花日和 Hana-biyori

カレーソーセージの謎に納得

『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』ウーヴェ・ティム/浅井晶子 訳(河出書房新社)

カレーソーセージの謎に惹かれて、私にしては短期間で読み終えることができた。

レーナの回想にはカレーソーセージはなかなか出てこない。脱走兵と過ごした27日間のあいだに、ほんの少しカレーの話題が出ただけだ。しかし、終盤になってやっと経緯が明かされると、かなり感動した。

カレーソーセージは戦後の闇市の混乱の中で、たまたま手に入るもので作り出した、という一言で終わってもいい話ではある。それでも、誰かに長々語って聞かせるだけの思いと理由があった。二人が出会わなければ作られなかったメニューだと、しみじみ納得させられた。読む人によってはまったくピンとこないセンチメンタリズムかもしれないけれど、私は凄まじく共感してしまった。

戦時中の世相や中年女性のメンタルがリアルなところが読み応えでもある。レーナは生来したたかで図太い人なのだろうけれど、ある部分では情にもろく、別段悪女というわけでもない。

中年になってもそこそこ美人で性的な魅力のある人だが、最初の映画館の場面では「もうあと2・3年でこんなに足がでるスカートは履けなくなる」と、自分の老いを自覚してもいる。

絹のストッキングに見せるために足に色を塗っているという描写が、戦時中の侘しさと、もう若くない女の痛々しさに拍車をかけていた。

そんなレーナが、自分の息子でもおかしくない若者を、なるべく長い間側そばに置いて置きたかった気持ちもわかる。結局ブレーマーは突然姿を消すのだが、彼が離れて行ったことよりも、最後に色々と話したいことがあったのに話せなかったことが心残りというのは、本当にそうだろうと思う。そういう綿密な心理描写が淡々と綴られて、それだけに余計胸に迫る文章だった。

レーナが思わず彼に真実(戦争終結)を口走ってしまう理由は、ユダヤ人強制収容所の実態を新聞で見てしまったからなのだが、彼女の衝撃は当時のドイツ人たちの衝撃でもあるだろう。

第三者の語りによって、(ときには本人たちの語りにもなる)当時そういう男女が本当にいたという感じがしてしまう話だった。しかし考えてみればこれは確かにフィクションで、作者のカレーソーセージをめぐる創造力が凄いなあと感心してしまう。そして、映画みたいな話だなと思っていたら、やはり2005年の出版から2年後に映画化されていた。たしかに、映画にしたくなるような話なんだよな。
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