千鳥庵

千鳥の感謝??のブログです。
ヾ(・ε・。)ォィォィ

懲りずに・・・

2007年10月02日 | 思ったこと・感じたこと
先日、私の掲示板にちょっと不満を書いてしまった。

今日はその続きです。

組み手さんの評判を落とすために、組み手さんになりすます人がいて、また、それをわざわざ噂にし、組み手さんに罪をかぶせたりしています。

自作自演というやつです。

酷いね・・・人間としての良心を疑いたくなります。

先ほど、久しぶりに某チャンネルを見てみると、私の書き方を真似て書いている「偽物」さんが懲りずに書いていました。

前は私がよく使っている絵文字・・・今回は私がよく使う「私見ですが・・・」というのを使っていて、案の定、それを目立たせようとしているのか、私が書いたパソコンの故障のことでつっこみを入れていた。(笑)

そこまでして人をおとしいれたいのかな・・・

自分に「正義」があるのなら、堂々と教団に言えばいいのに・・・私らみたいな末端の組み手を叩いて意味あるのかと思ってしまう。

このような事を書くのは好きではないけど、黙っていると誤解する人もいますからね・・・

「統一版」は皆さんの交流の場なので、ここに意見を書きました。

くどいですが、私は組み手さんの掲示板以外は書きません・・・自作自演の偽物に騙されないようにしましょうね。

2チャンネルはいっそのこと・・・IPアドレスを公開にすればいいのに。

そうすれば、偽物は出なくなると思います。

魂の試練

2006年12月03日 | 思ったこと・感じたこと

最近、自殺の話題がマスコミに良く出てきます。

暗い・・・そして、悲しい話題です。

死ねば・・・この世からいなくなれば、楽になれる・・・そう思いたいのでしょうね。

人には感情があります・・・・ダメとわかっていても・・・悪いとわかっていても・・・感情で動かされてしまうことが多々あります。

私も、何度も肉体的にも精神的にも、「もう駄目だ」と思う事がありました。

でも、何とか生きています。

最近も、ちょっと落ち込むことがありましたが、何気なく読んだ・・・前に買っておいて読まなかった本に、 守護霊様のお仕組みでしょうか・・・私への励ましかなと勝手に解釈し立ち直りました。

その一部を掲載します。

シルバーバーチという高級神霊の霊示です。

 

『この交霊会に出席される方々が、もし私の説く真理を聞くことによってラクな人生を送れるようになったとしたら、 それは私が引き受けた使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。 それに敢然と立ち向い、それを克服し、そして一層力強い人間となって下さることが私どもの真の目的なのです。

霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それは一たん身についたらお金を落とすような具合に失くしてしまうことは絶対にありません。 苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは決してありません。 解決できないほどの難問に直面させられることは絶対にありません。 何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の当然の姿なのです。

それはもちろんラクなことではありません。しかし魂の宝はそう易々と手に入るものではありません。もしラクに手に入るものであれば、 何も苦労する必要などありますまい。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一ばんの薬なのです。

私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿を、 あえて手をこまねいて傍観するほかない場合がよくあります。そこからある教訓を学び取り、霊的に成長してもらいたいと願い祈りながら、です。 知識にはかならず責任が伴うものです。その責任をとってもらうわけです。霊は一たん視野が開ければ、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、 決してそれを悔やむことはないはずです。さんさんと太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身にしみません。 魂が目を覚ましそれまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲たれこめる暗い日や、 嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。

地上の人生は所詮は一つの長い闘いであり試練なのです。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもいいでしょう。 魂にはありとあらゆる種類の長所と弱点が秘められております。即ち動物的進化の名残りである下等な欲望や感情もあれば、 あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。 地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、 それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには是非とも厳しい試練が必要なのです。

運命の十字路にさしかかる度毎に、右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然として立ち向うか、 それとも回避するかの選択を迫られますが、その判断はあなたの自由意志にまかされています。もっとも、 自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取りまかれている環境による制約があり、 これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼の旅において、 内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されているのです。そのチャンスを前にして、積極姿勢をとるか消極姿勢をとるか、 滅私の態度にでるか利己主義に走るかは、あなた自身の判断によってきまります。

