千鳥庵

千鳥の感謝??のブログです。
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しつこいけど・・丹波哲郎さんの大霊界へ

2006年09月30日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、丹波さんの葬儀だね。

昨日は、お通夜だった・・・

お通夜は、明るく豪快な人柄だった丹波さんらしく、派手な音楽をふんだんに使った“音楽葬”。 大霊界をモチーフにした祭壇に丹波さんの霊も大喜びだったらしい。

なぜ、丹波さんが喜んでいたのがわかったか???060930gt20060930001_

実は、霊能者の江原啓之氏の霊視によるもの。

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏によると、ナントこの日、霊が斎場に現れニコニコ笑っていたという。


江原氏は「きょうも(丹波さんの霊が)いらしてました。お棺の上に座っててニコニコみんなの方を見てらっしゃったよ」
 
やはり・・・という感じだね。

丹波さんと江原氏は7年来の付き合いがある。

丹波さんが、死後にメッセージをくれるとしたら、江原氏経由だと、私も思っていたんだ。

それに、これもやはり・・・だったが、亡くなる前夜にも丹波さんの霊と会ったという。

美輪明宏氏の所にも、丹波さんは行ったらしいね・・・

人間は死期が近づくと、幽体離脱を頻繁に行うらしいからね。

丹波さんも、死期を悟って・・・江原氏や美輪さんの所に行ったのかも知れない。

「お亡くなりになる前の晩に出てきてくださった。温泉につかっていて『一緒に入れ』といわれて、 お別れなんだと思いました」。

温泉に浸かっていた・・・丹波さん???

…( ̄  ̄;)ウーン 意味が・・・・

江原氏は、この日も式場で話したそうで、「(丹波さんは霊界で)奥さんにもお会いしたようで、 次の楽しみに向かわれたようです。丹波さんは私たちの世界(=霊界)の父で、『ボスが気づかれたことを教えてください』と言っておきました」 と、語っていたらしい。

きっと丹波さんにとって、それだけうれしい通夜だったに違いないね。

通夜の開始と同時に会場に鳴り響いたのはTBS系ドラマ「Gメン’75」の勇ましいテーマ曲で・・・献花の際には、 大霊界について説明する丹波さんのナレーションに合わせて映画「大霊界2」のテーマ曲や、「砂の器」「007は二度死ぬ」のテーマ曲、 そして平成9年に先だって他界した妻・貞子さん(享年70)を送り出したときの童謡「赤とんぼ」などが次々と流されたみたいだね。

まったく陰気くさいお通夜とは違うよね。

(^ヮ^)  アハハ

丹波さんは、霊界研究において宗教観は研究しているか、意外に宗教には無頓着だったらしい。

本人の著書に書いてあったけど、日蓮宗関係の映画に出演して、お題目を唱える場面で「南無阿弥陀仏」と言ってしまい、 監督が大慌てしてというエピソードもあるくらいだからね。

葬儀が終われば、マスコミの方も落ち着いていくと思うけど・・・江原さんと美輪さんの「オーラの泉」 に息子の丹波義隆氏に出てもらって、もっと丹波さんの霊界からのメッセージを聞いたみたいものだ・・・

さて、今日も・・・丹波さんの本を読みながら、風呂に入ろうっと・・・・


丹波さんの悲しみは続く・・・

2006年09月27日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、久しぶりに「スポーツ新聞」を買ってしまった。

丹波さんの記事を読みたかったからなんだ。g2006092601tamba

少しでも、丹波さんの情報がほしかった。

テレビも丹波さんの話題が出ていたろうね。

昨日も、今日も・・・丹波さんの本を読みながら風呂に入ってしまったよ。

( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ 

丹波さんの演技やトークは、独特の雰囲気があって・・・引き込まれるが、本も同じ様な感じで読めるよね。

丹波さんは、多くの霊界研究の著書を出されているけど、もう、新刊を読めないのは、寂しいし・・・・悲しい・・・

しばらくは、丹波さんの本を読んだり、映画を見たりするかもしれない・・・・

映画と言えば、丹波さんはいろいろ出演されているけど、近年では「釣りバカ日誌」が面白かった。

あ~・・・でも、悲しい・・・・

丹波さんには、90歳くらいまで頑張ってほしかったなぁ・・・

今も、丹波さんと握手していただいた時の、手の柔らかさが今も残ってる・・・

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訃報・丹波哲郎さん死去

2006年09月25日 | 今日の出来事

俳優の丹波哲郎さんが肺炎で死去

霊界研究家でもあり、俳優の丹波哲郎さんが24日午後11時27分、肺炎のため都内の病院で死去されました。84歳らしいです。

大ショックだ~ ( ・_・;)

