「ねえ、先生?」
「ん?なあに?」
「なんか私、このキャンドルの街をとっても懐かしく感じるの」
「懐かしいって、前にどこかで似たような景色を見たような感じ?」
「う・・・ん、そうなのかなあ。でも、ちょっと違うような気がする。それに、前にこういう街を見た記憶もないし」
「そう。じゃあ、キャンドルのお店とか、どこかのお店のデコレーションで、キャンドルを飾ってあったみたいな感じなのかな?」
「う・・・ん、なんだろう。そういう感じではない気がする」
女の子と先生は、洞窟での時間をゆっくりと過ごしたあと部屋に戻り、いつものように交代でゆっくりシャワータイムです。
ただ今夜は、低くて横に広いお姫様のお風呂があったことが、いつもとは異なります。
ふたりとも、思う存分ゆったりとタブに浸かってから、心地よい疲れをまとって夜を過ごします。
とっておきの場所で、夜を過ごすのです。
デッキテラスで、夜風に包まるのです。
すっかり帳は降り、漆黒の夜のなかにはキャンドルの世界が小さく広がっています。
宵の天井には、こぼれ落ちてきそうな星たちが一面に瞬いています。
「ねえ、先生?」
「ん?なんだい?」
「何かお話をして?」
「そうだね、今夜はどんなお話がいいかな?」
「えっとね、このキャンドルの世界に似合うお話がいい」
「この世界に似合うお話かあ。さて、どんなお話がお似合いだろう?」
女の子は、先生のお話が大好きです。
いつも、いろいろなテーマで先生にお願いをします。
先生は、女の子のためにいつでもお話の引き出しを開きます。
そして、とても優しい声で囁くように静かに聞かせてあげます。
「それでは、『月あかりの世界』のお話をしましょうか」
「『月あかりの世界』のお話?うん、聞かせて、きかせて?」
先生は、『今夜色』の世界にはうってつけのお話を取り出すことにします。
「その世界はね、夜の世界なんだ。ずうっとずうっと、夜の世界が続くの。いつでも真っ暗な世界。だから、その世界の人たちは昼間の世界を知らないの。知らないから、太陽も昼の明るい世界も知らない。夜の世界しかないと思っているの。それで、月も毎日は上らなくて、3ヶ月に一度しか顔を出さない。だからその世界では、月夜の晩は大切な人といっしょに過ごして、ひとつずつ秘密のお話をすることが約束になっているの」
「秘密のお話をする約束かあ。なんだかとっても、夜だけの世界っぽいね」
女の子は、今夜も興味津々に耳を傾けます。
先生は、女の子の声を遮らないように、笑みを浮かべながら続けます。
「そこに、とても仲の良い女の人と男の人がいました。その二人は、今のるみちゃんとわたしみたいに、ずっといっしょに旅をしているの。ずっといっしょにいるから、秘密なんかつくれない。いつもいつもお話をしているから、お互いに知らないことは作れない。そして、そんなに話をしていても、不思議なくらいお話の種が尽きることはないの。けれど、秘密のお話の日は別。秘密がないから、秘密のお話ができません。だからその日は、空想のお話やそれまでにみた夢の話のような、頭のなかにしかないお話をすることにしていたの。それで、ある月夜の日に、二人の間で不思議なことが起きるのです」
「うんうん、どんなことが起きるの?」
女の子は、先生の次の言葉をとても楽しみにして待っています。
「二人は、秘密のお話をするときの決め事として、話をする前に、簡単にそのあらすじをカードに書いて伏せておくことにしていたのね。そして、その日もいつものようにカードを書いて、二人ともそれを裏にして自分の前に置きました。毎回順番で最初にお話をする人が変わるようにしていて、その日の初めは、男の人の番でした。それで、男の人は、昨日見た夢の話を始めました。それは、見たこともない月あかりが照らす世界のお話でした。あまりにも眩しい世界で、目が開けていられなかったのだけれど、だんだんと目が慣れてくると、今まで見たことのない色がたくさんあることに気づきました。森のなかを旅しているときには、森の木々というものは濃い青だとばかり思っていたのだけれど、実はそれが緑色だったことを初めて知ります。本当は、とても明るい色をした葉っぱでできていることを初めて知るの。そして、空が黒ではなくて青いということも知るの。雲は白くて、いつもいっしょにいる女の人の瞳が少し薄いブラウンだったことも知ります。今まで見ていた世界の本当の色を知って、世界の見え方が、ぐんと広がりました。人間は、それまであたりまえだと思っていたことが一瞬にして変わってしまうことをとても恐れるものなのだけれど、その男の人は、まったくそれを怖いものと思わない。世界の見え方は変わってしまうのだけれど、それをそのまま、あたりまえのこととして受け入れるの。ただただ、知っている世界が、見える世界が広がっただけのことだと思えたんだね。だから、それまで知っていた瞳、髪、肌、爪、耳の色、唇の色、首に落とす影、それまで知っていたすべての印象が変わった女の人のことも、なんの違和感もなく好きでいられる。それ以上に、すべての本当の姿を知ったことで、もっともっと愛しくなるの」
「すてき」
まるで憧れのように、女の子はうっとりします。
「そうして男の人は、すべての本当の世界を知ることができたのだけれど、たった一つだけ知ることのできなかったことがあったのです」
「なんだろう?それだけ全部が分かったのに、一つだけ分からなかったことって。なんだったの?」
「それはねーーー」