地上生活はその選択の連続といってよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時に又、 寿命つきて霊界に来た時に霊界で待ちうけている新しい生活、新しい仕事に対する準備が十分できているか否か、能力的に適当か不適当か、 霊的に成熟しているか否か、といったごともそれによって決まるのです。単純なようで実に複雑です。

そのことで忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、 それだけ責任も大きくなるということです。地上に再生するに際して、 各自は地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、 才能のない人よりはそれだけ大きい責任を取らされます。当然のことでしょう。

悲しみは、 魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。 悲しみはそれが魂の琴線にふれた時、一ばんよく眠れる魂の目を醒まさせるものです。魂は肉体の奥深くに埋もれているために、 それを目覚めさせるためには余ほどの強烈な体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、 不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、 それは大した価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、 それを学べる準備の出来た霊にとって深甚なる価値があると言えるのです。

繰り返し述べて来たことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時始めて学べるのです。 霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいかなる援助の手を差しのべても、 それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。
霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです。肉体に包まれたあなたがた人間が、 物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来ごとを物的ものさしで量り、考え、評価するのは無理もないことではありますが、 それは長い物語の中のホンの些細なエピソード(小話)にすぎません。

魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。 失意も落胆も魂の肥しです。 魂がその秘められた力を発揮するにはどういう肥しを摂取すればいいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。 失意のドン底にある時はもう全てが終ったかの感じになるものですが、実はそこから始まるのです。 あなたにはまだまだ発揮されていない力ーそれまで発揮されたものより、はるかに大きな力が宿されているのです。 それはラクな人生の中では決して発揮されません。苦難と困難の中でこそ発揮されるのです。 金塊もハンマーで砕かないとその純金の姿を拝むことが出来ないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出て来ないのです。 それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、 気ラクな人生ばかりを送っている者よりも一段と大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。 何もかもがうまく行き、日向ばかりの道を歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、 苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、 それが悟りを開くということなのです。

困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥しなのです。 むろん困難のさ中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。つらいのですから。 しかしあとでその時を振り返ってみたとき、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥しであったことを知って、 神に感謝するに相違ありません。この世に生まれくる霊魂がみなラクな暮しを送っていては、そこに進歩も開発も個性も成就もありません。 これはきびしい辛い教訓には違いありませんが、何事も、価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞は、 そう易々と手に入るものではありません。


神は瞬時たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、 晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。 あなた方自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり、 世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真実の敗北しか見えないでしょう。当然かも知れません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。

地上ではかならずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律はかならずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。 ですが、地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤はかならずその平衡を取りもどします。霊的に観て、 あなたにとって何が一ばん望ましいかは、あなた自身にはわかりません。もしかしたら、あなたにとって一ばんイヤなことが実は、 あなたの祈りに対する最高の回答であることも有りうるのです。

ですから、なかなか難かしいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努めることです。というのは、 あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、 私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。祈りはそれなりの回答が与ええられます。 しかしそれはかならずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一ばん望ましい形で与えられます。 神は決してわが子を見棄てるようなことは致しません。しかし神が施されることを地上的な物さしで批判することはやめなければいけません。

絶対に誤ることのない霊的真理がいくつかありますが、そのうちから二つだけ紹介してみましょう。一つは動機が純粋であれば、どんなことをしても決して危害をこうむることはないということ。 もう一つは人のためという熱意に燃える者にはかならずそのチャンスが与えられるということ。その二つです。 あせってはいけません。何事も気長に構えることです。何しろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。 さらに人間という形態が今日のような組織体をもつに至るのに何百万年もかかりました。 その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかったことでしょう。その力、 宇宙を動かすその無窮の力に身をまかせましょう。誤ることのないその力を信じることです。

解決しなければならない問題もなく、争うべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、 魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。 「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」-こうおっしゃる方があるかも知れません。 しかし私は実際にそれを体験してきたのです。あなた方よりはるかに長い歳月を体験してきたのです。 何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私は、ただただ、 宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりなのです。一つとして偶然ということがないのです。偶発事故というものがないのです。 すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、 何もかもが一目瞭然とわかるようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身をゆだねないのです。 あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って、神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。 心の奥を平静にそして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通じて発揮されます。 愛の心と叡智をもって臨めば何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことが出来るのです。愛がすべての根源です。 愛ー人間的愛はそのホンのささやかな表現にすぎませんがー愛こそ神の摂理の遂行者なのです。

霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、 いかなる苦難にもかならずや神の御加護があることを一片の疑いもなく信じることが出来なければいけません。

苦難にも悲しみにもくじけてはいけません。 なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも優るからです。
恐怖心こそ人類最大の敵です。 恐怖心は人の心をむしぼみます。恐怖心は理性をくじき、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、 寄せつけません。
心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。
つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信にあふれ、 決して乱れることがあってはなりません。霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。 ただ単にカが絶対巴もall-powerfuiというだけではありません。絶対的な叡智p=,鼠ωαo日であり、 また絶対的な愛all-loveでもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力があるのです。
はがねは火によってこそ鍛えられるのです。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそなのです。 苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証しです。夜明けの前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験がなくてはなりません。 そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善をつくし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。

霊的知識を手にした老は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。 陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。 表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。人間の進歩のために、そうした表と裏の体験、 つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、 いわばワンセット(一組)なのです。そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能です。 どうしても知り得ないことは信仰によって補うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。

知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての、氷遠の真理は、当然・ その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則なのです.恐怖心、信念の欠如、 懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。われわれは信念と平静の雰囲気の中において始めて人間と接触できるのです。恐れ・疑惑・ 心配、不安、こうした邪念はわれわれ霊界の者が人間に近づく唯の道を閉ざしてしまいます。

太陽がさんさんと輝いて、全てが順調で、銀行にた・ぷり預金もあるような時に、神に感謝するのは容易でしょう。 しかし真の意味で神に感謝すべき時は辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスなのです。 しかるべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がり且つ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です。

霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけで鐘解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験してはじめて、 それを理解するための魂の準備が出来あがるのです。その点がどうもよくわかっていただけないようです。タネを蒔きさ・ 兄すれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはなりますまい。 養分が揃っていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまく揃った時にようやくタネが芽を出し、成長し、 そして花を咲かせるのです。

人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇です。何もかもうまく行き、 鼻歌まじりの呑気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。 そうしたものを体験してはじめて、霊的知識を理解する素地が出来あがるのです。そして一たん霊的知識に目覚めると、 その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。 そして一たん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、 必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり真理なり美なりを引き出せるようになるのです。魂が進化した分だけ、 その分だけ自由意志が与えられるのです。

霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたは所詮、 現在のあなたを超えることは出来ません。そこがあなたの限界といえます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。 いかなる困難、いかなる障害も、かならず克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質にまさります。霊は何ものにもまさります。 霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。』


「古代霊は語る」近藤千雄 訳 より

 


タンバリン

2006年10月14日 | 思ったこと・感じたこと

久しぶりの更新です。

別にサボっていたわけではないんだけど、今、ちょっとハードな生活リズムなんだ。

今日は寝たのは、明け方の五時・・・・お昼まで爆睡してたよ。

だから、クタクタ・・・ァ'`,、ァ'`,、ァ'`,、(´T▽T`)ァ '`,、ァ'`,、ァ'`,、

 

明日も、町民運動会で・・・今年は役員で準備とか大変・・・

去年・一昨年と雨で中止だったんだけどね。

今年はそうなりそうもない・・・(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

あ~ゆっくり休みたい・・・


そうそう、先日の「オーラの泉」で、番組の最初に丹波さんのこと話していたね。

前にも書いたけど、美輪さんと江原さんは丹波さんの番組で知り合ったからね。tanba

2人ともそう言う意味では、共通の友人なんだよね。

丹波さんは、この世に何の未練も執着もなく、霊界へ旅立ったと思うけど、もしあるとしたら、「オーラの泉」 へ出演できなかった事かも知れないといってた。

そうかもしれない・・・・

今のテレビ番組で、定期的に心霊関係の番組は、この番組だけだし・・・江原さんは丹波さんが信頼している数少ない霊能者だし、 丹波さんが出たら「水を得た魚」みたいになってしまうと思う。(≧ω≦。)プププ

