赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。
よろしくお願いします。@^-^@ノ

❼咲き誇る花々!史跡八橋かきつばたまつり ゴール

2020年05月08日 06時00分00秒 | 名鉄ウォーキング

平成26年5月10日(土)

名鉄主催 2014年春 歩け歩け大会

咲き誇る花々!史跡八橋かきつばたまつり」の続きです。

 

無量寿寺の八橋かきつばた園です。

かきつばたが満開を迎えていました。

 

庭園の池に沢山のかきつばたが植えられています。

そうそう。

ここのかきつばたは、手植えなのです。

現在の5千円札の裏側に描かれているかきつばた。

あまり知られていませんが、ここがルーツだそうです。

五千円札の絵は尾形光琳作のかきつばた屏風。

現在、国宝中の国宝と呼ばれている作品ですが、

光琳がここの八橋のかきつばたを描いた作品なのです。

平安時代にはここのかきつばたは全国的にも有名で旅人の目を潤したとか。

しかし、江戸時代にはもうかきつばたの株はほとんどなかったそうです。

なぜかというと、

昔の旅人が土産にと株ごと引っこ抜いて持ち帰る人が多く絶えてしまったのだとか。

その後、これを見た住職さんが、かきつばたを植え、復活し現在に至ります。

また京都の有名な銘菓、「八ツ橋」はここがルーツだとも言われています。

 

伝説 羽田玄喜二児の墓

昔、野路宿(八橋)に羽田玄喜という医者がいた。

妻はこの地の荘司の娘で二人の男児があった。

夫は早くに死に、女手一つで二児を育てていた。

ある日妻が生活の糧にと浦で海藻をとっていると、

母を慕って来た二児が、誤って海に落ち溺れて死んでしまった。

妻は悲しさのあまり当寺に入り、

尼となってこの墓を建て菩提を弔った。

またお告げにより、浦に流れ着いた材木で橋を八つかけた。

以後この地を八橋と名付けたと伝えている。

 

この日は強風が吹いていて、

かきつばたの花がとってもヒラヒラとたなびいていました。

なかなか写真のアングルが定まらずw

 

お茶会のようです。

一句読まれるのかな?

 

さらに奥の方へやってきました。

先ほどの場所より咲き具合が大変良い感じです。

 

いっぱい咲いていて、どうやって撮るか悩むw

贅沢ですね^-^;

 

この花はとっても色濃く咲いていました。

かきつばたの花言葉は、

「幸運は必ず来る!」

皆さんのところにも幸運が届きますように^-^ノノノ

コロナ吹き飛べ~

 

在原業平銅像

 

業平句碑

ら衣 つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもう」

業平が旅の途中、八橋の杜若を見て詠まれた句です。

都に残してきた妻子への気持ちが伝わってきますね。

句の頭を並べると、「かきつはた」になりますね。

昔は、かきつばたの「ば」は「は」で、清音だったそうです。

 

鮮やかな青色に、白い印。

昔の人は本当にかきつばたを愛し、愛でたのですね。

 

かきつばた

もしかしたら、現代の人が気付かない何かを持っているのかも知れないw

カキツバタの花。

いっぱい見ることが出来て満足でした。

そろそろコースへ戻ることにします。

 

ここからゴールの駅は近いです。

 

名鉄三河線の高架が見えてきました。

 

帰りの「三河八橋駅」です。

 

ゴール、キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━!!

(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪

 

ラッキー賞のあんまきが当たっていました。

それと、アンケートの景品、ポケットメモ帳も頂きました。

 

今回のコースは、かきつばた鑑賞コースでした。

今年も幸運の花、かきつばたが沢山見れて良かったです。

また、来年訪れたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

 

2017年の八橋かきつばた祭りの画像です。

 

 

2017年から後、かきつばたの画像が無かったw


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