人間の反応の法則

2008-03-11 | たわごと
金を持っているところからいかに資金をゲットするか?

小学生が普通はそこまで考えないだろうが、

弟の場合はどうだったろうか?

プリズン・ブレイクの主人公のように、知能指数は高く。小松市の小学校での成績は、いつもトップ。特に塾にも通わずとも。
かの主人公との相違は、兄がいても、兄が応援して大学へ通う資金を、自分を犠牲にしてまでださなかったこと。

もし、父がとっとと私が高校生くらいの時に肺がんで死んでいたら、いや、もっとはやく、小学5年生くらいのときがいいだろう。
自分自身は頭が悪い部類なのを知っていた私は、賢い弟をみて、彼を手助けすることで、家族として生き残りをかける選択をしたに違いない。
ところが実際は、父はヘビースモーカーだが、私がちょうど小学5年生のころ大阪町工場を失敗してから、一気に家庭は貧乏のどん底に入り、長距離運転手を続け、1990年末肺がんの闘病生活を迎えるまでは家族に労働力として期待され続けた。
大阪で落ちぶれる頃より、母は、「朝起き会」と呼ばれる”実践倫理公正会”という、自民党の票の温床のような集会に属し、朝の4時頃から私を起し、集会に連れて行くようになった。
たまに、夫婦喧嘩しては、私に向かって、「家族がばらばらになったらどうする!?妹も弟も、みんなばらばらで、どっかにいくしかないで・・・」と脅迫するのか、悩みの解決策を求めているのか、そんな言葉を投げかけたりする始末であった。(そのおかげで、朝新聞配達する土台が、体質的に形成されたのかもしれないけど。私はそんなイデオロギー集団はきらいだとはっきり言って、大学以降は止め。父の他界後は、母にも止める様勧めた。)

一方、弟は、そんなふがいない母よりも、祖母の方を慕い、おばあちゃん子であった。そのおばあちゃんは、後日自身で告白しているように、”男性優位の社会で、奉公の苦労をし、かなり男達に恨みを抱いている若い時代をすごしていた”のだが、実は、そのおばあちゃんから入知恵されていたのかもしれないと、今の私は詮索するのだが、次のような出来事があった。弟は、工場を失敗しトラックの運転手に成り下がり、借金だけ抱えて、それでも子供を母に作らせるような父について、小学校の作文で褒め称える文章を書き、
なんとそれが、北国新聞という地方紙に推薦され掲載された(成績がトップの貧乏な家庭の子供なのだから)(まあ、漫画に姉の卑劣さを描いた某邦画の妹の行動よりは倫理的であるが)。

そんなこともあり、父はそれ以来私の要望は受け付けなくなり、私には一切投資しなくなった(よって、それいらい塾にも家庭教師にも、おもちゃもPCや無線機もカメラも何にも父から私に入ることはなく、大学受験の準備も大学の学費も仕送りもゼロである(後、弟が早稲田を受ける時に、学費で80万円弟に提供したらしい)。
そして、弟が小学6年生頃に、MZ2000というシャープのPCを父は彼に買い与えた。
まあ、私に与えても、”猫に小判”であるとは自負するが・・・。しかし、妹二人は
ご飯に豆腐をしょうゆをかけて食べて育っているだけ、だったのよね・・・・。

そんな奴らは、俺が大学院に合格したのを聞いて、父が私に36万(三浪したからいやみだろう。)学費ローンで借りて(自分は多分54万とっている。唯一私のことを配慮していたおじいさんが後ほど、あれは80万借りたよとリークしてくれたので分かった。)渡してきた。するとまもなく弟から電話があり、「早稲田の学費を払わないと退学になる。就職して、学費借りて払ってくれ。」と言ってきた。(その代わり何かのお礼をするとかなんとか、条件もなく・・・。)当然私は、なんじゃやこりゃ?!と思ったわけだ。教授には数少ない院生資源として当てにされていて、修士課程進学後の授業料は免除にしていただけると決まっていたので、急に変更する?挑戦することもなく?マゾのように、自分を犠牲にする?父が元気で働いていて、おそらくローンでもっと借りているのに?彼と相談することなく?・・・と、結局、俺に渡したのは”仮装”であって、本音は”ぐる”かもしれない。そう思いながら、私は進学した。(入学金は遣わさせていただいた。4年間授業料ただ、仕送りゼロでやったのだし。)

彼の友人や彼を応援する女どもは、おそらく、ブルジョア的、サラリーマンのまともな父をもつご子息達であろう。だから、彼の父がふがいなく、何とかして、父に金を出させるべきだと彼をなだめているに違いない。それくらいの想像力は私にはあった。

でも、実際は父は借金をかかえ、娘二人を中学生に持ち、さらに小学生となった末っ子を作ってしまっていたのだから・・・、彼をそんな形で応援するなら、全く有害な結果になるだけだったはずなのである。しかし、都会のブルジョアのご子息達には、特に、現代昨今の若者達に、そんな想像力は働かないのだろう。

ということで、
もし私が、騙され陥れられても、弟は、プリズン・ブレイクのスコフィールドのように、私を命がけで助けたりすることはもうありえない。
既に、彼には妻子もあり、その確率さらに小さくほとんどゼロになった、いやマイナスかもしれない。

もし、私が小学5年のころから既に、父が亡き者であったなら。

ストーリーはプリズン・ブレイク並みのものが保障されただろう。

人間の反応の法則とはそんなようなものだ。

小説は読まないが、ツルゲーネフの「カラマーゾフの兄弟」はそんなものを描いているのではないか?

会社の経営者や、政治家は、人間のそんな反応の法則を理解し、
それを翻って、あえて利用し、自分に有利なようにことを運ぶこともできるのである。

兄弟姉妹が多い経験があるほど、そういった想像力が働き、
為政者や経営者が、翻ってその法則を性急に利用しているのかどうか、その法則を理解し、人間的成長の選択をしているのかどうか、区別することも可能であろう。

一人っ子や、ブルジョアには、少々難しいかもしれないし、
そんな人たちは、騙されやすいかもしれません。
だから、そんな人たちこそ、ツルゲーネフなどの作品を何度も何度も
鑑賞し、スローリーディングすることで、経験や体験を補うことが、
とても有効でしょう。
しかし、人間、ものごとをどうしても自分の都合のいいほうに解釈しがちなため、
かえって人間的成長の機会を失うことも可能。
その人のもって生まれた感性次第でしょう。
ReGenesisを観て、DNAはバカにできないと、少し思うので。

朝っぱらから、昨夜や良く眠れず、なにやら、いろいろ思い出しては考えてしまった。

人間の法則と人間の進化、成長について。


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