江原さんがマスコミに失望してテレビなどには出ないと思ったことがあったらしいけど、それを引き留めたのは丹波さんらしいね。

丹波さんが説得しなければ、江原さんの人生も変わっていたかも知れない。

この日はね、明け方に丹波さんの夢を見たんだよね・・・偶然(偶然はなく必然らしいが)かもしれないけどね・・・

丹波さんが、霊界で20代後半くらいまで若返って、映画にでていたよ。(^ヮ^)  アハハ

有名なスウェーデンボルグ等によると、霊界では自分の好みの年齢にまで若返ることが出来るらしい・・・・ 丹波さんもそうしているかもね。

この日は、もう一つあった・・・

頼んでいた、映画のパンフが届いたのよ・・・それも「大霊界」のPart1と2です。

何か~変な「丹波Day」でした。


しつこいけど・・丹波哲郎さんの大霊界へ

2006年09月30日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、丹波さんの葬儀だね。

昨日は、お通夜だった・・・

お通夜は、明るく豪快な人柄だった丹波さんらしく、派手な音楽をふんだんに使った“音楽葬”。 大霊界をモチーフにした祭壇に丹波さんの霊も大喜びだったらしい。

なぜ、丹波さんが喜んでいたのがわかったか???060930gt20060930001_

実は、霊能者の江原啓之氏の霊視によるもの。

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏によると、ナントこの日、霊が斎場に現れニコニコ笑っていたという。


江原氏は「きょうも(丹波さんの霊が)いらしてました。お棺の上に座っててニコニコみんなの方を見てらっしゃったよ」
 
やはり・・・という感じだね。

丹波さんと江原氏は7年来の付き合いがある。

丹波さんが、死後にメッセージをくれるとしたら、江原氏経由だと、私も思っていたんだ。

それに、これもやはり・・・だったが、亡くなる前夜にも丹波さんの霊と会ったという。

美輪明宏氏の所にも、丹波さんは行ったらしいね・・・

人間は死期が近づくと、幽体離脱を頻繁に行うらしいからね。

丹波さんも、死期を悟って・・・江原氏や美輪さんの所に行ったのかも知れない。

「お亡くなりになる前の晩に出てきてくださった。温泉につかっていて『一緒に入れ』といわれて、 お別れなんだと思いました」。

温泉に浸かっていた・・・丹波さん???

…( ̄  ̄;)ウーン 意味が・・・・

江原氏は、この日も式場で話したそうで、「(丹波さんは霊界で)奥さんにもお会いしたようで、 次の楽しみに向かわれたようです。丹波さんは私たちの世界(=霊界)の父で、『ボスが気づかれたことを教えてください』と言っておきました」 と、語っていたらしい。

きっと丹波さんにとって、それだけうれしい通夜だったに違いないね。

通夜の開始と同時に会場に鳴り響いたのはTBS系ドラマ「Gメン’75」の勇ましいテーマ曲で・・・献花の際には、 大霊界について説明する丹波さんのナレーションに合わせて映画「大霊界2」のテーマ曲や、「砂の器」「007は二度死ぬ」のテーマ曲、 そして平成9年に先だって他界した妻・貞子さん(享年70)を送り出したときの童謡「赤とんぼ」などが次々と流されたみたいだね。

まったく陰気くさいお通夜とは違うよね。

(^ヮ^)  アハハ

丹波さんは、霊界研究において宗教観は研究しているか、意外に宗教には無頓着だったらしい。

本人の著書に書いてあったけど、日蓮宗関係の映画に出演して、お題目を唱える場面で「南無阿弥陀仏」と言ってしまい、 監督が大慌てしてというエピソードもあるくらいだからね。

葬儀が終われば、マスコミの方も落ち着いていくと思うけど・・・江原さんと美輪さんの「オーラの泉」 に息子の丹波義隆氏に出てもらって、もっと丹波さんの霊界からのメッセージを聞いたみたいものだ・・・

さて、今日も・・・丹波さんの本を読みながら、風呂に入ろうっと・・・・


丹波さんの悲しみは続く・・・

2006年09月27日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、久しぶりに「スポーツ新聞」を買ってしまった。

