ツキハモウロウ

ウキヒトノ ツキハナニゾノユカリゾト
オモイナガラモ ウチナガメツツ(藤原実定)

日経ビジネスに騙されていませんか?

2010-05-20 22:38:58 | Weblog
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100514/214426/

自分の知っていることを全部話してしまえば、取るに足らないようなことばかりで返って身の程を心配してしまうという程度なのですが、今の時代に老荘や儒教がどれだけ若者に影響を及ぼすことができるのか、未知数であるし難しい面もあると思います。私が中国の古典に興味を持ったというのも、日本在来の宗教にシンパシーを感じればがんじがらめになってしまうし、キリスト教は趣味ではなかったから、といえそうです。老荘が特に好みというのも、小泉改革の時に儒教が利用されるような気配があって、個人でできる限り読み込んでいた、ということがありました。今思うと空振りに近いのですが、読んでみれば意外とおもしろいものでした。これは論語もそうだし鎌倉新旧仏教も同じで、為政者との絡みで考えれば、庶民を縛るような印象は確かにあるのですが、原点をふまえるということは大事であると思います。私は老子の、小国寡民を実績できれば幸せだろうなぁと思いますし、論語に出てくる孔子の進言に輝くものを見いだします。足を知るということを貧困層が実跡してしまえば、富裕層は総取りするのだから貧困層は困るだろう、というお言葉は、余計なお世話というものです。普通に考えれば、貧困層が足を知ってしまうと富裕層は困る、ということを印象に抱きます。労働総人口に対して職業は足りていないのですから、身の程を知るということは大事でありますし、高望みして足下がおろそかになるということを今時の若い人はいやがるのですね。明治の偉人が放つ言葉自体が為政者に有利なのではないかと思うのですが、人は飢えれば働くのですから、あまり扇動するようなことをしないで欲しいです。また、守屋さんはまじめに働けば報われるのだ、という世界観をお持ちとお伺いしますが、老荘に惹かれるという若者はそうは思っていないのではないでしょうか。それとうかつに草食系という言葉は使わないことです。差別用語ですから。
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