夏天故事

日々感じること、考えることを書き連ねていきます。

人形の島  6

2013-06-18 19:49:54 | 創作

 雨が上がってご飯を食べ終わり、ダダと別れたニキは谷間に向かった。谷間は神聖な場所で、普段は誰も近付かない。祭壇の整備といっても大した仕事ではなかった。祭壇の周りの草を刈り、祭壇についているコケをとり、祭壇にある祭器を磨いておこうと谷間にはいった。
入江の時と同様、ニキは谷間に近付くにつれ視線を感じていたが、谷間に来た時にはたくさんの視線をはっきりと感じていた。ニキは視線の主を探そうと辺りを見回した。誰もいない谷間。静かな谷間には祭壇とバナナやアダン、ソテツがちらほらと生えている。そのうしろには高い崖があり、死者を模した顔の赤い人形…。

 そうか、人形だ…!

 人形は崖の上からじっとニキを見ている。大きな白い目の黒い瞳でじっとニキを見ている。ニキは知っていた。人形の視線は谷底の祭壇に注ぐように置かれていることを。しかし、今人形が見ているのは、祭壇ではなくニキだった。大きな白い目でニキを見ているのだった。
 ニキは怖くなった。視線から逃れようと、谷間をあとに、必死で走った。それでも視線は離れなかった。どこに逃げようとも視線は追ってきた。がむしゃらに走っていると、村の大辻の空き家が目についた。
「そうだ、オレはここにも用があったんだ。」
急いで家の中にはいる。
 家はがらんとして庭からも柱に掛っている「物」が見える。
視線はニキを見つめ続けている。だがニキは一歩外に出れば人通りの多い四つ辻のそばにいることでいささか心を落ち着けることができた。そうして空き家の中に入って行った。
大きな柱の前に立ち柱に掛っている「物」を見ながら言った。
「昨日、ダダはこれが、この島の物じゃないと言った。そして、さっき店の中でボッカさんが、『この世にないものを持ってきて…』って言ってた。これを調べれば、きっと何か答えが出てくるはず…」
ニキは「物」を柱から外して調べ始めた。箱のようになっているその「物」を開けてみると、小さなものが複雑に、たくさん組み合わさっているのが見えた。
「これは…何かをすると動くんだな…でも何をするんだろう。」
そう思って「物」を持ち上げてみると、ことんと何かが落ちてきた。
「そこにあったのね。」
突然声が背中から聞こえてきた。振り返ると見たことのない女の子が立っていた。
「君は誰?島の人じゃないよね?」
驚きながらニキが尋ねると、女の子はいった。
「それはね『時計』というものなの。時間を知るための道具だよ。でもあなたたちには必要ないよね?太陽や、雨や星が時を教えてくれるから。だから、返してくれる?」
ニキは言った。
「まずオレの質問に答えなよ。君は、この島の人じゃないよね?」
「ふう…。まあ、いいか。そうだよ。」
「島の外…海の向こうはどんななんだい?」
「知りたい?」
「ああ、すごく。」
「本当に?どうなっても?」
「もちろん知りたい。」
女の子はあきらめたように言った。
「どうしてかな…。いつも、どんなに気をつけても、あなたのようなのが出てきちゃう。仕方ないのかな。」
「何を言っているんだ?」
「知りたいのなら、その時計を動かして。その穴に、今あなたが見つけたねじまきをさして回すの。」
ニキは言われたとおりにねじまきを回した。時計は静かに動き出した。
「問題は時計そのものじゃなかったの。時計が止まっていることが重要だったのよ。あなたはそれを動かしちゃった。また夢が覚めちゃうとこだったね。」
「何のことだ…」
そう言いかけた瞬間ニキは眩しい光に包まれた。辺りにはガジュマルの木もバナナの葉もアダンもソテツも空も雲も海もなくなった。あるのは光と女の子だけ!ニキは自分の姿すらなくなっていることに気がつかなかった。
女の子は光の中に向かって言った。
「時計が止まっていたのはね、夢の中だったからなの。ずっと谷間を見続けた私たちは、夢を見ていた。私たちは、私たちが死ぬ前と同じように『想い』を持ちたかった。だから夢の中に探しに行ったりもした。でもまだ、『想い』は見つからない。それなのに、あなたは時計を動かそうとした。時計が動けば夢は夢でなくなる。『想い』を見つけ出す前に夢から覚めるわけにはいかなかったの。だから、しょうがないよね。」
女の子がそう言うと光はさらに強くなり、すべてを飲み込んだ。

