水滸伝』しか読んだ事がありませんが

むしろこちらのブログで原典への“愛”をすごく感じたので

一度挑戦してみようと思います!

ただ右も左も分からない状態なので

初心者にオススメなものをお教え頂ければ幸いです。
 (ゆみこ)
2014-08-19 13:33:16
名前書き忘れました(汗)

ひとつ前のコメント致しました。
Unknown (はぬる)
2014-08-19 21:04:34
ゆみこさん
(初めまして!さん=ゆみこさんですよね?)
コメントありがとうございます。

そうですねぇ…
原典でお勧めしたいのは
駒田信二訳(120回本)です。
水滸伝の世界をなるべく崩さずに日本語訳されています。
昔は講談社文庫で出ていましたが、今はちくま文庫から出ています。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D-1-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%96%BD-%E8%80%90%E5%BA%B5/dp/4480421114

また、私は未読ですが吉川幸次郎氏の完訳 水滸伝(100回本)も良いようです。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003201612/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_2?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4480421114&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0JMKY1Y3S4EHXQ3B6M6A

ただ、どちらも訳したものですので、慣れないと肌にあわない、と言う可能性もあると思います。したがって初心者向け、と言えるかどうかは自信が有りません。(慣れてしまえばたいしたことないのですが)
少年少女向きですが、松枝茂夫氏の抄訳もあります。
水滸伝 上 中 下 (岩波少年文庫)です。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D-%E4%B8%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%96%87%E5%BA%AB-541-%E8%80%90%E5%BA%B5/dp/4001145413/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1408448935&sr=1-2
こちらは日本の少年少女向けに訳をしているので大変分かりやすいものになっています。が、弱点としてはすべての文章を翻訳したわけではないという点です。
ただ、原典の世界観を崩さず、それでいて非常に噛み砕いた抄訳になっていると私は思います。
はじめはこちらで大まかな話の流れや主要な好漢を把握し、そのあと、駒田氏の訳で深く味わうといいか、と思います。
(松枝茂夫氏の抄訳は駒田氏の120回本の翻訳を下敷きにしたようですので)

ここまでは翻訳をご紹介しましたが、私は小説はお勧めできるネタを持っていません。
北方氏は言うに及ばず小説となってしまった『水滸伝』はどうも読めないのです。吉川英治氏、柴田錬三郎氏、津本陽氏、杉本苑子氏などが小説にしているようですが…。
おそらく原典水滸伝って読んだ人に、それぞれの水滸伝世界を作ってしまうんだと思います。北方氏しかり、私しかり。それで、小説にしてしまうとその世界がぶつかってしまうのではないか…と。勝手な想像ですが。

心は (ゆみこ)
2014-08-20 06:06:09
少年少女のままなので(冗談ですけど)

全体像が把握出来そうな条件中下巻から始めてみます!

小説って、多分に作者さんの持論・主観が反映されていますよね。

世界観が合っていれば面白い、という事なのでしょうけれど。

少なくとも私は、はぬるさんの捉え方がとても参考になりました。

読むのが楽しみです♪

(汗) (ゆみこ)
2014-08-20 06:08:38
条件中下巻て何だ、自分U+203CU+FE0E

上中下巻です…。

Unknown (はぬる)
2014-08-21 18:54:45
いい選択だと思います。
私は岩波少年文庫から始まり、駒田信二訳につながりました。

水滸伝好きの私としては、
いずれは、是非とも駒田訳も読んでほしいです。

そして、そのあとは鳥居久靖訳 水滸後伝がお勧めですよ~
岩波少年文庫、読んでみました! (ゆみこ)
2014-09-16 19:46:08
はぬるさん、このジュニア版はすごく読みやすくて

まず、そこにビックリ。

内容にも更にビックリ!

『水滸伝』てこういう物語だったのですね。

文章に独特のリズムがあり

登場人物の思考、民衆の姿、神仏観等々が

日本とは全く違う。

違うからこそ興味深い。

おまけに宋江と李逵の最期は、何だか切ないし…。

『北方水滸伝』でとどまらなくて良かったです。

だって全然、別物だもの。知らないってコワイ。

なので次は駒田版に挑戦してみます!