丹波さんの記事を読みたかったからなんだ。g2006092601tamba

少しでも、丹波さんの情報がほしかった。

テレビも丹波さんの話題が出ていたろうね。

昨日も、今日も・・・丹波さんの本を読みながら風呂に入ってしまったよ。

( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ 

丹波さんの演技やトークは、独特の雰囲気があって・・・引き込まれるが、本も同じ様な感じで読めるよね。

丹波さんは、多くの霊界研究の著書を出されているけど、もう、新刊を読めないのは、寂しいし・・・・悲しい・・・

しばらくは、丹波さんの本を読んだり、映画を見たりするかもしれない・・・・

映画と言えば、丹波さんはいろいろ出演されているけど、近年では「釣りバカ日誌」が面白かった。

あ~・・・でも、悲しい・・・・

丹波さんには、90歳くらいまで頑張ってほしかったなぁ・・・

今も、丹波さんと握手していただいた時の、手の柔らかさが今も残ってる・・・

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狂っている日本の教育

2006年09月23日 | 思ったこと・感じたこと

違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」  (読売新聞 - 09月22日 21:02)

「小泉首相は22日、 国歌斉唱などを教職員に義務づけた東京都教育委員会の通達を憲法違反とした東京地裁判決に関連して、「社会人になって国歌も歌えない、 国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か、 どういうことに敬意を持って接するかという教育は大事だ」と述べた。

また、教師の対応について、「(国旗国歌への態度など)礼節の問題について、 はっきりとした態度を示さないことの方が問題だ」と批判した。首相官邸で記者団に語った。」


この記事を見て、思ったことを一言。gokurosan

日本人であるなら、国旗や国家に敬意をするのは当たり前。

日本の教育者は狂っているよね。

世界の国々で、国旗や国家の事を教育でこのように反発するのは日本だけだと思う。

なんで、このように「狂った教育」が蔓延ってしまったんだろう。

それは、終戦直後にさかのぼる・・・

終戦直後、精神的ショックに打ちひしがれている日本に対し、占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 を徹底して実行した。

これは、簡単に言うと、この戦争で悪かったのは日本であるということを日本国民に教育する「洗脳プログラム」だったのである。

「太平洋戦争」は、アジアにおける日本軍の残虐行為を強調し、アメリカにおける大都市への空襲や、広島・ 長崎への原爆投下をも正当化し、一切は日本の軍国主義が悪かったのであって、アメリカは少しも悪くない・・・ そういう思想を埋め込んだのである。

占領軍によるこうした巧みな宣伝工作により、日本人は「アメリカは悪くなかった、悪いのは軍国主義の指導者達だった」 と思いこんでしまった。

この「自虐史観」が、今もなお、学者、教育者、マスコミに引き継がれているわけである。

中条高徳氏の「おじいちゃん、戦争のこと教えて」によると、占領軍が昭和21年に押しつけてきた教科書検閲の基準は、 次のようであった。

1 「国家」「国民」「わが国」という言葉を禁止。

2 国家的英雄を扱ってはならない。

3 「立派な皇族」が日本にいたことを教えてはならない。

4 「祝祭日唱歌」「君が代」を音楽教科書から削除する。

まさに、今の日本はアメリカのプログラム通りの・・・狂った国家になってしまっているのである。

このまま進めば、日本はどうなるのだろう・・・・日本人よ・・・目覚めよ。


親王様ご誕生

2006年09月06日 | 思ったこと・感じたこと

今日は、記念すべき日でしたね。

秋篠宮妃紀子さまは6日午前8時27分、東京都港区の愛育病院で、帝王切開で男子を出産された。

体重は2558グラム。母子ともに健康だということです。

よかったね。^^

皇族での男子誕生は父親の秋篠宮さま以来41年ぶり。皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位ということになるみたい。

このまま、皇室典範の改正無く、世界最古の皇室の伝統を守っていただきたいね。

しかし、劇的なご出産でもあり・・・また、意外にあっさり男子のご誕生という感じだった。kikukiri2

皇太子妃の時は、物凄い重圧というか・・・・重苦しい雰囲気があったからね。

皇室典範改正というのは、はっきりいってもっと慎重にやってほしい。

正直、あのメンバーでは役不足という感じ・・・

とにかく、\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ、\(^o^)/バンザーイ

でした。