三世桐竹勘十郎さんの2024年カレンダーをご紹介します。
2.「菅原伝授手習鏡 天拝山の段」親白太夫
《私の阿弥陀さま (谷口璽照)
「せまじきものは宮仕え」、人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」に出て来る台詞です。大正期、大阪で大流行した浄瑠璃を説教に取り入れたのが、遠藤了義さん。義太夫芸妓の多かった花街・堀江に通いつめ、趣味が高じて説教となり、「浄瑠璃説教」と呼ばれました。私も、その流れを汲んでいます。
御開山も「五劫の思案も永劫(ようごう)の修行も、ただ親鸞一人(いちにん)がためなりけり」、私の阿弥陀さまじゃと頂きなされています。遠慮はいらない、私の阿弥陀さま。昨日までは他人の仏でも、今日からは私の「みいさま」弥陀如来。
いったい今まで、誰の阿弥陀さまだと思ってましたか? 子供に「これ、誰のお母さん?」と聞いたら、すぐに「僕のお母さん」と言うでしょ。「これ、誰の阿弥陀さん?」と聞かれて、すぐに「僕の阿弥陀さん」と言えますか? この弥陀は久遠実成の弥陀には違いはないが、そうではない。どうか、私一人だけの阿弥陀さんにしてください。
私の弥陀じゃぞよ、弥陀じゃぞよ、阿弥陀じゃぞ。私の阿弥陀さま。はい皆さま、「これは誰の阿弥陀さま?」と訊かれたら、「私の阿弥陀さま」と答えてください。「はい皆さま、これは誰の阿弥陀さま?」「私の阿弥陀さま」。
或る禅宗のお寺で、この「私の阿弥陀さま」という話をすると、私の後で法話をされた臨済宗妙心寺派の布教師さんが「禅宗では、自と他の区別をしません、自他一如です。ですから私の阿弥陀さまではないのです、私が阿弥陀さまなのです」と仰いました。でも「私が阿弥陀さま」とは‥‥?》
御開山も「五劫の思案も永劫(ようごう)の修行も、ただ親鸞一人(いちにん)がためなりけり」、私の阿弥陀さまじゃと頂きなされています。遠慮はいらない、私の阿弥陀さま。昨日までは他人の仏でも、今日からは私の「みいさま」弥陀如来。
いったい今まで、誰の阿弥陀さまだと思ってましたか? 子供に「これ、誰のお母さん?」と聞いたら、すぐに「僕のお母さん」と言うでしょ。「これ、誰の阿弥陀さん?」と聞かれて、すぐに「僕の阿弥陀さん」と言えますか? この弥陀は久遠実成の弥陀には違いはないが、そうではない。どうか、私一人だけの阿弥陀さんにしてください。
私の弥陀じゃぞよ、弥陀じゃぞよ、阿弥陀じゃぞ。私の阿弥陀さま。はい皆さま、「これは誰の阿弥陀さま?」と訊かれたら、「私の阿弥陀さま」と答えてください。「はい皆さま、これは誰の阿弥陀さま?」「私の阿弥陀さま」。
或る禅宗のお寺で、この「私の阿弥陀さま」という話をすると、私の後で法話をされた臨済宗妙心寺派の布教師さんが「禅宗では、自と他の区別をしません、自他一如です。ですから私の阿弥陀さまではないのです、私が阿弥陀さまなのです」と仰いました。でも「私が阿弥陀さま」とは‥‥?