(つづく)
「ん?なあに?」
「なんか私、このキャンドルの街をとっても懐かしく感じるの」
「懐かしいって、前にどこかで似たような景色を見たような感じ?」
「う・・・ん、そうなのかなあ。でも、ちょっと違うような気がする。それに、前にこういう街を見た記憶もないし」
「そう。じゃあ、キャンドルのお店とか、どこかのお店のデコレーションで、キャンドルを飾ってあったみたいな感じなのかな?」
「う・・・ん、なんだろう。そういう感じではない気がする」
女の子と先生は、洞窟での時間をゆっくりと過ごしたあと部屋に戻り、いつものように交代でゆっくりシャワータイムです。
ただ今夜は、低くて横に広いお姫様のお風呂があったことが、いつもとは異なります。
ふたりとも、思う存分ゆったりとタブに浸かってから、心地よい疲れをまとって夜を過ごします。
とっておきの場所で、夜を過ごすのです。
デッキテラスで、夜風に包まるのです。
すっかり帳は降り、漆黒の夜のなかにはキャンドルの世界が小さく広がっています。
宵の天井には、こぼれ落ちてきそうな星たちが一面に瞬いています。
「ねえ、先生?」
「ん?なんだい?」
「何かお話をして?」
「そうだね、今夜はどんなお話がいいかな?」
「えっとね、このキャンドルの世界に似合うお話がいい」
「この世界に似合うお話かあ。さて、どんなお話がお似合いだろう?」
女の子は、先生のお話が大好きです。
いつも、いろいろなテーマで先生にお願いをします。
先生は、女の子のためにいつでもお話の引き出しを開きます。
そして、とても優しい声で囁くように静かに聞かせてあげます。
「それでは、『月あかりの世界』のお話をしましょうか」
「『月あかりの世界』のお話?うん、聞かせて、きかせて?」
先生は、『今夜色』の世界にはうってつけのお話を取り出すことにします。
「その世界はね、夜の世界なんだ。ずうっとずうっと、夜の世界が続くの。いつでも真っ暗な世界。だから、その世界の人たちは昼間の世界を知らないの。知らないから、太陽も昼の明るい世界も知らない。夜の世界しかないと思っているの。それで、月も毎日は上らなくて、3ヶ月に一度しか顔を出さない。だからその世界では、月夜の晩は大切な人といっしょに過ごして、ひとつずつ秘密のお話をすることが約束になっているの」
「秘密のお話をする約束かあ。なんだかとっても、夜だけの世界っぽいね」
女の子は、今夜も興味津々に耳を傾けます。
先生は、女の子の声を遮らないように、笑みを浮かべながら続けます。
「そこに、とても仲の良い女の人と男の人がいました。その二人は、今のるみちゃんとわたしみたいに、ずっといっしょに旅をしているの。ずっといっしょにいるから、秘密なんかつくれない。いつもいつもお話をしているから、お互いに知らないことは作れない。そして、そんなに話をしていても、不思議なくらいお話の種が尽きることはないの。けれど、秘密のお話の日は別。秘密がないから、秘密のお話ができません。だからその日は、空想のお話やそれまでにみた夢の話のような、頭のなかにしかないお話をすることにしていたの。それで、ある月夜の日に、二人の間で不思議なことが起きるのです」
「うんうん、どんなことが起きるの?」
女の子は、先生の次の言葉をとても楽しみにして待っています。
「二人は、秘密のお話をするときの決め事として、話をする前に、簡単にそのあらすじをカードに書いて伏せておくことにしていたのね。そして、その日もいつものようにカードを書いて、二人ともそれを裏にして自分の前に置きました。毎回順番で最初にお話をする人が変わるようにしていて、その日の初めは、男の人の番でした。それで、男の人は、昨日見た夢の話を始めました。それは、見たこともない月あかりが照らす世界のお話でした。あまりにも眩しい世界で、目が開けていられなかったのだけれど、だんだんと目が慣れてくると、今まで見たことのない色がたくさんあることに気づきました。森のなかを旅しているときには、森の木々というものは濃い青だとばかり思っていたのだけれど、実はそれが緑色だったことを初めて知ります。本当は、とても明るい色をした葉っぱでできていることを初めて知るの。そして、空が黒ではなくて青いということも知るの。雲は白くて、いつもいっしょにいる女の人の瞳が少し薄いブラウンだったことも知ります。今まで見ていた世界の本当の色を知って、世界の見え方が、ぐんと広がりました。人間は、それまであたりまえだと思っていたことが一瞬にして変わってしまうことをとても恐れるものなのだけれど、その男の人は、まったくそれを怖いものと思わない。世界の見え方は変わってしまうのだけれど、それをそのまま、あたりまえのこととして受け入れるの。ただただ、知っている世界が、見える世界が広がっただけのことだと思えたんだね。だから、それまで知っていた瞳、髪、肌、爪、耳の色、唇の色、首に落とす影、それまで知っていたすべての印象が変わった女の人のことも、なんの違和感もなく好きでいられる。それ以上に、すべての本当の姿を知ったことで、もっともっと愛しくなるの」
「すてき」
まるで憧れのように、女の子はうっとりします。
「そうして男の人は、すべての本当の世界を知ることができたのだけれど、たった一つだけ知ることのできなかったことがあったのです」
「なんだろう?それだけ全部が分かったのに、一つだけ分からなかったことって。なんだったの?」
「それはねーーー」
(つづく)