花日和 Hana-biyori

多情多恨

尾崎紅葉作『多情多恨』(改版)岩波文庫

いろいろと面白い。流れるような文体で、昔の言い方で分かりづらい所もあるけれど、普段使わない言葉遣いだから却って新鮮。つくづく私こういうの大好きだわ―と、にこにこうれしかった。
この主人公の子供じみた偏屈さというか浮世離れしたずれ具合とか、「浮気は男の甲斐性」という言葉が言葉通りに通用していた時代(明治)の風習とか考え方等がわかるのも興味深い。

この世に好きな人間が、男では親友の葉山誠哉、女では奥さんのお類さんだだ二人という29歳の大学の先生、鷲見柳乃助(すみりゅうのすけ)。その可愛いくてたまらない奥さんが病気で死んでしまった。病的に奥さんを思い続ける柳乃助を心配した親友の葉山は、自分の家に下宿するよう勧める。柳乃助も、行きたいのはやまやまだが、葉山の妻、お種の事が大嫌いなのでこまる。それでも勧めに応じて同居し始めたが、お種が夫や舅・子供の世話をする様子を見ているうちに、だんだんお種に心惹かれていくようになり…。

この柳乃助君は、最初から最後まで身も世もないほどべそべそべそべそ奥さんの事を思い出しては悔やんでは愛しがっては泣いたり酔ったり眠れなかっり徘徊したり、んもう大変な執心ぶりなのだけれど、亡くなった奥さんのほうではそれほど旦那に惚れてたかというとそうでもなく、”いわば通り一遍”と書いてあるけれど、そりゃあうっとおしかったろうなあと推察できる。
愛し愛された二人の悲劇ではなく、愛したものを忘れられない男の喜劇なのだ。

勿論気の毒ではあるけれども、妻の可愛かったしぐさだとか具体的な思い出などは一切無し、ただただ嘆きに嘆く独り男の描写に終始しているので、読者もへんな感情移入などはせず巧みな文章で呆れるほどの滑稽さに笑ってしまう。作家の手腕を感じた。

ところで柳乃助君は、あまりに子供っぽくて我儘なのでくん付けしたくなってしまう。
妻の実家から妹のお島が来て、行き届いた世話をしてくれたのに実は大嫌いでなんとか早く出て行ってくれる方法はと葉山に泣きつく。
一人とはいえ下女もいる所帯をたたむのに、妻の里の意見を無視して強引に行うという際も、葉山に頼みもしないで面倒な手続き手配は全てやってもらえると決め込んでいる。
悲しみのあまり一人でいられず、真冬の真夜中に葉山邸を訪れて葉山が不在と知っても上り込みお種を相手に話し込む。
葉山の家に同居してからも、お種を相手に深夜に関わらずたびたび涙にむせぶ。

どうしようもない状況で追い詰められているんだなあとは思うけれど、一番迷惑するのはお種だ。
でもお種にしても、最初は迷惑だけれど夫の親友なので邪険にするわけにもいかず…だったのが、本当に奥さんを愛していて、仕事には真面目な、どこまでも純朴なひとなのだというのが分かって、完全に迷惑で嫌いというわけでもなくなっていく心の動きがわかる。
お互い不倫なんてしそうもないし、完全に葉山に頼り切っている二人だが、葉山の留守中にちょっとした事件が起こる。事件というか、これもまた柳乃介の我儘勝手な行動が引き起こす面倒だったりする。ほんとにしょうもないなあと思う。

葉山は何が面白くてこんな男と友達なのか。と思うけれど、子供じみたワガママさはそのまま子供じみた純粋さ、気まじめさ、好きとなったらとことん大好き、という憎めない人物像も感じるには感じるし、昔の人は、他人を世話して一向苦にならないという寛大さがあったのかなとも思う。粋な遊び人である葉山という男の包容力の深さというものもあるだろうが。


<蛇足>
あと面白いのは、昔は一度結婚して縁付いたからには、その縁続きをそうまでして守るのか。という考え方。戦争中くらいまでは、弟や妹が、死んだ兄姉の夫や妻の再婚相手になるという話をけっこう聞いたように思う。妻、類の実家から母親と妹のお島さんが来て、お島を世話役に置いていく。下女がいるとはいえ若い娘を独身男の家に置いていくからには、早い話が妹を後添えにということだ。今では考えられないわな。
それほど、結婚が「家」と結びついていた時代だろうし、葉山も柳乃助も下女を雇っているくらいだから「良家」といっていいんだろうなと思う。食うに困らないから悲しみに身を任せていつまでもべそべそしていられるんじゃないだろうかとつい貧乏人のヒガミが頭をよぎるのだった。


ところで、柳乃助の”四十がらみの”下女は「老婢」という書き方だった。40で「老」の字がつく。挿絵も立派な老女なのには軽くショックだった。116年前だと私も森高千里ももう老婆なんだわな。
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