本当にそうだろうか。
水滸伝関連のサイトや本などを見ていると、71回以降に対する評価はよくないことが多い。
金聖嘆が71回以降をぶった切った理由を説明するときは、「金聖嘆が面白くないと思ったから」なので仕方がないと思うが、特に金聖嘆に言及しなくても71回以降は面白くない、という意見をよく見る。
でも、本当にそうか?
その疑問の出処は簡単。オレがつまらないとは思わないからだ。
むしろ、71回以降のみを読むこともある。
そして「面白くない」という意見には「本当に読んでそう思ったのかな」という疑問がつくものも結構ある。
「受け売りだろ?」と感じることが結構あるのだ。
もしくは71回以降を「面白くない」という前情報のまま読み進めるため、それが固定観念というか先入観になっていないか?と感じるのだ。
例えば、108人が終結したとたん豪傑たちがばたばた死んでいくから萎えたという意見があった。
(2CH 水滸伝の二次創作で一番面白いのって?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161660610/ 内 18番目の書き込み)
すぐ次の書き込みで否定されているが、21の書き込みでは100回本ではすぐ死ぬ印象があるのでは、とある。しかし実際に読むとわかるが、征遼戦まで、開封府を騒がしたり、相撲をとったついでに李逵のおバカがあったり、童貫・高球戦があったり、招安のいろいろがあったりする。方臘戦までにいろいろあるから、すぐ死ぬ印象を持つということ自体、本当にちゃんと読んだのか怪しいものだ。
22番目の無根拠な書き込みにいたっては、その忍耐力が必要なものがどうして500年も残ってきたのか説明できない点で、受け売りなんだろうと判断できる。
翻訳者の中では村上知行氏が「ザ・水滸伝」の解説の中でそう書いていた。一般の人には面白くなく、10人中9人は71回以降を投げるだろうと。オレはそれを読んで、何を勝手なことをいっているのか、翻訳者としてそう書いてしまっていいものか、と思ったものだ。
なので、ここではっきりいっておく。
水滸伝は71回以降も十分に面白い。
特にラストは「はじめがあって終わりがある」の言葉通り、何ともいえないものがある。(とりあえずネタばれ禁ということで、こういう風にしか書けない)
71回以降は面白くないとして、これを味わわないのは水滸伝のよさを捨てていると言いたいし、本当に水滸伝を読んだことにはならないのではないかと思う。
水滸伝関連のサイトや本などを見ていると、71回以降に対する評価はよくないことが多い。
金聖嘆が71回以降をぶった切った理由を説明するときは、「金聖嘆が面白くないと思ったから」なので仕方がないと思うが、特に金聖嘆に言及しなくても71回以降は面白くない、という意見をよく見る。
でも、本当にそうか?
その疑問の出処は簡単。オレがつまらないとは思わないからだ。
むしろ、71回以降のみを読むこともある。
そして「面白くない」という意見には「本当に読んでそう思ったのかな」という疑問がつくものも結構ある。
「受け売りだろ?」と感じることが結構あるのだ。
もしくは71回以降を「面白くない」という前情報のまま読み進めるため、それが固定観念というか先入観になっていないか?と感じるのだ。
例えば、108人が終結したとたん豪傑たちがばたばた死んでいくから萎えたという意見があった。
(2CH 水滸伝の二次創作で一番面白いのって?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161660610/ 内 18番目の書き込み)
すぐ次の書き込みで否定されているが、21の書き込みでは100回本ではすぐ死ぬ印象があるのでは、とある。しかし実際に読むとわかるが、征遼戦まで、開封府を騒がしたり、相撲をとったついでに李逵のおバカがあったり、童貫・高球戦があったり、招安のいろいろがあったりする。方臘戦までにいろいろあるから、すぐ死ぬ印象を持つということ自体、本当にちゃんと読んだのか怪しいものだ。
22番目の無根拠な書き込みにいたっては、その忍耐力が必要なものがどうして500年も残ってきたのか説明できない点で、受け売りなんだろうと判断できる。
翻訳者の中では村上知行氏が「ザ・水滸伝」の解説の中でそう書いていた。一般の人には面白くなく、10人中9人は71回以降を投げるだろうと。オレはそれを読んで、何を勝手なことをいっているのか、翻訳者としてそう書いてしまっていいものか、と思ったものだ。
なので、ここではっきりいっておく。
水滸伝は71回以降も十分に面白い。
特にラストは「はじめがあって終わりがある」の言葉通り、何ともいえないものがある。(とりあえずネタばれ禁ということで、こういう風にしか書けない)
71回以降は面白くないとして、これを味わわないのは水滸伝のよさを捨てていると言いたいし、本当に水滸伝を読んだことにはならないのではないかと思う。