ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

2011-04-20 07:07:16 | ワッフル旦那のあれこれ

「赤信号みんなで渡れば怖くない」これは、ある意味では本当です。
普通、人には理性や感情があるから目の前の人を踏みつけてまで進もうとする事はまずありません。
でも、物には意志がありませんから事故や災害時は、沢山の人と一緒にいても、また多くの人の考えに同調しても安心はできるかもしれませんが、必ずしも安全とは言えません。
礼儀多々しいとか辛抱強いと言われる日本人ですがそれが裏目に出てしまう事もあります。

私が小学校の郊外指導部の部長をした時、各通学路に「子供を守る安心の家」を決める事を初めて実施されました。
私は他のPTA役員や教員にこれが意味の無い指導であるかを伝え続けました。
子供たちを守るのは本人であり、親であり、家族であり、地域であり、学校関係などの団体であって「子供を守る安心の家」の住人ではない事。
危害を加えようとする者が自分の前の現れた時「子供を守る安心の家」目指して走る事がどれほど効果があるのか。子供が助けを求めて来たとき「子供を守る安心の家」の住人で無いからと守ろうとしない人がいるだろうか。
ましてここは戸隠だから例えば私の子供達の通学路の大半には「子供を守る安心の家」どころか家すら無い、また「子供を守る安心の家」の住人も通学時間はほぼ畑にいる。
また、高齢者も多く数年に一度は見直さないといけないこの制度を導入するよりもっと子供たちの通学路に必要な事の実施を呼びかけました。
しかし、最後は校長先生の「犯人への抑止力としての”子供を守る安心の家”と言う事で決めて頂きたい」との事。
私は「私が仮にその犯罪者だとしましょう。良心の呵責も無い様な人間が{アッ、ここには”子供を守る安心の家”がある。だから止めとこう。}と、なりますか?」と訪ねましたが、それでも「決めましょう。」と言う。
「じゃあ決めたとして5年後10年後見直される事無く、このプラスチックの板が飾りだけの意味の無いボロになってもそれでも決めなさいと仰るのですね。」と確認したら「はい。それはその時で」との事で「子供を守る安心の家」がその年初めて戸隠でも選定されました。そして郊外指導部で最も必要だと言い続けた横断歩道は今日もまだ通学路に作られてません。
おそらく事故が起きるまで横断歩道は作られる事は無いと思います。もちろん事故が起きるより事故無く横断歩道が作られない方を望んでいます。
私自身横断歩道が安心、安全だとは思ってません。日本人は都会の人以外は横断歩道でも車が止まってくれるまで渡ろうとしません。
現実的にはドライバーの善意にかかっていると言える状況です。
それでも、朝の通勤時に普通より急ぐドライバーには、横断歩道があれば無いよりは、意識はしやすくなると思います。
「子供を守る安心の家」と「横断歩道」は似ている様で私の中ではかなり違います。
「子供を守る安心の家」はおもに学校関係者の責任を果たす部分に関係する様に感じていますが、「横断歩道」は実際にルールを守らないと特にドライバーは社会的な罰が適用されるからです。

以前、アメリカ人の方の言葉で「普通は車と人がぶつかった時、勝つのは車で、横断歩道では人が勝つルールだよね。日本でも同じだよね?」って、なるほど、鬼ごっこの安全地帯や,じゃんけんのルールの様にグーはパーには負けるが、横断歩道上ではチョキとなる特別ルールと考えるアメリカ人らしいコメントだと感じました。
ある時、その彼の運転する車の横に乗っていて横断歩道に差し掛かりました。中学生の男子が一人歩道の角に立ってました。彼は車を止めましたが、中学生は渡ろうとしません。たまたま人を待っていたか、考え事をして立っていただけのようでした。アメリカ人の彼は手振りを使って早く渡れと指示しますが、男の子はそのうちものすごく困った顔をして手を横に振りはじめましたが、運転していた彼は怒り出して早く渡れと催促します。最後は男の子は泣きそうな顔で頭を下げてアメリカ人の彼はせっかくいいことをしてやったのにと、いう感じで、車を急発進させました。サイドミラーで呆然として見ている彼の表情が小さくなっていくのが見えました。ただルールを守っても愛が無いなら意味がないな~と思わされました。

キマリは基本的には良いものですが、それが緊急時には私を守ってくれるモノではありません。
また、お互いに人命を大切にするという基本をないがしろにする人達や自然災害は物理の法則通りの動きであって普通の交差点にさしかかる車の様に止まってくれる訳ではありません。
集団登校で列になって歩道を歩いていても事故に巻き込まれたニュースは本当に悲しく残念です。
事故や罪はこの世からなくなりませんから、私たちは普段から危険の中に住んでいる事を認識し、平時で無い時でも生き残れる危機感を持つことが必要
です。
動物園の生き物でさえ安易に餌をもらえるようになると不健康になるので最近は苦労させて餌を取らせる工夫をしている動物園が有ります。
もちろんいくら注意していても生き残れる保証もありませんが、神から与えられた事を使わずに滅びるという愚かさは避けたいと思います。

画像は釜石市の根浜にある宝来館の女将さんの行動を撮った映像です。
避難所に来て安心している人達と指定された避難所より高台に逃げたのに知らせに降りた女将さん。
女将さんは腰まで浸かりながら高台まで這いあがって来られました。

 TSUNAMI - Earthquake (3/11) 20110411

 

もう一つはちょっと長いですが福島から大阪に来た彼女の話は中々テレビでは聞けないのでこれもアドレスだけ載せさせていただきます。http://www.youtube.com/user/jidaimedia#p/u/0/EcF_75slgwk

茨城の役所の対応は報道されていた、気の毒と思いますが人は本来その様な所があるとは思う。

完全な平安はイエスキリストこのお方にしかありません。

 


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2 コメント

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Unknown (りぼん)
2011-04-20 09:45:24
凄すぎて言葉がありません・・・。
Unknown (ワッフル旦那です。)
2011-04-20 10:33:32
黒板にチョークで書く時に
キィーーって耳を塞ぎたくなる様な音が出る時があります。
その音を不快に感じるのは
女性の悲鳴と共通するからだと言われています。
赤ちゃんの泣き声が決して快適で無い事にも意味があります。

この女将さんの叫び声によって
歩いていた人たちに普通じゃなんだと危機感を与えてくれて皆が助かりました。
震災後、避難所として使って彼女が気丈に働いておられました。
今後、彼女が長い間守ってきた、宝来館を取り壊して花畑にするんだと仰ってました。
彼女にも神の加護がある事を願います。

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