▲二百三高地のラストシーン(夏目雅子さん)
教え子たちと唱和する『故郷の空』何度見ても泣ける・・
~いつもながら、日本の美しいものは全て【戦争】と関連付け
して国民の洗脳を企む・・朝日らしい記事?です。
【「戦争協力」の歌だったのか? 童謡「ウミ」】
【ウミは広いな大きいな~、月がのぼるし、日がしずむ~♪
童謡「ウミ」を大声で歌うと平安な気分になりませんか?
おおらかな詞に優しいメロディー、果てしのない大海原が
思い浮かびます。
ところが、この歌には「戦争協力」の意味があるという説が
あります。本当でしょうか。
問題視されるのは、第3節です。「ウミニ オフネヲ ウカバシテ、
イッテ ミタイナ、ヨソノ クニ」という歌詞が、大日本帝国の
海外進出への期待を、子どもたちに歌わせたのではないか、
というのです。
「ウミ」は1941(昭和16)年2月、国民学校1年生用の
音楽教科書『ウタノホン 上』に初めて掲載されました。
作詞は童謡詩人の林柳波(1892~1974)、作曲は井上武士
(1894~1974)でした。林も井上も、ともに海とは無縁の
群馬県の出身です。林が生まれ育った沼田は山に囲まれて地平線が
見えない場所です。
「ウミ」が作られたころ、日本は中国との戦争が泥沼化し、
南方に目を向けていました。前年9月、北部仏印(ベトナム北部)
に進駐、41年の7月には南部へも兵を進めました。
南進論が唱えられ、国民が南方にさまざまな関心を抱いていたときです。
林は、当時の多くの作詞家同様、軍歌も作りました。
「あゝ我が戦友」(37年)というヒット曲もあります。
文部省の教科書編集委員を務め、国策に協力する立場にありました。
でも、現代の研究者たちは林の「戦争協力」説に慎重です。
戦時中の児童教育の研究で知られる作家の山中恒さんは、
「時代の流れを追ってゆくと、『ヨソノクニ』は南方を指している
ようにもみえる。でも……」と言って、「ウタノホン」の教師用手引書
を見せてくれました。いわば先生のためのアンチョコです。
そこには、「ウミ」の第3節について「海国日本国民の憧憬と意気と
を歌ったものである」との解説があります。
「海事思想とは、南方雄飛の意味でしょうが、露骨に海外進出を
強調しているわけではない。決め付けてしまうのはどうだろうか」
と山中さんは話します。
日本の近代音楽史を研究する戸ノ下達也さんも「国威発揚なら
『日ガシズム』は変だ。むしろ子どもの感性や想像力を養う意識が
みられる」と言います。
「イッテミタイナ」に自由への渇望を感じとるか、海外雄飛への
ひそかな野心をみるか…林の生きた時代と、彼の作詞家人生を見て
みましょう
(5日 朝日新聞asahi.comより)
>>>???文脈としては、この歌は戦争と結びるけるのは
如何なものか?・・と言っているようでうが・・・
それならば、何故、『戦争協力の歌だったのか?』と恣意的なタイトル
にして、自ら問題提起するのか・・全く理由(わけ)がわかりません。
唱歌や、童謡・・私は大好きで、よく車の中などで口ずさんだりして
しまうのですが、“戦争”をイメージしたことなど一度も無く・・・
確かに明治~大正~昭和と、戦乱絶えなかった時代に作られたこと
から、決して無縁とはいえないのでしょうが・・
何れの唄も、【日本の美しい情景】、【日本人の美しい心情】を
表現したものばかり。
戦争と結びつけて考えるのは、愚かとしか言えないでしょう。
>>>馬鹿な妄想はやめて、美しいものは美しいものと・・・
素直に語り継いでいきたいものです。
(私の一番好きな唱歌【故郷の空】)※原曲はスコットランド民謡
1.夕空晴れて秋風吹き
月影落ちて鈴虫鳴く
思へば遠し故郷の空
ああ、我が父母いかにおはす
2.澄行く水に秋萩たれ
玉なす露は、ススキに満つ
思へば似たり、故郷の野邊
ああわが弟妹(はらから)たれと遊ぶ
>>>何故でしょう。口ずさむと自然に・・涙がでます。
レキのニュース・スクラップ 【歌い継がれるべき 童謡・唱歌】
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