私は、俳優・丹波哲郎氏の大ファンでもあり、霊界研究家としての丹波氏の著書も愛読していたし、一時は「来世研究会」 にも所属していた。

丹波氏とは、仕事で講演をして頂いた事もあり、今となっては・・・その時書いて頂いた色紙と、 一緒に撮った写真が宝物になってしまった。

映画「大霊界2」のエキストラ出演も、暑くて大変だったけど・・・その時の衣装も大事に取ってある。

去年の大河ドラマ「義経」では、源頼政の役で出ておられたが・・・・物凄く痩せられていたので、どうしたのかと心配していたんだけど・ ・・

後から聞いたら、やはり病気で一時は危なかったとか・・・

かなり前に、CS放送で丹波氏が霊界研究番組をやられていたが、その時にスピリチュアル・カウンセラーとして出ていたのが、 当時は無名の江原啓之氏だった。

そうそう・・・美輪明宏氏も出ていたっけ・・・・

今は飛ぶ鳥を落とす勢いのお二人だが、この丹波氏の番組で知り合ったらしい。

私は仕事で、何人かの芸能人と接したことがあったが・・・テレビとイメージ違う芸能人が多かったけど、丹波哲郎氏は・・ テレビのあの性格そのものでした。

丹波哲郎さんは現界での役割を終えて、これからは霊界での新しい役目に就かれるのかもしれません・・・・

丹波哲郎さん・・・ありがとう・・・・そして、さようなら・・・・

故 丹波哲郎(正三郎)儀 行年84才 OPSD-S084
東京都出身

喪 主  丹波義隆 続柄 長男
通 夜  9月29日(金) 午後6時~ 
告別式  9月30目(土) 正午~午後2時30分
式 場  東京都青山葬儀所
住 所  東京都港区南青山2-33-20

 


狂っている日本の教育

2006年09月23日 | 思ったこと・感じたこと

違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」  (読売新聞 - 09月22日 21:02)

「小泉首相は22日、 国歌斉唱などを教職員に義務づけた東京都教育委員会の通達を憲法違反とした東京地裁判決に関連して、「社会人になって国歌も歌えない、 国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か、 どういうことに敬意を持って接するかという教育は大事だ」と述べた。

また、教師の対応について、「(国旗国歌への態度など)礼節の問題について、 はっきりとした態度を示さないことの方が問題だ」と批判した。首相官邸で記者団に語った。」


この記事を見て、思ったことを一言。gokurosan

日本人であるなら、国旗や国家に敬意をするのは当たり前。

日本の教育者は狂っているよね。

世界の国々で、国旗や国家の事を教育でこのように反発するのは日本だけだと思う。

なんで、このように「狂った教育」が蔓延ってしまったんだろう。

それは、終戦直後にさかのぼる・・・

終戦直後、精神的ショックに打ちひしがれている日本に対し、占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 を徹底して実行した。

これは、簡単に言うと、この戦争で悪かったのは日本であるということを日本国民に教育する「洗脳プログラム」だったのである。

「太平洋戦争」は、アジアにおける日本軍の残虐行為を強調し、アメリカにおける大都市への空襲や、広島・ 長崎への原爆投下をも正当化し、一切は日本の軍国主義が悪かったのであって、アメリカは少しも悪くない・・・ そういう思想を埋め込んだのである。

