空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

三世桐竹勘十郎 2024カレンダー02

2024-01-18 10:49:45 | 日記

三世桐竹勘十郎さんの2024年カレンダーをご紹介します。

2.「菅原伝授手習鏡 天拝山の段」親白太夫

 

 

私の阿弥陀さま (谷口璽照)

「せまじきものは宮仕え」、人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」に出て来る台詞です。大正期、大阪で大流行した浄瑠璃を説教に取り入れたのが、遠藤了義さん。義太夫芸妓の多かった花街・堀江に通いつめ、趣味が高じて説教となり、「浄瑠璃説教」と呼ばれました。私も、その流れを汲んでいます。
 御開山も「五劫の思案も永劫(ようごう)の修行も、ただ親鸞一人(いちにん)がためなりけり」、私の阿弥陀さまじゃと頂きなされています。遠慮はいらない、私の阿弥陀さま。昨日までは他人の仏でも、今日からは私の「みいさま」弥陀如来。
 いったい今まで、誰の阿弥陀さまだと思ってましたか? 子供に「これ、誰のお母さん?」と聞いたら、すぐに「僕のお母さん」と言うでしょ。「これ、誰の阿弥陀さん?」と聞かれて、すぐに「僕の阿弥陀さん」と言えますか? この弥陀は久遠実成の弥陀には違いはないが、そうではない。どうか、私一人だけの阿弥陀さんにしてください。
 私の弥陀じゃぞよ、弥陀じゃぞよ、阿弥陀じゃぞ。私の阿弥陀さま。はい皆さま、「これは誰の阿弥陀さま?」と訊かれたら、「私の阿弥陀さま」と答えてください。「はい皆さま、これは誰の阿弥陀さま?」「私の阿弥陀さま」。
 或る禅宗のお寺で、この「私の阿弥陀さま」という話をすると、私の後で法話をされた臨済宗妙心寺派の布教師さんが「禅宗では、自と他の区別をしません、自他一如です。ですから私の阿弥陀さまではないのです、私が阿弥陀さまなのです」と仰いました。でも「私が阿弥陀さま」とは‥‥?》

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私の阿弥陀さま (谷口璽照)
2024-01-18 11:19:13
「せまじきものは宮仕え」、人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」に出て来る台詞です。大正期、大阪で大流行した浄瑠璃を説教に取り入れたのが、遠藤了義さん。義太夫芸妓の多かった花街・堀江に通いつめ、趣味が高じて説教となり、「浄瑠璃説教」と呼ばれました。私も、その流れを汲んでいます。
 御開山も「五劫の思案も永劫(ようごう)の修行も、ただ親鸞一人(いちにん)がためなりけり」、私の阿弥陀さまじゃと頂きなされています。遠慮はいらない、私の阿弥陀さま。昨日までは他人の仏でも、今日からは私の「みいさま」弥陀如来。
 いったい今まで、誰の阿弥陀さまだと思ってましたか? 子供に「これ、誰のお母さん?」と聞いたら、すぐに「僕のお母さん」と言うでしょ。「これ、誰の阿弥陀さん?」と聞かれて、すぐに「僕の阿弥陀さん」と言えますか? この弥陀は久遠実成の弥陀には違いはないが、そうではない。どうか、私一人だけの阿弥陀さんにしてください。
 私の弥陀じゃぞよ、弥陀じゃぞよ、阿弥陀じゃぞ。私の阿弥陀さま。はい皆さま、「これは誰の阿弥陀さま?」と訊かれたら、「私の阿弥陀さま」と答えてください。「はい皆さま、これは誰の阿弥陀さま?」「私の阿弥陀さま」。
 或る禅宗のお寺で、この「私の阿弥陀さま」という話をすると、私の後で法話をされた臨済宗妙心寺派の布教師さんが「禅宗では、自と他の区別をしません、自他一如です。ですから私の阿弥陀さまではないのです、私が阿弥陀さまなのです」と仰いました。でも「私が阿弥陀さま」とは‥‥?
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