 ダダは祭りに必要な物を市場から買い集めて市場の外れまで来た。そこには門のある家があった。門には石でできた黒い水牛の飾りがあった。ダダは茶屋に入って茶屋の娘ナームに言った。
「あそこの水牛のある家って、いつから空き家だったんだろうね。それに長老ですら、誰が住んでいたかわからないなんて、奇妙な話じゃないか。」
ナームは答えて言った。
「昔から空き家だったって話だよ。私のおじいさんのおじいさんが小さい頃から。そう言えば、知ってる?あの家に変なものがあるの。」
 ダダは「変な物」と聞いて俄然この空き家に興味を持ちだした。水牛の飾りを横目に広い庭に出ると、バナナの葉がゆるゆると揺れていた。がらんとした家には大きな柱があって、そこにはナームの言っていた「物」があった。丸い板に書いてある模様や動かない二本の細長い棒、ふた組ある鎖に繋がれた丸い金の板。ダダはこの家に強い好奇心を持った。誰かが、入江に好奇心を持ったように。

 島に雨が降る。人々はいつものようにガジュマルの下に走る。雨が止むとヤシの木やソテツのとがった葉の雫が日差しを照り返す。人々はワイワイ言いながらガジュマルの木の下から出てきて、仕事に精を出す。日差しは海から潮風を運びバナナの葉を揺する。毎日毎日繰り返す光景。島の人たちの大好きな光景。

 谷間の人形たちは、今日もじっと谷底を見つめている。


                おしまい

人形の島  5

2013-06-17 19:16:52 | 創作
 目が覚めるとニキは家にいた。
「ああ…舟…入江だ…。」
自分に言い聞かせるように独り言をつぶやいた。
「ニキ、いるか?」
声の主はダダだった。ニキは答えて言う。
「ああ…。ちょっと待って。」
顔を洗い、ダダを出迎えに庭に出た。空はいつものように青く、白い雲がわき出ていた。庭のバナナは大きなみどりの葉を揺らしていた。
庭に面した部屋に入って、ダダは聞いた。
「昨日、行ったのか?入江。」
「…うん…」
「船はあったか?」
「いや。」
「変わったことは?」
ダダが聞くと、ニキははっとダダの顔を見て言った。
「何かある!」
ニキは話した。夜の入江。船はなかったが、明るい時には感じられなかった人の気配があったこと。たくさんの視線。自分が自分でなくなりそうな感覚。
「いや、そんなんじゃないんだ。自分が自分じゃなくなるなんてものじゃなくて、今、この現実がとってもはかないものに感じられたんだ。なんというか…オレたちの、この、現実が本当は存在しないんじゃないかって…」
「なあ、ニキ…お前、何を言っているんだ。今が本当は存在しないんなら、オレたちもいないのか?いない者同士でどうやって会話するんだ?」
 ニキもダダもそれ以上は話を続けなかった。
ダダはニキを誘って市場に出た。ニキは家を出るとき石づくりの黒い水牛をなでた。ひんやりしてかつかつした感覚で、ニキは自分の考えを否定した。
「こんなにしっかりした感覚があるのに、現実が本当には存在しないなんて、なんでそんな風に思ったんだろう…!」
ダダは、ニキに豆で作った麺料理をごちそうした。
「舟をあの入江に置いてきちまった。」
ニキがそういうとダダは
「お前相当あわててたんだな。でも、昨日の今日であの入江に行くのは嫌だな。」
「まあ、そうなんだけどあれがないと、オレはご飯が食べられないから、あとで撮りに行くしかない。」
そう話していたところへ、大雨が降り始めた。通りの人たちは大急ぎでガジュマルの木の下や市場の茶店に逃げ込んだ。ニキたちがご飯を食べている店にもたくさんの人が逃げ込んできた。
「ニキおいしそうだな。」
「今日は雨足が強いな。すぐ止むかな。」
人々は好き勝手なことを言って雨が止むのを待っていた。
「おお、ニキとダダ。丁度いいところにおった。」
そう言ってニキの隣に座ったのは島の長老だった。
 ダダは長老に言った。
「最近ニキがおかしいんですよ。まあ、普段からおかしな奴ですが。」
「ふむ…」
ニキは長老に尋ねた。
「長老、今が本当には存在しない、なんてことありませんよねえ」
長老は答えて言った。
「今が本当には存在しないとして、それをどうやって証明するのだ?存在しない『今』にいるお前が、存在しませんなどと主張することは不可能じゃ。そう主張できるということ自体が、その主張がウソだということではないかな。」
店の中の誰かがそれを聞いて言った。
「でもよう、この世にないものを持ってきて、『これはこの世にない、本当に存在する世の中のものだ』って主張したら、どうなんだい?」
「それは別の世界があるってことで、この世が存在しないってこととは違うんじゃないかな。」
「いや、そもそもこの世にないものをどうやって持ってくるんだよ。オマエ持ってきてみろよ。」
「だから例えばって言ったじゃないか。」
「じゃあ、そんなたとえに意味はないな」
店の中は勝手な議論が始まった。ニキはその議論を聞きながら、あることを考えていた。
「この世にないもの…なんかどこかで…」
長老はその議論を無視して言った。
「ニキにダダ、お前たちに頼みがあったのだ。ハンゾが死んで、もうすぐ三ツ星と十字星が十度南の空に来る頃じゃ。ニキは谷間の祭壇の整備をしておいてほしい。ダダはハンゾの船に積み込む物の準備を頼む。」

