花の ひとりごと

今日の花と 日々思うこと

ナンキョクミドリナデシコ

2007-06-21 22:08:47 | 社会
 今日の新聞記事に、 第50次南極観測隊の船を オーストラリア南極局の観測船「オーロラ・オーストラリス」を 借りることに決定した とありました。

 日本の南極観測隊は 南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために 1956年の第1次隊から 現在まで(1962-1964は派遣無) 南極に派遣されています。
 これは 南極大陸内部に封じ込められた 空気と水が、過去の地球の気象等を知る手がかりになり、現在では地球温暖化のメカニズムを探るため等のための研究をするのですが、 1国での事業としては 費用がかかりすぎるので 国際協力して観測をすることになったことに 日本も参加しているからです。

 初代南極観測船は 「海上保安庁 宗谷」 この船は 数奇な運命を持っていました。
 1936年(昭和11年)ソビエト連邦からの発注で 耐氷型貨物船として起工。
 ソ連船ボロチャエベツとして進水したにもかかわらず 第二次世界大戦直前だったため、ソ連への引渡はされず商船「地領丸」として竣工。
 耐氷能力・水深探知機(ソナー)・大量輸送能力を持っていたため 日本海軍が「地領丸」を買取し「宗谷」と改名。特務艦として連合艦隊付となる。
 北洋・南洋への任務の中 トラック島大空襲・ミッドウェー海戦にも動員された。
 終戦後は 主に小樽 - 樺太間を往復し 引揚者を本土へと運ぶ。
 海上保安庁の灯台補給船となる
 南極観測船に選定。大改装。通算6回の南極観測任務を遂行
 1962年(昭和37年)通常任務に復帰し 北海道に配備される
 1978年(昭和53年)生涯で 通算千名以上の命を救い退役
 「船の科学館で」一般公開


 第2代南極観測船は 「海上自衛隊 砕氷船 ふじ」
 1965年(昭和40年)から 1983年(昭和58年)まで、南極観測隊で輸送業務に従事。ヘリコプター3機搭載。
 退役の後 南極観測に関する博物館として 名古屋港ガーデンふ頭に係留されたまま一般公開

 第3代南極観測船は 「海上自衛隊 砕氷艦 しらせ」
 任務の性格上 文部科学省(当時は文部省)の予算で建造されましたが 観測隊員以外の乗組員は 海上自衛隊の隊員で 海上自衛隊が管理する艦です。観測用へり1機 輸送用へり2機搭載。
 毎年 8月から10月にかけて国内各地を巡航、訓練を行って、10月中旬、東京晴海埠頭を出港します。 以前は観測隊員も乗艦していましたが 2001年からは オーストラリアのフリーマントルから乗艦して、南極大陸に12月下旬に到着します。データを収集したり 過去の廃棄物の回収を行って 夏隊員は 4月頃帰国します。
 「しらせ」は 今年11月出港の 第49次南極観測隊で役目を終えます。

 第50次南極観測隊は 先に書きましたように オーストラリア南極局の観測船「オーロラ・オーストラリス」を借りて行われます。
 「しらせ」の後継船は 2009年5月に 完成予定だそうです

*************************************
 南極に咲く花は ナンキョクコメススキとナンキョクミドリナデシコの2種類なんだそうです。 今日の花は そのうちの一つ ナンキョクミドリナデシコ。
写真は 「国立局地研究所 http://www.nipr.ac.jp/」からお借りしました。

こちらには 南極観測のホームページもあり、第49次隊の訓練の様子も見られます。


【花言葉】・・・・(さすがに無いようです)

最新の画像もっと見る