花日和 Hana-biyori

アーモンド(感想)


韓国文学『アーモンド』(ソン・ウォンピョン作/矢島暁子 訳/祥伝社)。恐ろしく無表情な少年の顔が表紙絵で、本屋さんでたびたび平積みになっていたのを見かけて気になっていた。

その無表情には大きな意味がある。ものがたりの語り手である少年・ユンジュは、生まれつき扁桃体が小さく、喜怒哀楽を感じることができない「アレキシサイミア」、いわゆる「失感情症」だった。

だから小さい頃からまあ生きづらい。適切な会話ができないことはもちろん、周囲に酷い事件が起こっても無表情で感情の起伏が乏しいため、人でなしのように非難・差別されてしまうのだ。

それでも、シングルマザーの母親はユンジュに「正しい感情表現」教育を必死で施し、ガラの悪い祖母はいつでもユンジュの味方だった。ユンジュには過酷な運命が待ち受けているが、二人の保護者がユンジュを深く愛していたことがわかる。

そんな彼が高校1年生のとき、幼い頃から十数年行方不明になっていた少年「ゴニ」が転校してくる。ゴニはゴニで過酷な幼少期を過ごし性質が荒れすさんでおり、実の父親とも打ち解けられず問題だらけだった。

ゴニの父親の失策によって、最初からこの二人はかなり難しい関係として出会うことになる。激しい摩擦を経ながら、お互い知らずしらずのうちに影響しあっていく様が丁寧に描かれていた。

感情のないユンジュ自身の語りからなる小説なので、感情的な表現が廃されていてそれがかなり読みやすい。と同時に、「感情のない人の心の動き」が、かなり注意深く書かれていることがわかる。

印象的なのは、彼以外の「感情がある」はずの大多数の人間が、実は悲惨な事件や出来事に対して冷徹だったり、すぐに気持ちの切り替えをして忘れたりする、とユンジュが疑問を感じるところだ。生まれつき感情があるはずの人間も、ときに共感性を失い無感情になるという痛烈な風刺のようだった。

感情がないユンジュはずっと受動的に生きている様子だったが、終盤はゴニのために淡々と能動的な行動に出る。初めて感情を表す端緒を掴んだようだが、それはひとえに幼い頃に受けた愛情ゆえではないだろうか。と平凡な感想を抱いてしまうのは、親の立場で読んでしまうからかもしれんけど。
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