夏天故事

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北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 2

2013-01-15 20:12:21 | 雑感・その他
ここで、オレが感じている問題意識を整理してみる。

1.水滸伝の捉え方に関する問題
水滸伝は中国の名もない民衆が織り上げていった物語で、個々のいろいろな物語をつなぎ合わせたものだと言われている。そしてそれを施耐庵なり羅貫中が編集したものであることがわかっている。
つまり水滸伝は中国の民衆が、その時々のいろいろな想いを託した物語なのだ。中国民衆の想いを、施耐庵(あるいは羅貫中)が文章として素晴らしい物に仕上げたものと捉える事が出来る。
ところが、清の時代になって108人が梁山泊に集合する72回以降を、金聖歎という人物がバッサリ切って捨てるということをやらかす。水滸伝は大別して、成立順に100回本、120回本(駒田信二氏の訳はこれになる)、70回本とあるが、この70回本が金聖歎の手によるものである。
72回以降梁山泊の面々は招安を受け(盗賊が罪を許され朝廷に帰順すること)、宋朝のために遼国と戦争をしたり、地方の盗賊を討伐する、という内容になるが、彼にとってこの内容は大いに不満だったようである。金聖歎はどちらかというとインテリの部類に入る人物で、盗賊はどこまでいっても盗賊だろうという思いがあったようである。清の兪萬春という人物は、金聖歎のこの批判をさらに推し進めて結水滸伝(蕩寇志)を書いた。その序文には次のようにある。

(引用始まり)

  この一冊の本は「蕩寇志」とも言う。看官、なぜこの本が作られたのか。施耐庵先生の「水滸伝」はなぜか宋江を忠義とはしなかった。皆さんはただ彼の筆意、宋江の奸悪さを描写しないものがないことを見ることができる。それは彼をして忠義者といい、まさに口では忠義をなすが、心の中は強盗であって、ますます奸悪さを形づくるのである。聖嘆(金聖嘆)先生の批判は明白である。忠はどこにあるのか、義は全体どこにあるのか、さらに言えば、忠義であるなら、強盗などしないし、強盗であれば忠義を考えることもない。そこで羅貫中と言うものは「後水滸(120回本の72回以降を指す)」の一部を持ち出し、驚いたことに、宋江こそ真の忠で真の義のものであるという。このことによって、後の世の人は強盗をはたらき、宋江のように、心の中は強盗、口では忠義を言う。殺人を犯しては忠義、家屋を打ち壊しては忠義、官をうち捕をこばみ、城を攻め村を陥れるものすら忠義と叫ぶものを見ずにはいられない。このようなことをなんと言うか。これこそまさに、邪を言い淫を述べ 、悪人の考え をし、災いを無限に残す である。もしこのような本を世に留めおくなら、何の役に立つのか。暇つぶしに読むようなものだから気にする必要はないなどと言うなかれ 、心得なければならないのは暇つぶしに読むようなものであればあるほど、その伝わり方は早く、茶店居酒屋、明かりの前や月の下で、人々は喜んで話すし、よく聞くのである。既に世の中に出版されているこのような本をいまさら禁止はできない。宋江は別に招安を受けて方臘を平らげたわけではなく 、ただ張叔夜によって捕らえられるだけの話である。彼がよく嘘を言い、本当のことを隠そうとするならば、私もまた事実を明らかにし、彼の嘘を破り、天下の後世に盗賊と忠義の区別をはっきりさせ、ごっちゃにすることは少しも許さない 。まして夢の中で魂に言いつけられたからには、灯の下であっても筆が乾くことはさらに難しい 。
 皆さん、この本は施耐庵の「前水滸伝」に続いており、「後水滸 」とは関わりがない。本意は既に明らかである。では正伝を見ていただこう。

(引用終わり)

このような考え方で金聖歎は72回以降を切ったわけだが、これはそれまで築いてきた中国民衆の想いを、インテリが上からの目線で切って捨ててしまった行為ともいえる。
だからオレは金聖歎を評価しない。確かに後半戦争が続くことになり、飽きる人間には72回以降を切って捨てたことは、スリム化につながってよかったかもしれない。けれどもスリム化することによって、民衆の想いを捨てることを評価していいものか。ごく何十年か前まで中国では70回本が主流だったようだが、金聖歎に対する批判は昔から根強いようだ。
さて、前置きが長くなったが北方氏の『水滸伝』である。
前述の引用で本人が言っているように北方氏の『水滸伝』は、北方氏の内部で変質した『水滸伝』を文章にしたものであって、水滸伝とは「別の創造物」である。つまり中国民衆の長い歴史の中で積み上げてきた様々な想いを、金聖歎が上の立場から変質させたように、あるいはそれ以上に北方氏は彼らの想いを無視して自分の『水滸伝』に変質させてしまった。金聖歎の擁護をすれば彼は明末清初に生きた人間で実際に盗賊に苦しめられた人物でもあり、そういう立場からはどうしても盗賊を忠義者の集団とすることはできなかったのである。そういう意味では、70回本も歴史の中に生きた中国民衆の想いの積み重ねと取ることができる。しかし北方氏は違う。自由にものが書ける社会において中国民衆の想いを解体してしまった。多くの人々の想いの積み重ねを、一個人の想いに塗り替えてしまったのである。そして日本では一個人のものでしかない『水滸伝』が水滸伝として受け入れられてしまっている。
(続く)


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