占領軍によるこうした巧みな宣伝工作により、日本人は「アメリカは悪くなかった、悪いのは軍国主義の指導者達だった」 と思いこんでしまった。

この「自虐史観」が、今もなお、学者、教育者、マスコミに引き継がれているわけである。

中条高徳氏の「おじいちゃん、戦争のこと教えて」によると、占領軍が昭和21年に押しつけてきた教科書検閲の基準は、 次のようであった。

1 「国家」「国民」「わが国」という言葉を禁止。

2 国家的英雄を扱ってはならない。

3 「立派な皇族」が日本にいたことを教えてはならない。

4 「祝祭日唱歌」「君が代」を音楽教科書から削除する。

まさに、今の日本はアメリカのプログラム通りの・・・狂った国家になってしまっているのである。

このまま進めば、日本はどうなるのだろう・・・・日本人よ・・・目覚めよ。


お彼岸

2006年09月21日 | Weblog
20日からお彼岸だね。

また、親戚が自宅へ来て・・・・仏壇に線香をあげて・・・私も親戚に言って仏壇に手を合わせる・・・(-人-)ナームー..

日本の仏教はやたら何かが年中行事であるね。

お盆だけじゃダメなのかな ( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ 

こんなこと言ったら、ご先祖に叱られちゃうか・・・・

と言うわけで・・・・今週も忙しくなりそう・・・


天皇家の御名の「通字」

2006年09月13日 | 今日の出来事

宮内庁は、6日に誕生した秋篠宮家の男子のお名前が「悠仁(ひさひと)」に決まったと発表したね。この日午後、 紀子さまが入院されている東京都港区の愛育病院で「命名の儀」が行われたらしい。身の回りの品に付ける「お印」は、日本固有の常緑高木の 「高野槇(こうやまき)」に決定したみたい。命名の儀は、一般のお七夜に当たる皇室の伝統儀式。

宮内庁によると、「悠」の字には、ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでほしい、との願いが込められているとのこと。 お印の「高野槇」は「まっすぐに育ってほしい」とのご夫妻の思いから、日本固有の直立の木にしたみたいだね。

天皇家の通字である「」だけど、 これは56代清和天皇の御名「惟仁」(これひと)が最初だ。
以後、途中から醍醐天皇(淳仁)一条天皇(懐仁)と続き、 70代後冷泉天皇(親仁)から定着することになる。

この「仁」の字は次代の皇太子になる予定の皇子だけにつれられる習わしだったらしいね。

後鳥羽天皇(尊成)後二条天皇(邦治)あるいは後醍醐天皇(尊治)などは、 予定外の皇子が皇位についたために通字の「仁」がない。

南北朝が一つになった100代後小松天皇(幹人)からは一貫して「仁」が通字となり、 今上天皇(明仁)に至っている。

尚、皇太子以外の皇子にもすべて「仁」 が用いられるようになったのは江戸時代の111代後西天皇の皇子達からだだったと思ったけどね。

間違っていたら、失礼・・・^^;

今回は天皇家の御名についてでした。


親王様ご誕生

2006年09月06日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、記念すべき日でしたね。

秋篠宮妃紀子さまは6日午前8時27分、東京都港区の愛育病院で、帝王切開で男子を出産された。

体重は2558グラム。母子ともに健康だということです。

よかったね。^^

皇族での男子誕生は父親の秋篠宮さま以来41年ぶり。皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位ということになるみたい。

このまま、皇室典範の改正無く、世界最古の皇室の伝統を守っていただきたいね。

しかし、劇的なご出産でもあり・・・また、意外にあっさり男子のご誕生という感じだった。kikukiri2

皇太子妃の時は、物凄い重圧というか・・・・重苦しい雰囲気があったからね。

皇室典範改正というのは、はっきりいってもっと慎重にやってほしい。

正直、あのメンバーでは役不足という感じ・・・

とにかく、\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ、\(^o^)/バンザーイ

でした。

 


9月だ~

2006年09月02日 | Weblog

9月になったね。

今年の夏は、何か「あっ」というまだったような気がする。

この夏は全然遊べなかったな・・・(-_-;)

この秋には、どこかへ出かけてノンビリしたい・・・・

ここの所、ちょっとバテ気味なんで、美味いものを食べたいね。

(ー^ρ^)ジュル

ここの所、本当に食べ物は良いもの食べてない~

がんばろう・・・

惟神霊幸倍坐世