人形の島  4

2013-06-16 20:46:23 | 創作
 太陽が沈み星が瞬き始めた。月は出ていなかった。いつもよりも暗い港を明かりもつけずに、ニキは一人で舟を出した。見上げると羊星が輝く。陸地のほうには七つ星と不動星(うごかずのほし)が大きく瞬いていた。海のほうには三つ星と十字星が水平線の上にチカチカと光を放っていた。ニキは三つ星と十字星が好きだった。海の向こうを照らしているようで、海の向こうを指し示す標のようで、あの星の下に行けばきっと、何か新しい世界があるんじゃないか、といつも考えていた。
ニキはしばらく三ツ星と十字星の間を目指して舟をこいだ後、入江目指して方向を変えた。
星を眺めているとそれほど感じなかった視線が、入江に近付くにつれて、どんどん強くなる。
 入江の岩場に舟をつないで浜辺に降り立つと、入江は暗かったが、太陽の出ているうちに見たときと特に変わった様子はない。ただ、視線はより強くなっていた。何十、何百もの目が自分を見ている。ただひたすら見ている。それにもう一つ気付いたことがある。船はないが近くに何かがいるような気配があるのだ。それが視線のせいなのか、ニキ自身には見えない何かがいるのかは分からない。けれど、確実に何かが近くにいる!
 ニキは怖くなった。ここにいたら、なんだか自分が自分でなくなりそうな、そんな感じがした。ニキは自分の舟を岩場につないだことも忘れて、走りだした。

人形の島  3

2013-06-13 21:27:36 | 創作
 嫌がるダダを無理にひきつれて入江に来た。辺りは岩と砂浜があるだけで、変わった様子はない。崖が海に突き出ていて、大きな穴があいている。
ニキは言った。
「へー、入江ってこうなってたんだ。」
「ん?この入江に来たことなかったのか?」
「ああ…なんとなく、来ちゃいけない気もしてたんだ。」
「お前は、自分がそう思うところにオレを無理やり連れてきたのか?…正直、オレはなんだかここにいたくないよ。なんとなく不気味だ。」
「うん、ダダも感じてるんだな。」
「何を?」
「いや、視線をさ。」
「そんなものは感じないよ。ただ不気味ってだけさ。」
「いや、感じるだろ?一つや二つじゃない…たくさんの目が、オレたちをじっと見つめてる…。」
「頼む、それ以上変なことを言うなら、もう帰ろう。正直オレは怖いよ。」
二人は、何も言わずにニキの家に帰ってきた。石の水牛は何も変わったことはなかった。庭のバナナやソテツも風に揺れている。
ダダは聞いた。
「視線って何だよ。」
「うん、最初は海で船を探したいって思った時かな。海の真ん中で、視線を感じたんだよ。まあ、気のせいか、と思ったんだ。だって、海の真ん中だぜ?」
「で?」
「それがなあ…さっき、ダダと入江に行った時、入江に近付けば近付くほどはっきり視線を感じるんだよ。それもたくさんの視線だ。視線ってあんなにはっきり感じるもんなんだな。」
「…ニキ…忠告する。船を探そうとするのはやめたほうがいい。」
「なんでさ。」
「オレが探そうとした時、そんな視線は感じなかった。今日もだ。お前が感じたという視線は全く感じなかった。お前が…お前ひとりだけが太陽の出ているうちに入江を調べるって発想をしたのも、何か変だ。」
「ダダ、オレは知りたいんだよ。船の正体をじゃない。海の向こうに何があるかを、だ。この島で唯一島の外から来るもの…入江の船じゃないか!」
「唯一じゃないけどな。」
「何?」
「おそらくもともとこの島のものじゃなかったもの、もう一つあるよ。」
「それは何?」
「村の大きな交差点の空き家の、柱にかかっているあの変な物だよ。」
「あ…」
「あれは何なんだろうな。明らかに誰かが作った物なのに、誰もそれが何か、何に使うものか、名前すら知らないんだ。」
「うん。」
「ニキ、お前の気持ちは分かったよ。でも、なんだかオレは恐ろしいよ。」
「それでもオレは知りたいんだ…。この島の外に何があるか…自分でもよくわからないけれど、止められないんだよ」
こうなったニキを止められないことをダダはよく知っていた。何より、ニキなら船の正体を突き止められるのでは、という期待感も少なからずあった。ダダは島の外には興味がなかったけれど、船の正体には興味があった。

