花日和 Hana-biyori

「科学と科学者のはなし」

「科学と科学者のはなし」 寺田寅彦/池内 了編/岩波少年文庫

「津浪と人間」という箇所を読んで、この時代(昭和8年・1933年)にも東北の太平洋沿岸に大津波があったことを知った。(※この文章では「津波」ではなく「津浪」となっていた。)
前回の「三陸大津浪」(明治29年・1896年)の37年後に来たというのに、以前の教訓は生かされていなかった、というより人々の記憶や認識から離れてしまうことの現実を、”人間的自然現象であるようにみえる”と科学者として冷静に捉えているのが印象的だった。
そういう事をカモメや昆虫に例えたりして、一瞬突き放しているように思うのだが、しかしやはり人間は昆虫ではない以上、科学者として、心配性な人間として言わずにはおれない、という著者の悲痛なもどかしさと誠実さを感じた。

外国の例ばかりに気をとられて、日本の風土に合わないことを取り入れようとする風潮を批判しつつ、普通教育での災害に対する科学知識を深めることが重要だという。もっともだし、現在行われているのは防災訓練だけのように思うけれど、地震や津波のメカニズムや、歴史上何度も罹災している地域ではまた必ず起こるということが、どこまで教育されているのだろうか。
昭和八年当時は、津波は地震の数十分後に来る、というあたりまえの平凡な科学的事実すら、周知されていなかったらしい。
東日本大震災時は、当該地域ではそういう教育はかなりされていて、避難訓練が徹底されていた学校では犠牲者はなかったと聞く。また一方で、知識装備も対策もずさんだったために死ななくても良かった命が奪われた例も多い。避難路や防波堤もあったはずだが、予想をはるかに超える規模の大津波で、犠牲者は計り知れない数にのぼった。
 こんな大災害でも、人はいつか忘れていくものだろうか。

37年というと短いようだがその当時研究や対策を考えた科学者や役人・分別盛りの世代は亡くなったり隠退したりして、次世代はもはや耳を貸す状況ではなくなる。記念碑的なものは新道路が出来て人通りのないところに押しやられたりしていたという。

地震の後には津波、というはの現在はテレビで誰もが知っている事実・常識のような気がしていたけれど、考えてみると私も2010年のチリ沖地震の津波がなければ、地震の数分後に津波が来るという知識は持ち得ていなかったかもしれない。
 ただ、知識はあっても災いが自分に降りかかることをあまり考えたくはないのが人間というものでもある。自分を含め。結局、日頃の備えをしっかりしておかないと、という平凡な考えに至るのだけれど。
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