はんたろうのがらくた工房

えーと、えーと…。

ある半生

2004-11-08 13:07:35 | 鏡の国の左利き
新しい1000円札の肖像が野口英世になった。


昔、小学生向けの雑誌に、野口英世の伝記が連載されたことがある。
少年はそれを読み始めたが、第1回でいきなり挫折した。
読み進むことがあまりに辛かったためだ。

その少年は幼い頃、右手を火傷していた。
魔法瓶を倒し、熱湯を浴びたのだと母親に聞かされた。
それは0歳だったか1歳だったか、本人にはその記憶はなかったし、
すみやかに適切な治療が施されたと見えて、
右手はすでに、日常不便のない程度まで回復していた。
しかし、まだやわらかだった小さな右手には、醜い痕が残っていた。

かれはスプーンも、鉛筆も、はさみも、より自由な左手で使うようになっていた。
学校に上がる前から、父親が画材や刃物を自由に使わせてくれたので、
かれの左手は、近所のどんな子供の右手よりも器用になった。

当時はまだ、左利きは矯正するのがあたりまえの時代だったが、
両親はかれの左利きを尊重してくれた。
ひょっとすると、火傷の責任をずっと感じていたのかもしれない。

しかし、他人は違った。
学校の担任でさえ、左利きの少年を珍しいものでも見るような目で見た。
学年も違う、名前も知らないガキどもにからかわれたこともあった。
「ぎっちょ」とは、かれにとって明らかに蔑称であった。
まだそういう時代だった。


野口英世が幼少の頃に負った左手の火傷は、指が癒合するほどの重いものだった。
生活にもおおいに支障をきたしたであろう。
保守的な田舎にあって、異質なものを嫌う周囲のいじめも、苛烈であったはずだ。

左利きの少年は、自分の境遇に重ね合わせて、英世の苦悩を想像した。
それは少年が心で受け止められるよりもはるかに大きく、重く、痛いもので、
もはや先を読み進むことはできなかった。
のちにあった左手の手術や立身出世のエピソードを読むために、雑誌の次号を待つ1か月は、
心を押し潰された少年には長すぎた。

そんなわけで少年は、野口英世博士に特別な思い入れを持っていた。
しかし、伝記の続きを読まなかったので、
英世に倣って医学の道に進むようなことはなかった。


さて、器用で情緒豊かだった左利きの少年は、結局平凡な大人になった。
右手の火傷のあとも目立たなくなった。
紙幣の肖像になることなど、これからも絶対にないだろう。

ただ、ひどく貧乏なところだけが、いまも偉人と似ている。


…しかし、この話にどうしてオチを作るかなあ、
平凡で貧乏な左利きの元少年よ。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なんだか・・・ (なぽ)
2004-11-09 21:08:05
こんにちは、なぽです。

左利きの娘をもつ親として、胸がしめつけられる思いです。

なんだか、きゅう~と胸をつままれたような。



最近では、左利きの人も多くなりましたが、必ずきかれます。

「ぎっちょなの??」

そうなんだけど、それが何??(とは言い返せないけれど)

でもちょっと罪悪感も・・・親として矯正は必要なの?

左利きを尊重してくれたご両親を、どう思われていますか?

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感謝していますとも (はんたろう)
2004-11-10 13:21:50
なぽさん。



こういう文章が書けるのは、それが既に笑い飛ばせるくらい過去のものだからです。

左利きでからかわれたのは30年も昔のことです。

そして「平凡な大人になった」と書いたとおり、

もはや左利きをことさらに珍しがるのは、ごく少数の年配の人だけになっています。



両親はつねに私の味方でした。

ある日新聞に、フォード大統領(当時)がなにかにサインしている写真が掲載されたときには、父はわざわざ切り抜いて「ほら、大統領だって左利きだ」と見せに来てくれました。



今なら、幼いお子さんが左利きであっても無理に矯正せず、個性として伸ばしてくれる親御さんも多いと思いますが、それを30年も前に実践していた両親を、私は誇りに思いますし、感謝しています。

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ありがとうございます。 (なぽ)
2004-11-11 10:24:14
ありがとうございます。

そういってもらえると、ちょっと気持ちが楽になります。

もっと親である自分が自信をもたないと、いけないのでしょうけど。



娘は、左利きではありますが、とても心優しく、情緒豊かで、そして器用な子です。

人のことを思って涙を流せる娘を、親の私も誇りに思っています。

私もいつも子供の味方でありたいと思いました。
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