Unknown (はぬる)
2014-09-17 22:05:19
ゆみこさん
そんな風に言っていただけると紹介した甲斐がありました。
嬉しいです。

『北方水滸伝』は二次創作としては優れたものなんでしょう。
けれど、水滸伝の仕事として、彼のものばかりが目立ち、松枝氏や駒田氏、吉川氏の仕事が「一般的に」知られていないのは、本当に不公平だと思うのです。

本エントリ
「北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文」
は、北方『水滸伝』ファンの方々から相当な反発と批判を頂くだろうと覚悟して書いたものですが、ゆみこさんのように理解してくださる方がいて、書いてよかったなぁと、嬉しくなってしまいます。

駒田訳は長いですがその分、第119回、第120回の切なさは言葉にできないほどのものがありますよ。
う~む (ケン)
2014-10-30 11:47:45
比較として三国志を出すのは、そもそも史実とほぼ創作って違いがあるからどうなんでしょう。
当然史実ベースの作品の方が改変はし難いでしょうし、一方で改変して受け入れられている作品がないわけではないです。
例えば陳舜臣の秘本三国志は評価が高い作品ですが、劉備が曹操と密約を交わしているという、結構大きな設定を作っています。
ちなみ北方氏は水滸伝の続編も書いていますが、方蝋の乱を鎮圧するが童貫だったり、原典よりも史実によった作品になっています。
私は「金太郎」というタイトルで、童話と坂田金時の史実?を織り交ぜた小説を書くことを批判する気にはなりません。

また古典をベースに小説を書く場合は多かれ少なかれ改変は誰しもやっていることです。
吉川三国志のオリジナルキャラなんか、日本のその後の他作者の三国志にも登場してきたり、影響度で言えば北方水滸伝以上でしょう。
なので、山田編集の暴言を批判することや、原典を知らない読者達に嘆くことは理解できますが、作者の姿勢を批判するのは疑問です。
マイナーな元ネタで面白い(売れる)作品を書くな、と言っているだけに感じてしまいます。
古典ベースで作品を書いた全ての小説家を批判したいというのなら理解出来るのですが。
Unknown (はぬる)
2014-10-31 12:24:07
ケンさん
コメントありがとうございます。

さて、私は陳寿の魏書・呉書・蜀書(あわせて三国志)と水滸伝を比較したことはありませんよ。
私がよく比較しているのは、「物語」としての三国志演義です。ここは大きな違いで、はっきり区別していただきたいと思います。
そして史実ベースではありますが、講談で語られる物語として施耐庵・羅貫中による最終成立を見た三国志演義は水滸伝と十分比較可能かと思われます。

>私は「金太郎」というタイトルで、童話と坂田金時の史実?を織り交ぜた小説を書くことを批判する気にはなりません。

小説そのものを批判してはいませんが。

>また古典をベースに小説を書く場合は多かれ少なかれ改変は誰しもやっていることです。
>吉川三国志のオリジナルキャラなんか、日本のその後の他作者の三国志にも登場してきたり、影響度で言えば北方水滸伝以上でしょう。

確かにみな改変はしています。しかし、だからといって何でもありではないでしょう?
壊してはいけない枠組みは、どんな物語にも必ずあるのに、それまで壊したら、それはその物語とはいえないでしょう、ということです。

北方氏と吉川氏の大きな違いはここにあります。
北方氏は自ら「水滸伝を一度解体して別のものにした」と語っています。そうであるなら、水滸伝というタイトルや登場人物をそのまま使うのはどうなのよ、ということです。
吉川氏も確かに改変しています。しかし三国志演義の枠は壊していないのですよ。

従って、
>マイナーな元ネタで面白い(売れる)作品を書くな、と言っているだけに感じてしまいます。

といっているのではなく、

マイナーな元ネタを踏み台にして(または利用して)自分の利益にするな、と言っているのです。

古典ベースで作品を書いた多くの小説家はその古典が持つ枠を壊したりしない(もしくは壊すのならそれとわかるようにタイトルをつける)ので、特に批判すべき要素がないだけです。
Unknown (はぬる)
2014-10-31 12:59:46
訂正

利益というのはちょっと違いました…

>マイナーな元ネタを踏み台にして(または利用して)自分の利益にするな、と言っているのです。

マイナーな元ネタを踏み台にして(または利用して)、さもこれが本当の『水滸伝』であるというように吹聴するな、と言っているのです。

Unknown (Unknown)
2015-12-04 08:46:43
原理主義者の妄執がつたわるわ
Unknown (はぬる)
2016-01-06 23:24:50
すべて読んでいるのなら…

「原理主義」としかとらえられない読解力の程度に同情する。

その程度では、確かに駒田信二氏の訳は読めないかもしれない。

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