胆嚢炎だった夫は、炎症が治まり次第胆嚢摘出手術ということに決まっていましたが、炎症がひどかったので手術まで19日間もありました。
その手術を待つ間にあの東北関東大震災が起こりました。
この辺りは震度5弱で、私は未体験の大地震。
ミシミシ、ガタガタとどんどん大きくなり何分にも感じられた長い地震で、ひとりで家に居た私は恐怖のどん底。
体中が震え、しばらく何もできませんでした。
地震の直後、夫から「大丈夫か?」と電話が入りましたが、かなり揺れたものの、棚から少し軽いものが落ちた程度だったので「大丈夫」と頑張って答えました。
病院は一時停電し、すぐに自家発電に切り替わったそうです。
しばらく5~10分間隔で震度3くらいの余震が続き、生きた心地がしませんでしたが、病院にはパジャマと下着・タオルしかおいていなかったことに気づき、もしや避難ということになったら着るものがない。
この寒さの中薄いパジャマだけでは大変と、怖いのをこらえて、夫の洋服をそろえて病院に向かいました。(病院は近くて徒歩10分)
もうこの時点、電話はどこにもつながらなくなっていました。
病院はエレベーターが止まっており、5階までフーフー言いながら登って病室に行くと、本人はケロッとしていて、避難なんかしないよと。
この地震の日に予定より遅れたものの最後の検査MRIが行われ、手術日が確定しましたが、その後も続く余震と計画停電。
手術が無事行われるのかどうかと、不安な日々が続きましたが、手術の当日はずっと続いていた余震もなく、計画停電もなくて無事終えることができました。
手術後2日目まではちょっと苦しそうでしたが、4日目以降は少し元気を取り戻して、傷が痛いながらも病棟を歩いて運動をしていました。
術後4日目からは流動食、5日目には3分粥の食事が出るようになりましたが、栄養点滴は続いており、この分では退院までまだまだだと思っていたところ、6日目に行ってみると点滴が外れていました。
点滴が外れたのは順調な成り行きではなく、6日目の朝起きてみると腕がパンパンに腫れていて、前々日まで点滴していた反対の手の甲も腫れており、点滴をする場所が無くなってしまったそう。
それで仕方なく点滴離脱となり、6日目の昼から5分粥の食事が出るようになりました。
それでも夫は点滴が無くなって清々したらしく、かなり元気になっていて、1階まで階段で3往復して、鍛えていたと。
傷は胸骨の下斜めに20cm以上。まだまだ痛いはずです。
しかも夫の病室は5階、なんという奴でしょう。
病院ではもう何もすることがなくなり(治療面でも)退屈の極地。
「明日退院してもいいと言われたら明日退院する」と言い出す始末。
まさかね、と思っていたら、その翌々日の8日目に退院となりました。
平均で術後10日目と聞いていたので、まあ早かった方ですね。
退院しても傷は痛いし、食事は少ししか食べられないので、しばらくは家で療養です。
食事は急に脂っこい物や消化の良くないものを食べず、徐々に慣らしていくようにすれば何でも食べてよいそうです。
退院後は毎日歩くように言われたので、二人で毎日歩いてリハビリしてます。
その手術を待つ間にあの東北関東大震災が起こりました。
この辺りは震度5弱で、私は未体験の大地震。
ミシミシ、ガタガタとどんどん大きくなり何分にも感じられた長い地震で、ひとりで家に居た私は恐怖のどん底。
体中が震え、しばらく何もできませんでした。
地震の直後、夫から「大丈夫か?」と電話が入りましたが、かなり揺れたものの、棚から少し軽いものが落ちた程度だったので「大丈夫」と頑張って答えました。
病院は一時停電し、すぐに自家発電に切り替わったそうです。
しばらく5~10分間隔で震度3くらいの余震が続き、生きた心地がしませんでしたが、病院にはパジャマと下着・タオルしかおいていなかったことに気づき、もしや避難ということになったら着るものがない。
この寒さの中薄いパジャマだけでは大変と、怖いのをこらえて、夫の洋服をそろえて病院に向かいました。(病院は近くて徒歩10分)
もうこの時点、電話はどこにもつながらなくなっていました。
病院はエレベーターが止まっており、5階までフーフー言いながら登って病室に行くと、本人はケロッとしていて、避難なんかしないよと。
この地震の日に予定より遅れたものの最後の検査MRIが行われ、手術日が確定しましたが、その後も続く余震と計画停電。
手術が無事行われるのかどうかと、不安な日々が続きましたが、手術の当日はずっと続いていた余震もなく、計画停電もなくて無事終えることができました。
手術後2日目まではちょっと苦しそうでしたが、4日目以降は少し元気を取り戻して、傷が痛いながらも病棟を歩いて運動をしていました。
術後4日目からは流動食、5日目には3分粥の食事が出るようになりましたが、栄養点滴は続いており、この分では退院までまだまだだと思っていたところ、6日目に行ってみると点滴が外れていました。
点滴が外れたのは順調な成り行きではなく、6日目の朝起きてみると腕がパンパンに腫れていて、前々日まで点滴していた反対の手の甲も腫れており、点滴をする場所が無くなってしまったそう。
それで仕方なく点滴離脱となり、6日目の昼から5分粥の食事が出るようになりました。
それでも夫は点滴が無くなって清々したらしく、かなり元気になっていて、1階まで階段で3往復して、鍛えていたと。
傷は胸骨の下斜めに20cm以上。まだまだ痛いはずです。
しかも夫の病室は5階、なんという奴でしょう。
病院ではもう何もすることがなくなり(治療面でも)退屈の極地。
「明日退院してもいいと言われたら明日退院する」と言い出す始末。
まさかね、と思っていたら、その翌々日の8日目に退院となりました。
平均で術後10日目と聞いていたので、まあ早かった方ですね。
退院しても傷は痛いし、食事は少ししか食べられないので、しばらくは家で療養です。
食事は急に脂っこい物や消化の良くないものを食べず、徐々に慣らしていくようにすれば何でも食べてよいそうです。
退院後は毎日歩くように言われたので、二人で毎日歩いてリハビリしてます。