人形の島  2

2013-06-12 19:57:43 | 創作
ニキは海で漁をしながら思っていた。
「毎夜来るという船、あれはおそらく財宝を探しにきている海の向こうの国の船じゃないか。大勢の人が静かに何かを探している、ってのは、それだけたくさんの外の人がこの島に来ているんだろうな。俺も探してみるかな。別に財宝なんてどうでもいいが、海の向こうに何があるか知りたい。」
そう考えたニキは櫂を取り出して、舟を岸に向けた。岸に向かって舟が動き出すとニキは奇妙な感覚にとらわれた。
「誰かが見ている…?」
舟にはニキがいるだけ。辺りは一面の真っ青な海。空には青い空と白い雲、照りつける太陽。誰かに見られているはずがない。気のせいだろうと、ニキは岸に向かって櫂を必死にこいだ。
 岸に舟をあげると、ニキはダダの家に向かった。村の大通りを抜けて大きなガジュマルの木の下を抜け、長老の小ぢんまりした家の隣の、バナナの葉で囲まれた井戸を通り過ぎると、ダダは家の中で茶を飲んでいた。
「ダダ、船、見に行こうぜ」
ニキは庭でダダの姿を見るなり言った。
「ニキ、まず落ち着け。船って何だ?」
ダダは自分と生まれた日の近いこの友人をなだめて言った。
「船だよ。入江の…!」
ニキは少し興奮して言った。
 ニキとダダは仲がよかった。生まれた日が近いというのもあった。ニキは漁をするのに必要な力強い腕と大きな目をしていた。けれど、考えることは少し苦手だった。それに対してダダは、島で一番の物知りと言われるくらい、いろんなことを知っていた。目は切れ長で、向かい合って話していると、心の中を見透かされそうな気分になってくる。けれど、ニキのようなたくましさはなく、力仕事は大の苦手だった。二人は自分にないものを持っている互いを信頼していたし、頼りにしていた。ニキは何かあると、いの一番にダダに相談しに来るのだった。
ダダは冷静に言った。
「船を見ることはできるのかな。今まで何人の人が船を見ようとした。けど見ることはできなかった。それをお前はどうやって見つけようっていうんだ?」
ニキは何をいまさらという風に答えた。
「だから、それをダダに考えてもらおうと思って来たんじゃないか。」
ダダはやれやれと思った。けれど、ダダはこんなニキを嫌いではなかった。
 二人はニキの家で作戦を練ることにした。ニキの家は市場の外れにある。門には石づくりの黒い水牛が飾ってある。この島の守り神だ。ふつうは家の中に飾るのだが、ニキはあまり家の中にはいないので、門に飾っている。ダダはそれを見るたびに、ニキはやっぱり変わった奴だと思ってしまう。
「ダダ、太陽が出ているうちに、入江に行っておいたほうがいいかな。」
「そういえば、昼間にあの入江に行くって発想はなかったな、なんでだろう。」
「ん?どういうこと?」
「今まで船をみたいと考えた人も、明るいうちに入江を調べようとした人はいなかったんだ。夜に船が来るとは言っても、明るいうちに調べておくのは、本来当たり前のことなんだけどな。」
「なんかダダ、一度船を探そうとしたことあるように聞こえるな。」
「お前、普段ポケーっとしてるけど、こういう時はカンがいいんだな。」
「じゃあ…」
「うん、探したことあるんだ。船。」
「見つかったのか?」
「いやいや…見つけてたらこんなしてないって。探そうと思ったんだよ。だけどな、太陽が出ているうちに入江を調べるってことは考えつかなかったな。全く。普通、大事なことなんだけれど。奇妙なことだ。」
ダダはこう言ったきり、腕を組んで、うつむき始めてしまった。ニキには何が奇妙なことかは分からなかったが、とにかく太陽の出ているうちに入江を調べることにした。

人形の島  1

2013-06-11 20:38:14 | 創作
 島に雨が降ると、人々は大きなガジュマルの下に走る。木の下でしばらく強い雨を眺めていると、雨はすぐに止んで強い日差しが戻ってくる。ヤシの木やソテツのとがった葉っぱについた雨粒が日差しを照り返すと、人々はガジュマルの木の下から出てきて歩き出す。強い日差しはやさしい風を運ぶ。風はバナナの大きな葉を揺らし、海の香りを運ぶ。アダンの気には大きなダイダイ色の実がなっていて、海の碧さによく映える。毎日見られる景色だ。島の人たちが大事にしてきた景色だ。
 島には不思議な場所が3か所ある。
一か所は島の奥にある谷間だ。谷は高い崖になっていて所々の窪地に何十、何百もの人形が置いてある。人形は島の赤木でつくられていて、どの人形も赤い顔をしている。大きな目は白く塗られていて、黒い瞳はじっと、ただひたすらじっと谷底をみつめている。ここは死者の魂を祭る場所だ。島の人が死ぬとここで死者の魂を祭り、死者に模した人形を崖の窪地に置く。死者の代わりに島をこの谷間で見守っているのだ。島には三つ星と十字星が十度真南に来たら、死者の魂が海の向こうの幸せな土地に旅立つという言い伝えがあって、島の人たちは、その年になると崖の人形を船に乗せて海の向こうに送り出す。
もう一か所は、村にあるがらんとした建物だ。村の大きな交差点の辻にあるその家は村の長老ですら、誰の家なのかわからない。この建物の大きな柱には、大きな柱時計が掛っている。奇妙なのは、この柱時計が動いていないことではない。島で時計を知っている人間がいないことだ。島の人々は太陽や月で時間を知る。だから「時計」は必要ないどころか、「時計」という言葉すらない。なのに、この建物には時計がある。もちろん島の人たちにはこの柱に掛っている「物」が何なのか、丸い板に書いてある模様が何を意味するのか、動かない二本の細長い棒と、ふた組ある鎖に繋がれた丸い金の板が何なのか、全くわからなかった。長老によれば長老の子どものころにはすでにこの建物があって、奇妙な「物」も柱に掛っていた。
最後の場所は、島の南にある入江だ。毎夜この入江にどこからともなく船が来て、大勢の人が、静かに何かを探すように辺りをさまよっている、という話が島の人々の間にまことしやかに囁かれていた。しかし、この船を見た人は一人もいなかった。見ようとした人はいたけれど、なぜか誰も船を見つけることができなかった。船が来る場所も、時間もわかっているのに…!さらにおかしなことは、島の人たちがこの船のことを全く疑っていないことだ。見た人は一人もいないのに、島の人は本当に毎夜入江に船が来ることを知っていた。島一番の物知りダダは、この船こそが言い伝えの死者の魂を連れていく船だと考えていた。市場の茶屋の娘ナームは、この船を見た者は死ぬと考えて恐れていた。何にせよ、船の存在を否定する者はいなかった。
島の人たちは変わらない毎日を送っていた。雨が降れば濡れないようにガジュマルの木の下に急ぎ、止めば日差しの中で揺れるバナナの葉やヤシの木を眺めながら、仕事に勢を出す。世界にこの島しかないような、そんな気分を持つ者もいたが、実際のところ、海の果てまで行こうとした者はいなかった。島の人にとって、この島と周りの広い海が、世界のすべてだった。